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反論9 グローバル経済

 グローバル経済における抑圧体制


 経済に於ける抑圧とは以下の通りである。


 先ず市民と大衆がいる。


 市民と大衆とは何であるのか。これは日本では理解しづらい概念である。


 それは、先ず念頭に大陸国を思い浮かべて欲しい。大陸では、オーストラリアを除いてその土地の100%の支配領域を持つ国家が誕生した事が無い。


 つまり、我が国家はユーラシア大陸全土が我が国土である。と言う国家。そんなものは存在しない。

 ユーラシア大陸を細分化して細かく土地を持っている国家ばかりである。


 アメリカもでかいが、大陸にバラで領土を持っている。南アメリカやアフリカも同じである。


 その中で人種や民族やある一定の集団の多くは国を持たず国を持ってもいつ他国に滅ぼされるか分からず、暮らしている。


 そして、そこで、戦争や迫害が起きればウロウロあっちへ行き、こっちへ行きと流浪することになる。


 つまり、若しある一定の人々にGPSを持たして、それを人工衛星とリンクして軌跡を辿ると年数から数十年をかけて、大陸に曲がりくねった線分を描くことになる。


 それが国を持たない或いは国が失くなってしまった民族毎に曲がりくねった線分が描かれる。




 統一国家が短くも長くも存在してこなかった土地の人々の間の認識は、土地に対して多くの民俗が入り乱れている事が当たり前なのだ。


 それを彼女彼等は流浪の民は現状土地を持っている政権に対する大衆と位置付けている。


 そして、土地の所有権を現在持っている政権と政権への正当な所属の人々を市民と呼んでいる。


 日本だと市民も大衆も同じようにしか感じられない人々か、

 金持ちが市民であり、貧乏人が大衆であると大雑把な認識をしている人々のどちらかである。


 この辺りでエリート=インテリと定義付ける馬鹿が出てくるし、健常者で有りながらも知能が足りてないのに私達僕達は意識高い系の人々なのだ。と言う錯誤が生まれる。



 頭使わなければインテリではないし、人間本意的に動くだけでは知的な人には成れない。


 つまり、幼年期に親の顔色を伺い、少年期に教師の顔色を伺い、青少年から青年へ変わるときに教師・大学教授の顔色を伺い、高校や大学を出てからは運動家や白人の顔色を伺う。


 その様な人はインテリではない。上の下である。

 プライド高いだけの使い物にならないゴミ人材。


 ある程度の権力者に対する社会の認識が、目の前の石を黒く時には白くする事を呑むべきだ! としていると謂えども、


 知能とは目の前の石が自然本意的に何色であるかを知能を使って知ることであり、どこの誰が目の前の黄色い石を赤と言おうが緑と言おうが紫と言おうが、黄色であるなら黄色。自身が黄色と思っていたが、本質に基づき理詰め理詰めで考えればどう見ても淡い青色であったなら、淡い青色でした申し訳ないと、方針を転換するのが、学である。


