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クリスマスの夜に

 ニューヨークにはクリスマスが近づいていた。日本食のお店「ロック・イン・ジャパン」であるが、ケイとステラが嬉々としてクリスマスの飾り付けに勤しんでいた。

 ケイはあれから圭司の部屋で暮らしている。学校もちゃんと行けるようになり、彼女なりに毎日が充実しているようだ。音楽も、何度も同じ曲を聴けるようになったことが何よりもうれしいと言いながら、店を手伝っている時も勉強をしている時も、いつも音楽が傍にある。

 そういえば、圭司が聴く音楽はケイにとって初めて耳にするものばかりで楽しいという。最近、特にお気に入りなのが「We are the World」のようで、初めて聴いた日から何度も1人で歌っていた。


 クリスマスにお店でコンサートをしようと言い出したのもケイだ。圭太がギターを弾いて、ステラとケイの3人でクリスマスソングを数曲歌い、最後にこの「We are the World」をコーラスして終わる計画だということだ。

 ところで、ケイが受け持ちたいと言ったパートが意外で、ダイアナ・ロスとシンディ・ローパーはわかるとしても、歌い出しのライオネル・リッチーであり、それから絶対譲らないと宣言したのがレイ・チャールズとブルース・スプリングスティーンなのはおかしかった。キーが高いので、男性パートならマイケル・ジャクソンとスティービー・ワンダーだろうと思っていた圭太は少し意表をつかれた感じだが、ケイいわく、スティービーはブルースとハモるパートがあるため「悔しいけど圭司に譲ってあげる」らしい。クリスマスに向けて、毎日しゃがれ声を出す練習をしている。


 圭司も生活スタイルに大きな変化があった。それまでは店が終わると1人で酒を軽く飲みながら寝て、昼過ぎに起きる生活だったが、ケイと暮らすようになり、まずはちゃんと朝に起きるようになった。2人で朝ごはんを作り、ケイを学校に送り出してから昔みたいにギターを弾く。学校から帰ってきたらケイにギターを教えてあげる約束をしたからだ。週の半分はステラも朝早く来て一緒に朝ごはんを食べている。


 ⌘


 ストロベリー・ハウスの管理人であるジョシー夫妻は、圭司がケイをハウスまで連れて行くと、いかにも心配していた風を装い、大袈裟にケイを抱きしめて見せたが、警察にも届けていない時点でそれは芝居以外のなにものでもないのは明らかだった。そしてハウスにいた子供たちはみんな、ほとんど色も柄もない男女兼用のズボンと服を着せられていて、ジョシー夫人のジャラジャラ光るものを首からぶら下げた派手な服とは大違いだった。ケイがいうには、そういう服だと大きささえ揃えておけば男女誰でも着られるからという、ケチな理由らしい。


「で、いくら出すんだい」

 圭司がケイを引き取りたいというと、まず主人のジョシーはそう言った。

「俺たちがこの子を育てるために費やした時間と金の分はちゃんと払ってくれるんだろうな」

 奴は卑屈な笑みを見せながらジロジロと圭司を上から下まで眺め回した。いくらなら出せそうなのか、圭司の品定めをしているようだった。


 ——このクソ野郎。


「この子はずっと探していた俺の娘だ。喧嘩別れした女が連れて行ってしまった娘をやっと探し当てたんだ。俺たちの顔をよく見ろよ。似てるだろ」

 そこで圭司はまずハッタリをかました。本当かどうかわからないが、圭司とケイが初めて会った日に、ステラが2人を「似ている」と言った言葉に圭司は賭けたのだ。

 親と聞いてジョシーが一瞬たじろいだのを感じた圭司は、そのままたたみかけるように、

「まさか俺の娘を金で売り買いしようってんじゃないだろうな」

と、あえて強い口調で押し込んだ。

「ま、待て。俺にだって、このお宅の娘に投資した。それなりのものをもらって何が悪いんだ」

 口籠もりながらジョシーが反論した。

「確かここは州の認可を受けた半分公的な施設のはずだ。ちゃんと金はもらってるよな。ところでその割には子供たちの着ている服が粗末だが、州からもらうその金が、まさか隣にいる女房の派手な洋服代に消えてるなんてことはないよなあ」

 少し芝居がかりすぎたかと思ったが、案外これが図星だったらしい。あからさまに夫妻の挙動がおかしくなった。


 ——ここだ。


「おい、金がどうとかいうのなら、今から警察か病院に行って、ケイの体についた無数のアザについて詳しい話をしてもいいんだぜ。なんなら他の子供たちも一緒に警察に連れて行こうか」

 あえて勢いこんで立ち上がってみせた圭司の最後の一押しが明らかに効いたと思う。ジョシー夫妻が青ざめて狼狽しているのが手に取るようにわかった。アメリカは子供の虐待にはことさら神経質な国だ。

「いいか。俺はお前たちが娘にしたこれまでのことは黙っておいてやろうと言ってるんだ。俺の言っていることはわかるな」

 ごくりと唾を飲み込みながら、ジョシーが2、3度頷いた。圭司は再び座り直して今度は静かにジョシーの目を見ながら話を続けた。

「じゃあ、取引だ。まず俺がこの子の身許引受人として相応しいと確認できたから引き渡しを承認したという公的な場所へ届ける書類を作ってサインをしろ。そんな用紙、ここにもあるんだろ?」

