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郷愁

 車内はノリノリだった。カセットテープから流れる50年から60年代のロックンロール。圭とステラは運転席が広かったら踊りだしそうな勢いだ。

「ねえ、最初の曲、もう一回聴いていい?」

 中古で買って10年近く乗っているこのピックアップトラックのカセットデッキにはオートリバース機能なんていうものがついてない。片面23分のカセットテープはすぐに最後までたどり着いてしまう。

 ケイはどうやらスタンドバイミーがいたく気に入ったらしい。ダウンストロークの軽快なギターで始まるその曲は、圭司もお気に入りの一曲だ。

「このスタンドバイミーだけど、小さい頃にパパと聞いた曲とちょっと違うみたいだけど、これは誰が歌ってるの」

 ステラが聞いたスタンドバイミーなら、おそらくベン・E・キングで聴いたのだろう。

「これはジョン・レノンさ」

「ジョン・レノン?」

「ああ。元ビートルズのメンバーだ。ビートルズなら名前ぐらいは聞いたことあるだろう?」

 そうステラに言いながら、圭司はカセットを巻き戻し、再び再生を始める。

「ビートルズなら聴いたことがあるよ」

「俺にとっては神さまみたいなもんさ」

 カセットからギターが流れ出す。圭司が擦り切れるほど聴いた曲。

 その時、ケイがカセットのジョンに合わせてスタンドバイミーを歌い出した。ちょうど1オクターブ変えた完璧なユニゾン。歌詞も完璧だった。圭司はステラは思わず目を合わせて驚いた表情をしてみせると、ステラも小さく「ヒュー」と口笛を吹いた。


「なんだよ。知ってたのかい、この曲」

 ケイが歌い終わり、圭司が手のひらを向けるとケイがパチンと手のひらを合わせる。

「ううん、初めてよ」

「初めて? 嘘だろ」

「私、一回聴いたら、たいがい覚えるの」

「すげえな。特技だな」

「だって、iPodとか持ってないから何回も聞くチャンスがないんだもん。だからどこかで聴いたら、一回でちゃんと覚えて歌えるようにしてるの」

 ケイは、それがさも当然という顔をして答えた。


 ステラがカセットテープを取り出し、ひっくり返してまた入れた。そして再生ボタンを押す。静かな郷愁を覚えるメロディが流れる。「テネシーワルツ」だった。

「この曲は聴いたことがあるよ。学校の音楽の授業で習った」

 そう言いながら、ケイはまた口ずさんでいる。ステラは最後まで黙って聴いていた。一曲終わるとステラが一旦音楽を止めて、

「ちょっとクセのある英語だけど、歌ってるのはアメリカ人じゃないの?」

と圭司に聞いてきた。

「ああ。これは日本人が歌ってる」

「すごく渋い声。しゃがれ声だけど心地いい」

「だろ? この人が歌うアメリカの音楽が好きで、だからいつの間にか俺もアメリカに憧れていたんだ」

「だからアメリカに来たの?」

 圭司は返事はせずに、小さく頷いた。

「他の曲もある?」

「さっきのテープの続きがな。だけど日本語だぜ」

 圭司がそういうと、ステラは黙って再生ボタンを押した。


 ノスタルジックな前奏から曲が始まる。

「ブルース?」

「うん。ブルースロック、といえばいいかな」

 それだけ言うと、またステラは黙って聴いている。ケイも邪魔をしないように静かにしていた。

「言葉はわからないけど、なんか郷愁を誘うような曲ね。声が素敵。どんな内容なの」

「そうだな。日本に流れ着いたブルースのシンガーかな、アメリカ人の人が、故郷のテネシーへの想いを捨てきれないまま日本に骨を埋めた。それを彼女と関わりのあった少年だった男が思い出してる。そんな歌かな。俺の勝手な訳だけどな」

「タイトルは? 我が故郷、とか」

 圭司は少し言葉を飲み込んで、それから言った。

「Stella with Blue eyes(青い瞳のステラ)さ」

「圭司、それもしかして、サプライズのプロポーズしてる?」

 突然ステラが圭司をうかがうように覗き込んで聞いてきた。

「えっ? えっ? どういうことだ?」

 意味がわからず圭司が聞き直す。

「確かに私、青い瞳にテネシーよ。さっきの曲って私にプレゼントかなあって」

「ちょっと待て、ステラ。この曲はたまたま……」

「照れなくてもいいよ。私も圭司なら……、まあ、圭司がそう思ってるなら、私もそういう選択肢もちょっと考えてみても……いいよ」

「あ、あのさ。だいたい俺たちってそもそも付き合ってたか? さすがにいきなりプロポーズってのも、その、なんだか。それに、ステラは30歳だっけ? 俺と15歳も違う。もったいないだろ」