 それを目の前の石を誰が赤といい、黄色といい、紫といい、緑といっていて、その中で誰が主導権を握り、イニシアティブをとったのか。


 その主導権をとった人々に青息吐息で追っ掛けて行き、賛同して勝ち馬に乗って悦に入る。


 その程度の人間はインテリでもなければ、賢くもない。何度も言うが、人材上の生ゴミである。





 さて、話は戻ってと言う訳にはいかない。

 ノブレス・オブリージュとパブリックへの言及が無いとならない。


 さて、パブリックとは何であるのか。

 パブリックとは日本語で公共とされる。

 しかし、イギリスでのパブリックスクールは日本の公共とは違う気がする人が多い。

 知っていればだけれども。


 イギリスでのパブリックスクールは、見る人居る人出会う人皆が富裕層である。

 そして、学校が明確に条件を提示して金持ちで、長年続く名家と言う条件も有ったり無かったりする。



 これは何故なのかと言うと、王家の問題があった。


 王家は必ず資産を持っているとは限らない。

 王家に商才が無い時代もあるし、軍事クーデターが起こるやも知れない、更に猾吏の専横を赦し、王家が傀儡となるかも知れない。


 土地を吸収し、他民族を労働力として接収するも、財の分母が多くなれば、一個人の許容範囲つまり、キャパシティを越える。

 そうなれば間接的に土地と労働力の財を扱わなくてはならない。

 それには人を使って間接的に資産管理をする必要がある。

 なら、より広域の行政長やら将軍やら法務官やらが必要になる。

 そうなると更に一個人の許容範囲を越える。


 更に傀儡政権を作り、色々とするのであれば国レベルで統治を任せないとならなくなる。

 そうなると統治の代理をしている人が反乱を起こさない人であり、傀儡政権は反意を持たない様な人を擁立しないととてもではないが、内乱に次ぐ内乱で体制が転覆しかねない。


 なので、国の代表や補佐候補となる家柄の人々と王家の結び付きを強くしなければならなくなる。

 ので、おおやけの人々(国家統治に於いて重要な役職になる勝つ率が高い人々)の幼少期からの結び付きを構築する学校を作ろうとなるのだ。


 なので、イギリスのパブリックスクールは富裕層で構築される。家柄的に代々王家を守る人や、王家クラスの人々が通うのだ。



 貧民はこの目的にそぐわない。

 金がなければ王家が金に困ったとき軍事的な後援ができず、親が知識がない為どの程度伸び代があるか不明だからである。

 王家同士のネットワークを通じて王家の相互補助を担える人材を王家との知り合える状態を作るのが目的である。

 そういう意味での公共、つまり、“おおやけの人々の”である。


 ここで良く説明が分からない人の為に、少女漫画で良く使われていた寓話をうろ覚えではあるが紹介する。








 とある学校に通うキャサリンは貧乏だった。

 しかし、いいところの学校には何故だか通えています。多分なんらか支援者がいたのでしょう。


 そして、学校では傲慢なマーガレットがいて、彼女は裕福な家の子供で、よく、キャサリンを馬鹿にしていました。



マーガレット(以下マギー):キャサリン! 貴女またボロを来てるの? シャツの上からでも小汚ない服を繕っているのが見えるわ! 貧乏な人って本当に可哀想なのね。私ったら毎週毎週お父様に新しい服を買って貰っているの。貴女のようにおんなじ服をずっと着続けるなんてとてもじゃないけど出来ないわ。本当に貴女って可哀想な人なのね。



モブその1:ホントー。貧乏ってイヤだわ。匂いだって移りそうで。ネズミとかも大変なんでしょ。ペストとか大丈夫なの?



モブその2:絶対的な貧民が増えると犯罪が増えるじゃない目の前に犯罪者がいるかと思うとオチオチ勉強も出来やしないわ。本当に迷惑よねぇ~。



ターシャ:ちょっとなんなの貴女達。キャサリンに失礼でしょ! 負け犬の御両親でもキャサリンはキャサリンよ。悪し様に言うなんて失礼だわ。親と子は別人格なのよ!



モブその2:ふん! 何さ良い子ぶって。貴女も淑女としての品を持ちなさい。賤しい子と付き合ってると心が段々と卑しくなっていくのよ。



モブその1:そうよ! そうよ!



マギー:まあ、此処までにして起きましょう。余り構うと卑しい子ですもの被害者面をして先生にある事無い事吹聴して先生を混乱させてしまうかも知れないわ。そうなっては面倒だからもう行きましょうよ。


 それとねターシャ貴女も付き合う人をキチンと選んだ方がいいわ。本当に移ってしまうわよ。匂いから何までね。


 さぁ、行きましょう。




 マーガレットはモブ二人を連れて去っていった。




ターシャ:ナニよあれ! 失礼しちゃう。キャサリンも何とか言ってよ!



キャサリン(以下キャリー):………………



ターシャ:キャサリン?



キャリー:えっああ。何?



ターシャ:キャサリンも何か言って上げてよ。



キャリー:もういないよ?



ターシャ:そーれーでーもー!



キャリー:なんか面倒だよ。



ターシャ:キャーサリーン!




 何日間か過ぎた。





ターシャ:キャサリン聞いた?


 それは昼食の終わりにターシャがキャサリンに声をかけてきた。




ターシャ:今度マーガレットがクラスの皆をパーティーに招待するんですって。キャサリン私と待ち合わせてパーティーに行きましょうよ。



キャリー:? 何を言っているのターシャ。マーガレットが言う皆って言うのは私を含めていないんだよ。みんなの中に私は入っていないの。



ターシャ:そんなこと無いわ! キャサリンの気にしすぎよ! 無意識にヘソを曲げているのね。クラスの皆を招待したのですもの。キャサリンも入ってるに決まってるじゃない。



 その後、十分ぐらい揉める。キャサリンが折れる。



キャリー:分かったじゃあ、待ち合わせて行きましょう。



ターシャ:約束よキャサリン。





 そして、パーティー当日。ヨーロッパな町のお洒落な街角の広場で落ち合い、長い川を横目に街中からの橋を渡った。2人はずっとお喋りを続けて何時もより楽しい時間となった。


 そして、パーティー会場となる街中にある大きな建物の前についた。

 出入り口では、マーガレットがパーティーに来てくれたことに対する御礼を参加者に述べていた。そして、2人を見ると眉間にシワを寄せ近付いてきた。





マギー:キャサリンなんでここにいるの! 私のパーティーの邪魔をしに来たの!