 ジョシーが頷いて、震えながら近くの引き出しから用紙を取り出した。

「役人が調査に来ても、その書類の通りに答えるんだ。それが俺が出す唯一の条件だ。それで娘の体の傷については訴訟をしない。イーブンってわけだ」

 圭司がわざとらしく右手を出すと、ジョシーがためらいながらも右手を出して握手に応じた。取引は成立したのだ。訴訟社会のアメリカにうんざりしたこともあったが、満更悪くもないなと圭司は思った。


「ケイ、自分の荷物を全部持っておいで」

 ジョシーが書類を作成するのを待つ間に、すぐ近くにステラに抱かれるように座っていたケイに圭司が声をかけると、それが全てなのだろう、しばらくしてケイが小さな荷物を二つほど持って帰ってきた。


 それがストロベリー・ハウスであった出来事だ。帰る車の中で、

「圭司、本当はマフィアじゃないよね?」

とステラから尋ねられた。

「よしてくれよ。映画を真似たんだけど、もしジョシーが銃を取り出したらどうしようと冷や汗をかいてたんだ」

 そう言って圭司は肩をすくめた。


 カセットデッキからはボブ・ディランの「風に吹かれて」が流れていた。もうだいぶ寒くなっていたが、圭司はアメリカの風をいっぱい受けて車を走らせたい気分になっていた。


 ⌘


 12月1日の「ケイの誕生日」とされている日はささやかに祝った。ケイにとってはこの日はハウスに入った日であり、あまりいい思い出はないと言う。それよりもクリスマスのコンサートで頭がいっぱいなんだと笑っている。いつか、本当の誕生日がわかる日がくればいいと圭司は願った。


 ケイの親権を持つための届出をすぐに出し、裁判所へも足を数回運んだ。圭司はかなり厳しい質問も飛んだが、驚いたことにステラが、自分たちは事実婚の関係で、ケイは2人で育てるのだと堂々と言ってのけ圭司を驚かせた。

「裁判所ではそう言っておけばいいのよ」

と、ケロッとしている。圭司は圭司で、同じ日本人として自分にはケイを育てる責任がある、日本人はそういう民族なんだと裁判官を滔々と説き伏せて、養女とする前の観察期間を与えられた。しばらくの間、監察官による数回の訪問や面接があるが、もう2年以上も今の場所で店を経営していることや、ジョシー夫妻の書類の効果もあり、同居を認められたのだ。ケイが誕生日よりもはるかに喜んだことは言うまでもあるまい。


 それから、ケイがとても気にしていたのがハウスに残された他の子供たちのことだ。圭司もすぐにでも子供たちをハウスから助け出してあげたいが、ケイを養女にするための手続きを進めるためには、今はまだジョシーに書かせた書類の効力がどうしても必要だった。正式に裁判所の認可が下りる前には動けないのが圭司はもどかしかった。


「のっぽのサリー」を店の中でケイが歌い出した。教えた覚えはなかったが、そういえば昨日ケイが初期のビートルズを聴いていたのを圭司は思い出した。普通あの曲はプレスリーかリトル・リチャードを思い出すが、おそらく彼女のサリーがポールマッカートニーを真似ていると思ったのは気のせいではないと思う。

 ケイの音楽を吸収するスピードはものすごかった。圭司が憧れて日本から持ってきた古いアメリカやイギリスの音楽をどんどん取り込んでゆく。そして、その歌唱力にも圭司は舌を巻いた。シャウトしても音程を絶対はずさず、まだ子供とは思えないその音域の広さに感心するのだ。かなり耳がいいのだろう。

 耳がいいといえば、言葉を覚えるのも早いようだ。自分が日本人なら、日本語を覚えてみたいとケイが言うので圭司が少しあいさつから教えてみると、すぐに覚えるからたいしたものだ。たまに日本の歌も聴いているらしく、圭司が教えてもいないのに、いつのまにか綺麗な発音の日本語で口ずさんでいる。

 のっぽのサリーをケイが歌い終わると、お客さんから拍手と歓声が起こる。そして、ケイが突然歌い出すのは「ロック・イン・ジャパン」の名物になりつつあった。


「わあ、雪だ」

 ケイが空を見上げて言ったクリスマスの夜、店を早めに閉めてケイの計画どおりに店の前で圭司のギターにのせてミニコンサートを開いた。定番のジングルベル、マライヤキャリー、ワム、ジョンレノン。ケイとステラが一生懸命に練習したクリスマスソングを2人が1週間かけて飾り付けをしたイルミネーションの前で歌った。ハラハラと粉雪の舞うとても寒い夜だったが、圭司にとってアメリカに来て1番の、とてもいい夜だった。

 たくさんの人たちが足を止めて聴いてくれた。最後の曲はケイのしゃがれ声に大きな歓声が起き、一緒に歌う人も現れ、次々にコーラスに観客が参加して、最後にはその場にいたみんなの大合唱で幕を閉じた。


 ——ああ、いい夜だ。


 ハラハラと舞う雪が止み、そして新しい年が始まろうとしていた。


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