反論4 都合の良い外人
外国人への抑圧の体制
外人を連れてくる事業は80年代にもありました。そして、彼女彼達には日本語を勉強するとか日本社会が彼女彼等の言葉を勉強する必要もないと自由主義者は騙りました。
連れてこられた外人は日本語で何かを言われても何も分からないと言い、政府が彼等彼女達に日本語を勉強させました。
90年代にも外国人を連れてくる必要があると言い日本語を覚えている人と言う条件をつける等、差別的な行為は止めろ! と人権団体や左翼が訴え、日本在住の外人を証言に立たせ私達僕達には一々日本語を勉強するとかしろとか必要はない。勝手に勉強するから余計な御世話だよ。と言わせました。
そして、2000年代にも外人を連れて来ようと言う動きがあり、日本語を話せる人を連れてくるべきだと言う意見は差別的と、非難して外人を連れてきました。
結局どうなったか。
日本語が出来ないのに日本語で教えて日本人は酷いと問題になって居ます。
因みに日本人の人権活動家の主催する反差別キャンペーンに加担してた外人は白人でした。
この“差別を止めろ!”キャンペーンに乗ってどれだけの外人が労働力目当てで連れてこられ、日本語が分からないのに日本語で教えると言う過酷な労働環境で過ごしてきたのか。
人権活動自体が外人労働者への弾圧であり、人権の旗の元に非人道的な搾取が行われたのです。
では、人道活動家が何を考えているのかと言うと、次の流れがあった。
白人主義社会である欧米から人種が混じった国がすごく立派だと言う基準ができた
→日本社会ではどの程度人種が混じっているのかと言う質問があった
→人種は混じって無いと回答せざるを得なかった
→白人がそれはいけないなと言った
→恥ずかしい思いをした
→良し、人種が混じった日本を作ってやろうと思った
→規制があるのと規制がないのとでは規制がないのが人が多く集まるだろう
→賃金奴隷が多く必要としている企業も一枚噛ませよう
→規制をかけようとする人々を差別的な人々であると言う基準を作り反対運動をしよう
→外人がやって来た。一緒に写った写真を撮ろう
→欧米へ行って白人主義クラブの人々に見せ日本も白人主義社会である欧米と同じになれたねって誉めてもらおう。
以上。
これが彼女彼達の外人を労働者として連れてきた運動理念です。
この中に外人の労働者の労働環境の事や人種が混じって相互理解が増えるといいね♪ と考えは活動家の頭の中には一切ありません。
では、過酷な労働環境の外人が白人に誉めて貰うことだけ考えた活動家をスルーして、行き過ぎた自己責任論の蔓延る格差社会で無差別殺人を犯した場合、抑圧者である活動家はどう思うでしょうか。
自分達が標的になら無くて良かった。と思うだけです。
何故なら彼女彼達が自らの過ちに気付く機会は80年代90年代2000年代にあったにも関わらず、反省等していないから。
この状態で無差別殺人を肯定するのはただ単に、大衆を肉壁にして代償行動を通じての外人労働者へのガス抜きを、狙っているからに過ぎません。
外人差別を弾圧する抑圧者の体制を守る為の方便に過ぎないのです。
『行き過ぎた自己責任論による格差社会であるから無差別殺人が肯定されるべきである』
とするのは彼女彼等が体制の犬であり、労働環境を通じて外人をなぶれる事で優越感に浸っているからに過ぎません。
因みに人権活動家がなぶりの対象にしているのは有色人種だったり、スパニッシュと言う白人主義の弾圧対称にある人々です。
彼女彼等は人権活動の旗を掲げ、白人主義のテーゼで動いている、抑圧と言う名のケダモノに過ぎないのです。