ターシャ:そうじゃないわ。マーガレット言ってたじゃない。クラスの皆を招待するって。だから、キャサリンが嫌がってたけど私が大丈夫って連れてきたの。



マギー:キャサリンなんか呼ぶわけ無いでしょ。



ターシャ:でも、



マギー:クラスの皆は私がクラスに相応しいと思っているクラスの皆よ! キャサリン! 貴女は違うの!



ターシャ:でも、



キャリー:もういいよ。ターシャ。分かった御免なさいマーガレット。私はもう帰るわね。



ターシャ:ごめんねキャサリン。こんなことになるなんて。



キャリー:始めから分かってたわ。だから気にしないで。



ターシャ:本当にごめんね。





 そして、ターシャは会場の中に入っていき、キャサリンは自分の暮らしている寮に帰っていった。

 夜の闇を払う都会の明かりが、街中を流れる河に写し出される。その光景を見ながらキャサリンは清々した心持ちで、街を歩いていくのだった。



 確かこんな感じの話が昔のテンプレートな或いは凄く有名な展開だった。

 この中で、確かにマーガレットは酷い奴であるが、それにしてもターシャはなんなんだとよく思った。


 それはそれとして、



マギー:クラスの皆は私がクラスに相応しいと思っているクラスの皆よ! キャサリン! 貴女は違うの!




 これが欧米で言うところの【皆=パブリック】の概念である。






 さて、では、ノブレス・オブリージュの出番である。



 サクッと言うと、これは見せ金の理論である。

 例えば、欧米人にとっては90年代ぐらいまであった日本の資本の再配分の思考回路等、下らない行為だと言う。


 それは死に金ではないか。と。

 どこの誰か分からない人達へ何処の誰か分からない形で資本をばら蒔き、貧民は何処の誰から来たのか感じることなく受け取って、自身の力で稼いだと感じている。そして、何かあれば平気で資本家をなじる。


 その点欧米は違う。何処の誰からか分かるように所得の再配分等行わずに、寄付金でもって誰が寄付をしたのか分からせる。

 そうすると、彼等は寄付をしてくれた相手の顔を覚え、ぐちゃぐちゃ逆らわなくなる。

 そうやって欧米は日本と違って生き金にする。

 死に金にするなんてドブに金を捨てるようなものだ。下らない。と。



 そして、彼女彼らはEUでは、年寄りの奴隷として若い人々を縛り付け、アメリカ合衆国では賃金奴隷にして、雇用するのである。《例えば2000年代のアメリカ合衆国のウェイトレスの時給は約200円である。後はチップで貰えよ! で終わりである。》



 それで、社会に貧困層を量産して、金銭で人の流れを操るのである。

 例えば、医療の投薬の被験者にそれなりの金を出す。すると、健康な被験体が手に入る。



 社会に貧困国から次々に人を入れる。そうすれば、労働力は常に安い者が供給される。





 非難されないように、金を上手く使って、親衛隊を作らせて、市民で大衆を操って、争わせて削って減ってからじゃ遅いから減るのを待たずに突っ込んでまた対価を下げて。


 そうすれば、高額所得者は対価が高騰して局地的なインフレーションが起きる。


 低所得者層には低い対価で喜ぶ貧困国からの流入で、局地的なデフレーションが起きる。


 トータルでアメリカ合衆国とEUでは、それなりのインフレーションが起きて、国が栄える。富裕層の富だけがどんどん上がる。


 もっと人が死んでもっと人が入ってもっと大衆の対価が安くなる。

 その為には、もっともっと戦争が起こって、民族対立が起こって、もっともっと難民が出て、アメリカ合衆国を目刺し、EUを、目指さないと。もっともっと戦争を起こせ! 私達僕たちの金の為に!


 見せ金を大衆の目の前で見せろ! この上手いやり方こそが、ノブレス・オブリージュ。


 富裕層へ非難が来ないようにする為の処世術これが欧米の富裕層のあり方だ。




 と言う発想が欧米を支配している。


 そんな中でのグローバル化である。


 では、『行き過ぎた自己責任論に対する反撃としての無差別殺人は肯定されるべき』でしたか。


 明らかに抑圧体制の犬の戯言に過ぎない。

 欧米人はどんなに貧民を抑圧しても反省などはしない。

 大衆を狙え! は抑圧体制へ貢献したいクズの戯言である。

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