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手強い相手

「ところで、弟からすごい才能の子を見つけたと聞いたんですが、実際、どんな子なんですか?」

「ああ、あの子のこと? まあね、確かに歌はすごく上手いのは間違いないのよ。でもね、友達との会話なら日本語もだいぶ理解できるかもしれないってレベルなのよ。早瀬先生が今日来たのは弟さんの応援なのかも知れないけど、親はアメリカだし、それなのに、言わば魑魅魍魎の音楽業界みたいな世界なんでしょ? うちの学校を信用して預からせてもらってるから、もちろん本人の意思は大切だけど、学校としてはそんな場所には怖くて、今のままじゃ送り出したくないっていうのが本音なのよね」

「私、もう先生じゃないですから」と恵は照れた。「でも、そんなに歌は上手いんですか?」

「それはもうね、言葉にならないわ。歌であんなに感動したのは初めて。プロの歌手のレベルってどんなものか私は知らない。でも、プロのミュージシャンの弟さんが言うなら本物なのかもしれないね」

「うわあ、聞いてみたいです」

「あなたの大好きな時代の歌がまたいいのよ。この間、ここでやった映像なら残してるから、DVDに焼いてあげるよ」

 西川先生が「あなたの大好きな時代の歌」という表現をしたのは、アメリカの50年代から70年代あたりのことだ。圭太の姉の恵は外国語大学に通い、卒業論文のテーマは「アメリカのロック音楽とビートルズが世界に与えた影響」だった。まだ若い圭太がその辺りの音楽が好きなのは、間違いなく姉に感化されているといえよう。

 西川先生と恵の会話を隣で聞いていた圭太だったが、先日のセッションの映像があることは知らなかった。

「映像あるんですか! それ、僕にもいただけますか」

 いてもたってもいられず、つい2人の会話に圭太が口を挟んだ。

「もちろんです。演奏してるのはあなたですもの。むしろ、生徒が勝手に撮影してよかったのか気になってまして」

という西川先生に圭太は首を横に振り、

「いえ、映像が残ってるなんて嬉しいです。ありがとうございます」

と素直に感謝の意を述べた。

「じゃあ、すぐに作ってきますから、待っててください」

と西川先生が席を立つと、

「じゃあ、それをいただいたら、今日はいいかな」

と恵が言い出した。

「えっ、まだ彼女に会ってないよ。俺を助けに来てくれたんじゃないの」

 圭太が慌てて言うと、

「何言ってんの。あんたが学校に迷惑かけたんじゃないかって思うから、一緒に謝りに来たんじゃん。それに映像があるなら本人に会わなくてもいいよ、私」

と恵はいうのだ。

「でも」

「でもじゃない。さっき聞いたでしょ。日本のことをまだ何も知らない、言葉も不慣れな日本に来たばかりの子を、いきなり知らない男とそんな場所へ連れて行くのは、学校が許可しないのは当たり前じゃん。今日は諦めなさい」

と恵から説教をされ、圭太は当てが外れてガックリと肩を落とすしかなかったのだ。


 DVDを2枚貰い、突然訪ねたにも関わらず応対してもらった西川先生に恵は丁寧にお礼を言い学校を後にする。

「保土ヶ谷まで送ってよね」

 恵はそう言いながら圭太のバイクの後ろのシートに跨った。

「横浜駅までじゃなかったの」

「あんた優しくないねえ。女性から頼まれたら男は黙って家まで送りなさい」

と後ろから「コンコン」とヘルメットを叩く。

「めぐちゃん、女性だったの?」

「あーっ、言ったな?」

 今度は思いっきりヘルメットを殴りつけられたのだった。


  ⌘


 恵のアパートに着くと、部屋に上がって行きなさいと恵が圭太にいう。

「ご飯作るから、食べて行きなさい」

と圭太は強引に部屋に上げられた。しばらく連絡していなかった負い目もあり、圭太は仕方なく恵に従った。

 座卓周りに圭太が座ってキョロキョロと部屋を見渡す。久しぶりに来たが、相変わらず女子力の少なそうなシンプルな部屋だ。壁にはアメリカのレジェンドのミュージシャンのポスターが数枚貼っている。そこへ、台所で何やらチャカチャカしていた恵がちょっとしたつまみを作ってテーブルに置き、「ほい」と言いながら缶ビールを渡そうとした。