「えっ、圭司って45? 大丈夫、もう少し若く見えるよ。15歳差なら女は、っていうか私は平気だから、圭司が本気なら気にしなくてもいいよ」

 ——なんか、話が噛み合ってない気がする。

 圭司とステラがちょっと艶っぽい話をしていたそのときのことだ。

「アカイキャンディ ツツンデクレタノハ フルイ NEWS paper……」

 ケイが日本語で静かに歌い出したのだ。さっき曲をかけたばかりの「青い瞳のステラ」だった。圭司とステラは会話をやめて歌い始めたケイを見た。それに気がついたケイが歌うのをやめる。

「もしかして、それも今覚えたのかい?」

 圭司が聞くと、ケイは頷いて、

「初めて聞いた言葉だから、ちゃんと発音できたかわからないけど……。2人がちょっといい感じだったから、BGMがあったらいいなって思って」

と言う。

「いや、ちゃんと歌えていた。しかも音も完璧だ。驚いたよ」

「そうそう、あんた上手いわ」

 そう2人から言われたケイは、とてもうれしそうに笑った。そんなことがあって、それまでの噛み合わない圭司とステラの会話もすっかりと忘れられ、3人を乗せた車はアミティの街へ入っていった。


 ⌘


「ところでケイ。ちょっと寄りたいところがあるんだが、案内してくれるか」

 カセットを入れて音楽を楽しんでいるケイに圭司が話しかけた。

「どこ?」

「この街の警察署」

 それまで楽しそうに歌っていたケイが突然黙り込み、目を見開いて圭司を見ているのがわかった。

「警察署? この子は警察に届けるの?」

 代わりに返事をしたのはステラだった。

「あー、届けるというか、どうしても確かめたいことがあるんだ」

「何を確かめるの」

「昨日からずっと考えてることがあるんだけど、今はまだ言えない。でも、どうしても先にそこを確かめなきゃ、それからでなければ、この子をどうすればいいのか答えが出せなくてな」

 ステラが音楽を止め、車内が静まり返った。多分ステラももっと圭司に聞きたかったのかもしれないが、そうすると昨日のケイの体の傷のことを、本人の前で話すことになる。それは避けたかっただろう。


「パンを……、私がパンを盗んだから……、警察に連れて行くの?」

 蚊の鳴くような声で、突然ケイが口を開いた。圭司は思わず車を路肩に寄せて止めた。

「どういうことだい」

「逃げてるとき……、お腹が空いて。一個だけ……、お店のパンを」

 ぽろりとケイの大きな瞳から涙が溢れた。

「お腹が空いちゃったんだよね?」

 ステラが優しくケイに言うと、ケイは頷き、涙が止まらなくなった。ステラがそっとケイを抱きしめた。

「大丈夫だ、ケイ。そのことじゃないんだよ。別のことで確かめたいことがあってな。警察には俺だけで行くから、場所を教えてくれないか。その間、ケイはこのステラと一緒に車で待っててくれればいいんだよ」

 ——笑え。

 圭司はできるだけ笑顔を作るように、そう自分に言い聞かせた。

「本当?」

 不安そうにケイが聞く。

「もちろんだ。そのかわり、パンを食べさせてもらったお店のことも、これが終ってからでいいから、場所を教えてくれるかい?」

 そう圭司が言うと、ステラに抱かれたケイは最初少しためらっていたが、大きく頷いて、まず警察署の場所を圭司に告げた。

 車は静かに警察署の駐車場に滑り込んだ。


 ニューヨーク市警アミティ分駐署に入ると、まずは総合受付のような場所へ案内された。すでに10人ほどが並んでいる。そこでまず用件を告げると、その用件に応じた課の場所を案内されるのだ。

