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一本の電話

 恵から言われた「学校が安心して預けられる環境」にいい案が出ず、圭太は行き詰まりを感じていた。持ち帰ったDVDの映像は事務所でも評判にはなったが、頑な学校の態度について詳しい説明をすると社長も困ったようだ。

 彼女の歌が上手いのは確かだと圭太は思っている。ビジュアル的にも問題ないが、売り出すためにはそれだけでは足りないことは知っている。プロとして活動するために、若い今のうちにボイストレーニングなどしっかりとした基礎を身に付けさせることも必要だ。しかも日本語がおぼつかないという彼女ひとりのために、通訳を雇ったりするほどには事務所に余裕はない。

 大手の事務所であれば、そういったこともできるかもしれないが、圭太の事務所は楽器のスペシャリストが主に所属しているが、ケイのような「金の卵」を育てるシステムがないのだ。


 圭太にその電話があったのは、それから1週間ほど後の土曜日の朝のことだ。知らない番号からだった。

「ハロー」

 電話に出るといきなり若い女の声で相手は確かにそう言った。

「えっ? 誰?」

「あ……、私、ケイ」

「ケイちゃん? 本当に?」

 思いもよらない相手からの電話だった。どうやったらもう一度彼女に会いに行けるのか、あれからずっと考えていたのだが、その電話はまさかの本人だったのだ。

「あの、ギターの人? ですか」

 そういえば、圭太は先生には名前を名乗ったが、まだ彼女に直接名前を教えていないことに気がついた。学校は名前までは教えていないのかもしれない。

「うん、そうだよ。まさか電話をもらえるなんて思わなかったよ」

「電話をもらう? なにかもらうの?」

「あー、いやいや、そうじゃないよ。そんな意味じゃないよ。とにかく電話ありがとう」

 そういえば西川先生は、彼女はまだ日本語は日常会話程度だと言っていたのを思い出した。

「いつあそこに行くの?」

 突然ケイの話が変わった。

「あそこ?」

「うん、歌うところ」

 ——歌うところ?

「初めてあなたと歌ったところ」

 ——初めてケイに会った場所のことだ!

「来てくれるのかい? 僕は君が歌ってくれるなら、今日でも、明日でも。君はいつがいい?」

「今日だけお昼からのバーガーのお仕事が休みなの。学校が終わったら電車に乗りに行く」

「電車を降りるところは覚えてるか?」

「うん。ナカメグロ? メトロに乗れるところ」

 少したどたどしいが、ちゃんとわかってるみたいだ。あの日圭太は、代官山のスタジオで仕事をして中目黒のビルの階段でギターを弾いた。

「そう、駅のすぐ近くだったよね。ひとりで来れるの?」

「うん。大丈夫」

「何時頃になりそうかな」

「学校が終わったら」

 細かい話は通じそうもない。

 ——だいたいの時間を想像して、待つしかないか。

「じゃあ、わからなかったら電話して」

「あっ、名前はなに?」

「俺の? 早瀬圭太だよ」

「じゃあ、ケイタでいい?」

「いいよ」

「じゃあ圭太、またね」

 はるかに年下の女の子から名前で呼び捨てにされたのは圭太も初めてで少し照れ臭いがアメリカ人ならそれが当たり前のはずだ。ここは黙って受け入れることにした。そして圭太はすぐに姉の恵と社長に、トークアプリで連絡を入れておいた。

 来週からのスタジオ入りに備えて、この土曜日はゆっくりと休むつもりでいた圭太だったが、そうとなれば話は変わる。早めに朝食を兼ねた昼食をすませて部屋に置いてあるギターの中から、もう何年も使っているアコースティックの一番手に馴染んでいるものをケースに入れた。万が一に備えて弦とピックも予備を入れている。そしていてもたってもいられずに、早いとは思いつつ中目黒へ向かった。

 圭太のアパートは代官山にある。学生時代から替わっていない。事務所が中野にあるので転居も考えたことがあるが、代官山のスタジオでの仕事が多いので結局そのままになっているのだ。


 ⌘


 1時過ぎに先日ケイとセッションをした場所に圭太が着くと、そこにはすでに恵の姿があった。

「めぐちゃん、どうしたのさ」

 驚いた圭太が聞くと、

「圭太が女子高生に悪さをしないように見張りに来た」

と恵が笑っている。

「流石に15歳の女の子に手は出さないよ」

 圭太が苦笑いしていうと、

「あっ、そうだね。圭太はシスコンだもんねー」

と返された。

 ——好きに言っとけ。

 何を言っても口で恵に敵わないのはわかっているので、圭太は黙ってギターの準備を始めた。その横で階段に腰掛けた恵が、

「やっと生で聴けるわ。楽しみにしてるよ」

という。圭太は「うん」とだけ返事をしてチューニングを始める。そこへ、

「あれ、来るのは女子高生じゃなかったっけ?」

といきなり無礼な挨拶をかましながら社長の菊池が現れた。

「社長、来れたんですね」

 チューニングの手を止めて、圭太が声を掛けた。

「すみませーん、ちょっと老けた女子高生でえ。ええっと、社長さんです? いつも圭太がお世話になってますぅ」

 隣にいた恵はこれ以上ないぐらいの笑顔をつくり皮肉たっぷりに社長に挨拶をする。圭太から「姉です」と紹介された菊池も流石にバツが悪かったのか、恵と丁寧に挨拶を交わし無礼を詫びたのだった。

 それから3人がその場でケイを待っていると、雑踏の中からギターを背負ったケイの姿が現れた。ケイは圭太を見つけるなり、

「圭太!」

と遠くから手を振り駆け寄ってくる。

「へえ、女子高生と名前で呼び合う仲にいつの間にかなったわけね」

「ああ、これは不純異性交遊で検挙だな」

 恵と菊池がニヤリと笑っている。この2人、案外気が合うみたいだ。

「いや、そんなことないから!」

と圭太は慌てて取り消したのだった。


 

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