「俺、今日バイクだし」

 圭太が恵にそういうと、

「泊まっていきなさい。明日の朝帰ればいいじゃん。それとも何? 姉ちゃんのビールは飲めないとでもいうの? ああ、そう。2年も音沙汰なしでやっと出会ったお姉ちゃんのビール、飲めないってわけ? あー、嘆かわしい。私、あんたをそういう子に育てた覚えはないわ」

と言い、勝手に缶ビールのリングプルを「バシュッ」と音を立てて引き上げて渡したのだった。圭太は観念するしかなかったのだ。


「乾杯」

 缶ビールをカチンと合わせてお互いに一口飲む。

「圭太とこうやってゆっくりお酒飲む日が来るなんてねえ」

などと恵がしみじみと言いながら、

「あっ、そうだ。あれ。もらったDVD、流して。そこにプレイヤーあるから」

とテレビの下のテレビ台を指さした。

「何げにテレビ、でかくない? 1人で見るには大きすぎるだろ」

 そう言いながら、再生の準備を圭太がする。50型ぐらいだろうか。

「うっさいわ。コンサート映像とか臨場感が違うのよ。おまけに外付けのスピーカーでこれを見ると最高なのさ」

「まだオールディーズ?」

「いや、それがさ、最近は米本健二とか日本もなかなか捨てがたい」

「へえ、最先端じゃん。じゃあ、入れるよ」

 いつの間に撮影していたのか気がつかなかった。たぶんそういった設備が音楽室にあったのだろう。映像も音質もとても綺麗に記録されていた。


 DVDを黙ってみていた恵に、圭太が「どう?」と聞いてみた。恵は一言、「エクセレント」とだけ答えて、DVDをまた頭から見ている。

 しばらく画面を見ていた恵が、

「ねえ、圭太。学校がああいう対応をとる時は、それを崩すのはなかなか難しいよ。私もあの中にいたからわかる。学校にとっては、生徒たちを無事に卒業させるのが使命なのよ」

と口を開いた。圭太が黙って相槌をうつ。

「どうすんの」

「どうすればいいのかな。何度も押しかけても迷惑だって言われそうだし。諦めるしかないのかな……」

「あんな手強い相手にひとつだけ可能性があるとすればさ、学校がさ、あの子を安心して預けられる環境を作ることかもしれないね。あんたの事務所はさ、どう言ってるの?」

「まだ詳しい話はしてないんだよね。社長はすごく興味はありそうなんだけど」

「ふーん……」

 また2人はしばらく黙って映像を見ていた。

「例えばさ、彼女を任せられる人を近くに置いてあげるとか。もう一度事務所と話をして方針を決めて、それからかな。そこがちゃんとできるなら、今度は本気でお姉ちゃんが学校との交渉の窓口になったげるわ」

「わかった。明日社長と掛け合ってみる」

 圭太がそういうと、恵は立ち上がった。

「お風呂入ってくるわ。なんなら、あんたも一緒に入る?」

「ば、ばか。俺、もう子供じゃねえし」

「えーっ、小6まで『めぐちゃんと一緒じゃなきゃお風呂嫌だーっ』て泣いたくせにい。そっかあ。ピチピチの19歳のうら若き乙女の裸を見ながら育った圭太もいつの間にか一丁前を言える大人になったかあ。よしよし」

と恵は大笑いしている。そういえば確かに圭太は、小学6年の時、つまり恵が19歳の時まで一緒にお風呂に入っていた。だから成長期に入る自分を全部見られてしまった圭太がいまだに姉に「女」をまったく感じないのは、その距離が近すぎたせいなのかもしれない。

 ——ああ、この姉には一生頭があがりそうにないな。

 2本目のビールをまた一口飲みながら、しみじみと思う圭太だった。

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