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土曜日の午後三時。
子供が駆けまわるだけの充分な広さと、フェンスに囲まれている安心感から、地元の住人に人気な公園は、大勢の親子連れで賑わっていた。
中心にある屋根付きのベンチに座り、芝の上を笑いながら走る我が子を見守る母親。
中学生と思わしき少年達は部活終わりなのだろうか? 体操服のまま公園の隅でバットを振るっていた。
極々普通で平和な日常。
だが、この世界では『日常』を壊す存在がいることを、この場にいる誰しもが理解し過ごしていた。
『神』はいつだって唐突に現れるのだと。
「おとーさん。どうしたの?」
ブランコに乗っていた幼女が、背を押していた父を振り返る。一定のリズムで少女を押していた、優しく大きな父の手が止まったからだ。
娘の背中を押していた手は、自らの頭を抱えていた。意識を奪い去ろうとする痛みが父親を襲う。錆びた刃物で脳の神経を無理矢理に引き千切るような苦しみだった。
「に、逃げろ……!」
この痛みからは逃れらない。そのことを察した父親は、「ドン」と乱暴に少女を押す。ブランコを揺らすためでなく――我が子を逃がすための最後の抵抗。
父親の手が少女から離れると同時に――突如として異形なモノに成り果てる。
それは『犬』の影が人に張り付いたような姿だった。
変化した男に気付いたのか、誰かが叫んだ。
「か、『神成』だぁ!! 逃げろ!!」
声を聞いた人々は、『神成』を――化物を恐れ、我先にと公園の出口を目指す。
「きゃあ!!」「押すな!!」
平和だった公園に悲鳴が上がる。
遊んでいた人々は消え、道具だけが公園に残されていた。
いや――違う。
残っているのは道具だけじゃない。異形なる『神成』となった男の他に、もう一人だけ居た。
男が最後に逃がそうとした我が子だ。幼い二歳ほどの子。父親が消えた恐怖と、人とも思えぬ異形の『神成』に、ブランコから落ちた少女は泣いていた。
「……グアアアぁっ!!」
父親だった存在は、咆哮と共に自分の子供に手を伸ばす。
黒い影のような手は、幼女の小さな首を掴みへし折ろうとする。
その時だった。
「父の教え六条。『自棄になるな、常に冷静でいろ』か。今日はそれに逆らってみるか」
公園のフェンスの上。風で歪む柔なフェンスに一人の高校生が腰かけていた。顔立ちは整っている分類に入るだろうが特徴はない。
だが、顔立ちは無個性でも服装は違った。
身に纏う学生服は、規則を守っている箇所は一つもなかった。上着のボタンは役目を全うすることなく開かれており、その下には左右非対称に色分けされたシャツ。履いている靴も左右が全く違うブランドだった。
全てがチグハグな男子生徒は、なによりも服装と表情が合っていなかった。
派手な見た目に反して沈んだ表情。
「なあ、あんた。神になったんなら、教えてくれよ。俺は誰を信じればいい?」
フェンスから飛び降りる男子生徒。柔らかな芝が男子生徒の体重を受けて僅かに沈む。不穏な空気の中、太陽の日に照らされた芝は風に揺れ緑色に輝く。そんな風景に溶け込むようにして、男子生徒は笑っていた。
「……って、聞いてもくれないか」
『神成』となった父親は、両手を広げて近付く男子生徒を無視する。狙いは最初から一人だけ。泣き叫ぶ我が子だった。全てが闇に飲み込まれたかに黒に染まった手を娘に伸ばす。
『神成』となった人間は身体能力が強化され、人を簡単に殺す力を手に入れる。
自分の祈りを、願いを叶えるだけの力が手に入る――死と引き換えにして。
「化物だからこそ、自棄になるには丁度いい相手だよな」
もう、何でもいいや。
どうとでもなれ。
自らの思考を放棄して、異形の存在へ駆けだした。相手が人間離れした化物――『神』であることを理解しながらだ。
その行為がどれだけ無謀なのか。竹槍で戦車に挑むような行為。だが、全ての感情を殺した少年は、恐怖すら感じ得ないのか。
『神成』の顔を殴ることだけを考える。
すると、男子生徒の身体は仄かに光を帯び、動きが一気に加速する。人間離れした脚力と腕力で、『神威』の顔面を殴り飛ばした。
「ギャ、アアアア!!」
表情の読めぬ真っ黒な『神成』の顔が、打撃によって歪む。公園のフェンスを突き破り、道路へ転がった。
立ち上がろうとする『神成』。
まだ、生きている。
そう言わんばかりに光を帯びた男子生徒は、中学生が残していったバットを拾い飛び上がる。
二メートルはあるフェンスを軽々と超える。着地先は上半身を起こした『神成』。
腹部に膝を引き寄せて着地すると、その反動を利用して足の裏を割れ物のようにそっとアスファルトに置いた。
立つ場所は『神成』の隣――手にしたバットを力任せに振り下ろすには丁度良い。金属で作られたバットは凶器となって響く。
バキ、バキ、バキ。
何度も何度も繰り返して、身体が壊れる音が男子生徒に合わせて奏でられる。
その姿は知性がある人とは思えぬ行為だった。
だが、バットでの打撃は『神成』を仕留めるまでいかないのか。『神成』はバットを手で掴むと「バキリ」と握力で砕いて見せた。
金属が湾曲し道路を転がる。
「ガァ!!」
『神成』は、咆哮と共に立ち上がると、白く発光する男子生徒の頭部を蹴りつけた。ゴロゴロと転がる男子生徒。
たった一撃で優勢が入れ替わる。
「が、ガハっ」
頭部に受けた打撃に、意識が刈り取られそうになる。
朦朧とする意識の中。
「これは、『神成』と――『申』か……?」
男子生徒の前に現れたのは二人組の男女だった。
そのうちの一人が、男子生徒を見て驚きの声を上げる。
「馬鹿な……。訓練をしていないのに、『申』になったというのか……? 有り得ない……。本部に連絡を。いや、その前に――こいつを鎮めるとしようか」
男は呟くと腕に生えた炎の爪で異形の化物――『神成』を引き裂いた。切り口から炎が伝わるさまは、導火線のようだ。命の導火線は短くなり、やがて燃え尽きる。黒の身体は灰となって風に流れて消えていった。
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