 圭司が「人を探している」と言うと、建物の二階にある課に行くように言われ階段を昇って言われた場所へ行く。


「ハイ」

 窓口には中年の体格のいい女性の警察官座っていて、圭司ができるだけ愛想よく声をかけると、老眼鏡だろうか、彼女は少し下に眼鏡をずらして圭司を見て微笑んだ。

「こんにちは。ええと、ご用件は?」

 見た目より優しい口調で彼女が言う。

 ——さあ、大事なとこだ。

 圭司は微笑みを絶やさないように、怪しまれないように、できるだけ丁寧な言葉で窓口の彼女に話を切り出した。

「友人に頼まれて、家出人捜索の届出に来たんだけど」

「おや、それはご心配ですね。ええと、家出の兆しとかはあったの?」

「ええ。なんか、マンハッタンの方へ行きたがってたみたいで」

「おいくつぐらいの方?」

「来月には11歳になる女の子でね。どうも華やかな街へ遊びに行きたいって前々から言ってたらしいんです」

 窓口の女性は机の脇のキャビネットから紙を1枚取り出し、圭司の目の前のカウンターへ置く。

「11歳ですか。一番華やかな街とかに興味が湧く頃ですわ。じゃあ、この書類に、いなくなった女の子の名前とか、髪の色、身長、体重……これは痩せてるとか太ってるとかの外見的な特徴を含めて、できるだけわかりやすく。それから家からいなくなったときに着てた服がわかればいいんだけど。あと、いつからいなくなったのかとか、その辺をできるだけ詳しく書いてくださいね」

「ああ、ありがとう。全く最近の子は何を考えてるんだか、歳をとるとわからなくなります。無事だといいんですが」

 圭司が心配そうな声で言う。

「昔からそうですよ。思春期の女の子なんて特に。でも、そんな子の場合、2、3日もすると帰ってくることも多いんですよ」

 届けに来た圭司を心配させまいという配慮だろう、彼女がそういう。

「そうだといいんですがね」

 彼女の言葉に少し安堵した素振りを見せて、それから圭司はボールペンを持って書類を書き始めようとした手を一旦止め、

「ああ、そうだ。その前に確認してもらっていいかな」

と彼女に聞く。

「なんでしょ」

「実はその子、街外れにあるストロベリーハウスという施設の子なんです。私はそこの奥さんから頼まれてきてるんだけど、ハウスのご主人が警察に届けなきゃとか言ってたらしいんですよね。もしかして、すでに届けてるってことはないですよね? 女の子の名前はケイ・タカハシです」

「ああ、ありえないことはないですね。ちょっと待ってくださいね。ええと、ストロベリーハウス、ストロベリーハウス、のケイと……」

 窓口の彼女がパソコンの画面を見ながらキーボードをカチャカチャと打ち、

「どうやら届出はまだされていないようですね」

「あっ、そうですか。じゃあこれで私も奥様からの依頼を果たせそう……、おっと電話だ」

 そういうと、圭司はくるりとカウンターへ背中を向け、携帯電話を手にして耳に当てた。もちろん本当に着信などあったわけではない。

「はい。はいそうです。ええ、今、警察へ来てて」

 チラリ、チラリと横目で警察官を見る。

「えっ、見つかった? 帰ってきたんですか? ええ、はい、はあ、よかった。じゃあ届出はいらないと。あっ、はい。わかりました。すぐ帰ります」

 そういうと圭司は二つ折りの携帯電話をパタリと閉じて窓口の彼女を見た。今の電話の様子から、届出がいらなくなったと彼女も察したらしい。満面の笑みを浮かべている。圭司は少し照れたように頭をかきながら、

「あなたの言うとおりでした。つい今、ハウスへケイがケロッとして帰ってきたらしいです」

「まあ、ご無事だったのなら、なによりですわ」

「いやあ、せっかく勇気を出してここまできたのに、無駄足でした。あなたにもとんだお手間を取らせましたね。申し訳ない」

「あら、いいんですのよ。こちらは仕事ですから。どうぞハウスへ帰って顔を見てあげてください」

 優しくそう言う警察官に圭司はヘラヘラと笑い、何度も頭を下げながら部屋を出た。そして部屋を出た途端に、それまでと打って変わって表情が険しくなる。

 ——少なくとももう4日目なのに、届出もしてない、か。

 出口に向かう階段でしばらく立ち止まって考えた圭司は、昨日の夜考えた、ある一つの決断をしたのだった。


「もし、今日から住む場所が変わるとしたら、ケイはどう思う? うれしいかい?」

 警察からステラとケイの待つ車に帰ってきた圭司は、まずケイの目を見ながらそう言った。

 後になってその時のことを圭司が思い出そうとしても、ケイがなんと言ったのかよく覚えていない。覚えているのはケイの瞳がじっと圭司を捉えて離さなかったこと、首を何度も縦に振ったこと、そしてその大きな目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちたことだ。

