13
事務局内に入ると『神成』の出現を告げるサイレンが響いていた。
人を焦らせる甲高い音の中、部屋の一室で優雅に駄菓子屋で売っているような小さなジュースを三角は咥えていた。
「あれ? 焔くんは一緒じゃないんだ?」
三角は、口の力だけで空になった容器を上下させて答えると、事務棟の奥にある部屋を指差した。
「まあ、いいか。『猿飛』の準備は終わってるから、急いで神を鎮めてきてよ……」
三角の言葉に南部は深く頷く。
命の危機に晒されている人がいたら助けたい。その決意は二度目でも揺らぐことはなかった。
南部とイネが『猿飛部屋』に入ろうとした時、三角がイネを呼び止めた。
「あ、そうだ……。イネくん!」
南部の後ろを歩いていたイネに、三角が、黒い布に包まれた物体を投げ渡す。
長さ一メートルほどの細長い物体。
仰々しい布に包まれたソレは外観では何か分からないが、両手で持つイネは分かったのか、「なるほどね……」と、小さく頷き『猿飛部屋』へ消えていった。
その後に続く南部。
扉が閉じられると同時に、床に書かれた不思議な模様が光を帯びていく。部屋全体を光が包むと瞬く間に南部の視界は、屋外へ切り替わる。
そこは巨大なビルの前だった。隣には駅名が書かれたガラス張りの建築物。どうやら、ここは南部達が住む県の中心街のようだ。
ビルから少しでも離れようと逃げ惑う人々。
南部とイネは人の波に逆らうようにして、入口を目指した。
入口の看板には『恋愛研究家 亀田サリー講演会』と華やかなピンク色の文字で書かれていた。
本来ならば、今日は恋愛という文字通り、人々が恋愛に付いて語る楽しい場だったのだろう。だが、今はピンクの文字が不釣り合いなほど、悲鳴と恐怖で青褪めた顔で混沌としていた。
その時。
ビルの中腹が崩れ落ちた。瓦礫となった壁が落ちる先には、まだ逃げている人々が。
「南部くん!!」
そのことにいち早く気付いたイネが、腕を向けて『回士』の力を南部に送る。身体を光らせた南部は人間離れした脚力で宙を跳ぶと、落下する瓦礫を殴り砕いた。
「流石ね……。このまま行くわよ!! 私を抱えて跳びなさい!」
イネの指示に従い行動をする。
崩れた階層に『神成』はいる。そう考えたイネは、南部にそこまで移動するように指示を出す。
「キィ!!」
短く吠えて南部は答えた。イネを口で加えると、窓の僅かな凹凸に指先を引っ掻けて、垂直に壁を昇り始めた。
その姿は猿そのものだ。
瞬く間に崩れた階に着地した二人。
崩れた窓から中に向かって転がるように侵入する。
「『神成……!!」
部屋の中心。
講演会のために用意されていた椅子が、乱雑に倒れていた。
正面のステージには『恋愛研究家 亀田サリー講演会』と書かれた垂れ幕が飾られている。
その下に――『神成』はいた。
影に食われたかのような黒い異形。両腕には鋭く湾曲する鎌が付いていた。どうやら、『神成』になった人間は、蟷螂をイメージしたらしい。
右手に付いた鎌を、一人の女性の首に掛ける。
「……た、助けてください」
今にも命を刈られそうな女性。胸元に付けられたワッペンには『恋愛研究家 亀田サリー』と可愛らしい丸文字で書かれていた。
崩れた壁から現れた南部達を見つけた彼女は叫んだ。
「『神鎮隊』の方ですか!? 早く、早く私を助けて!」
よく見れば足の健が切られているのか――足元には赤黒い血が溜まっていた。
逃げれぬ相手を痛めて楽しんでいたらしい。
人間とは思えぬ所業に――南部が動いた。
「ええ。言われなくてもそのつもりよ!」
南部に力を送りながら答える。
南部は、四足を使って大きく跳ね、『神成』の首元に噛みつこうとする。
だが――『神成』は上半身を大きく反らして躱した。
「……色が付いてるのね!!」
『神成』の背中は、黒ではなく蟷螂のような黄緑に染まっていた。べっとりと怪しく輝く背中をイネは見逃さなかった。
「つまり、この『神成』は僅かながら知性があるってことよね――!」
イネは視線を女性の足元へ移す。
この『神成』の目的は、女性を痛めつけることという訳か。傷付けられた身体を見て、自然とイネにも力が入る。
その時だった。
「……なっ!?」
南部を包む光が弾けるようにして消えたのだ。
「……なあ。お前はなんでこんな酷いことが出来るんだよ?」
『申』から戻った南部は、そう『神成』に問いかけた。
「嘘……有り得ない」
自らの意思で南部は『申』を解除した。
「『申』になることは、自分を捨てることと同意儀。それなのに、自分の意思で解除したって言うの?」
本来。『申』になるには、『回士』の存在が必要なはず。イネの知る常識から南部は大きく外れていた。
光を纏わぬ南部を見てチャンスだと思ったのか、両手を振り上げ『神成』が迫る。
「……ま、答えてはくれないよね。だけど、俺は『神成』を倒して人を助けてみせる! イネさん!!」
南部はそう宣言すると、自らの意思で光を纏った。
南部に両手の鎌を振り下ろす。『申』状態になったタイミングが遅かったのか回避が間に合わない。『神成』の鎌が南部の身体に振り下ろされる。
鎌が南部の身体を切り裂いた。
はずだった。
「わざわざ、宣言するために解除しないでよ。びっくりするじゃないの!!」
だが――南部の身体は傷一つ付いていなかった。
生身の肉体が切れないことに、『神成』が驚き南部から離れる。
「『回士』の力によって、纏う光を鎧のように変えることも出来るのよ。相当、私も疲れるんだけどね……!」
「折角だから、これ、使ってみましょうか!」
イネの手には、三角から渡された黒い包みがあった。