「それ、どういう意味?」

 代わってステラが口を開いた。

「もし許されるなら俺がこの子を引き取って育てる——つもりだってことだ」

 そういう圭司に、ステラは微笑みながら、

「圭司なら、そうするんじゃないかって思ってた」

と笑って言った。

「えっ、そうかい? なんでそう思うの」

「だって、私をあの店で雇ってくれた時だってそうだった」


 実は店をオープンする前、小さな店なので本当は誰も雇わずに1人でやろうかと圭司は思っていた。だから、ひっそりと従業員募集もしてなかったところへ、突然現れたのがステラだった。

 店の準備も整い、その日久しぶりにギターを持ち出して路上で弾いて帰ってきたときのことだ。

「この店、いつからオープンするの?」

 店の扉を開けようとした圭司に、確か彼女はそう言ったのを覚えている。

「ああ、明日からやろうと思ってるよ。よかったら明日のランチでも食べにきて」

「じゃあ、明日から私を雇ってくれない? 今、仕事がないの」

「いや、上手くいくかわからないから、当分は人を雇わないで1人でやろうと思ってるのさ。悪いな」

「週給はいくらでもいいから。私、こんなこと得意だから、絶対あなたの力になれると思うよ」

「でも、まだオープンするところだから、いくら出せるかわからないよ。だから……」

「じゃあ、売り上げがなかったらしばらくはタダ働きでもいいわ。いい条件でしょ? 暮らしていけなくなったら、突然黙って消えるかもしれないけど」

 ステラは屈託なく笑っていた。

「でも、それじゃあ君に悪い。俺が気が引ける」

「もう焦ったいわね。私、今日は彼氏を待たせてるから今すぐに決めてくれなきゃ時間ないの。お願い、ここで働かせて!」

 懇願するように透き通るような青い瞳で見つめるステラに、ついに圭司は押し切られる格好となった。あれからもう2年以上が過ぎた。そして今のところ店は順調で、ステラはまったく辞める気配はない。


「あの時とはだいぶ違う気もするが」

 圭司が笑う。

「あの時、圭司が雇ってくれなかったら私、希望を失ってテネシーに帰ってたかもしれない」

 照れ笑いをしながらステラが言う。

「大袈裟だな。そういえば、今頃言うのもなんだけど、なんで俺の店に来たんだい?」

「あの日さ、圭司は街角でギターを弾いてたじゃない。何を歌ってたか覚えてる?」

「えーっと、なんだったっけ」

「テネシーワルツよ」

 ——ああ、そうだ。確かに歌った。

「そうだったな」

「そう。優しい声だなって。だから、もう少し聴きたくてあなたの後を追いかけたら、あのお店に着いたのよね」

「ああ、だからいきなり話しかけてきたのか。でも、それがケイと何か関係あるのかい」

 圭司がそう言うと、ステラから笑顔が消えた。

「この子は私なのよ」

 それだけ言うと、ステラが黙った。そしてしばらくしてまた語り出した。

「私も同じようにテネシーの施設で育ったの。だから他人事じゃない」

 ステラは日頃からとても陽気な女性だった。そんな陰など見せたことがない。

「それは知らなかった」

「たぶんケイは今は安心して暮らせる場所がないの。だから、こんな子供が大人から夢を奪われる生活をしてたのなら絶対に許せない。なんとかこの子に新しい希望を与えてあげたいって昨日この子の体を見たときに思ったの。でも、私にはどうしていいかわからなくて。あなたが同じことを考えてくれていたのなら、それがとてもうれしい」

 そしてまだ泣いているケイをステラはまた抱きしめた。

「どうしたらいいのかわからないのは俺も同じだ。ただ、俺が育てます、ハイそうですかというわけにはいかないんだろうな。でも、とりあえずはハウスに行ってみるしかないな」

 それだけ言うと、圭司はエンジンをかけて、ケイが暮らしていたというストロベリーハウスへ向かって車を走らせたのだった。

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