孫一のデート。
デートだよね、これは。
鈴木お勧めの屋台の包みピザ。
ぶっちゃけ、ピロシキだと思ってたら、マジで包みピザ、カルツォーネだった。
イタリアには行ったことがないが、イタリア人とは一緒に過ごした事があって、その時同じ部隊の奴が「アイツ、マジでパスタとピザが喰えないと仕事しないんだ」ってボヤいてた時にコックが作ってたんだよな、アレ。
キャサリン氏もお勧めらしく、曰く。
「フフ。この空港に寄る時は必ず食べてるんですよ。」
だそうだ。
現物は極東アレンジが利いていて、軽く焼いたカルツォーネを更に熱々の油に軽く通したものだった。
そういや、ツッキーパパが油揚げでカルツォーネ作ってた事があったけど、発想はそんなに遠くないのかもしれない。
「パンツェロッティ、揚げピザです。」
こっちでは去年から流行ってるらしい。
厳密には最後の工程と具が違うらしくて、要はキャサリン女史の説明通りの揚げピザだった。
ピロシキはベースがパン生地なので主食感が大きいが、薄いピザ生地ならオヤツ感があるとかないとか。
正直なところ俺にとってはどちらも同じ、異国の食べ物に違いがある筈もなく。
挽肉多めのトマトソースとチーズとハムが挟まったその、熱々を美味しく頂いた。
空港からホテルまでは約1時間半の道のりなんだとか。
到着する頃にはレストランも締まってる時間帯ということで、俺とキャサリン女史は屋台を回ることにした。
鶏肉の挽肉のカツレツやら、串にささってぐるぐる巻きのソーセージやらを食べ歩いた。文字通り、そのまま美女と腕を組んだまま食べ歩いた。
ちょっとしたデート気分を一緒に味わいながら。
実際、エスコートと言うのも名ばかりで、俺は腕組んで歩いてるだけだったしな!
最後の締めは、ブリヌイとか言ってたが、要はクリームチーズと蜂蜜のクレープだった。実際、ブリヌイが表現してるのはその生地のことで、具は何でもいいらしい。サーモンとイクラとチーズを挟んだりして食べるのもメジャーなんだと。
円様程ではないが、この天使様もなかなかの大食漢、あ、いや、漢ではないか。気持ち良い量をお召し上がりになる女性だった。
最後は眠くならないようにと、コーヒーをオーダーした。
ロシアと言えばロシアンティー、濃い紅茶にジャムを入れたものかと思っていたが、今はラフ・コーヒーが市民権を得ているのだそうだ。
ラフと言うからには、粗挽きコーヒーか何かと思ったが、実際はカフェラテと言うんだろうか、ふわふわのミルクの泡とそのミルク入りの甘めの飲み物だった。
ラフ・コーヒーの名前の由来は、人名らしい。
「このコーヒーを作ってって頼んだ方のお名前が、ラファエルさんだったそうですよ。」
と、天使が答えた。コーヒーがラファエルなら、キャサリンはミカエルですねと何時もの俺なら言っただろう。
だが、次に出て来た俺の言葉は
「そうなんですね。」
の、7文字だった。
頑張れ、俺。
しかし天使の素の笑顔は、普通に眩しい。
そう言えば、屋台のおじさんやらおばさんにいろいろ声を掛けられる中、何を言ってるかサッパリ分からなかったが、キャサリン女史にはそのまま黙っているよう言われていた。
「雑賀君は目立つので、黙っていた方がよさそうです。」
と言う事だったが、実際、気にし過ぎかどうかは別として、ずっと周りに見られてた気がしなくもない。
日本人の男子が珍しいってよりも、若い男子が珍しいというような空気。
これがもしかして俺の第二のモテ期だったんじゃなかろうかと錯覚した。
簡単に説明されたが、ここでは日本人の若い男子、ってだけでも普通にモテるそうだ。
何だ、ただの極東パラダイスだった訳だ。
俺たちはコーヒーを片手に車に乗り込む。
車の後部座席に乗るよう言われ、俺はそのままバッグパックを投げ入れ、シートに座った。
12時間も座り続けていた俺にとって、美女との食べ歩きは軽い運動がてら、心と身体の栄養になった。
ありがとうございます、天使様のお陰です、と、俺は心の中で手を合わせた。
その美女に今度は運転までして頂ける。
俺はどうやったらキャサリン氏にこの大恩を返せるのか、考え始めていた。
そんな俺の気持ちを置いていくかのように、いつの間にか車は高速道路へ滑り出すように進んでいた。
「曲、掛けてもいいですか?」
と、小さなルームミラー越しに天使が聞いてきた。
断る理由もないので「どうぞ」と俺は返事をする。
小さなルームミラーに映る、ダークグレーの瞳。クッキリと描かれるその眼と眉毛のラインは、やはり、美しかった。
とは言え、ずっと見続けるのも失礼だろう。
いくら春先と言えどまだ最低気温はマイナスを割る世界、そして高速道路。
俺と言う荷物を載せているプレッシャーもあるだろうし、ここは邪魔をしないように、俺は真っ暗闇のその世界、ガラスの向こうの世界を眺めていた。
あらあら奥様、お聞きになりまして?
そしたらですよ、聴こえて来ました、天使の鼻歌が。
ラジオか何かを掛けるかと予想していたが、意外にも、民謡というか、懐かしい感じのリズムの、ゆっくりしたバイオリンかなんかの曲が掛けられた。
ああ、この天使、マジ天使。柔らかい声が母国語の発音で謳う鼻歌とか、マジ、ツッキーに聴かせてやりたい。
いや、こういうのを喜ぶのは、サトリンだったか。
聞いたことがあるはずのないその曲に、俺は何故か昔を思い出し始めていた。
幼稚園の砂場のあの頃のことを、何故か一つ、思い出した。
越田向日葵先生が、コッシーのことが俺は嫌いだった。
名前を覚えるのも苦手で、小難しい名前だったから、適当にコッシーと呼んでいたその先生を、俺は嫌いだった。
理由は一つ。あの先生は里奈ちゃんを避けていたから。いや、敵視していたから、か。
そして同様に、里奈ちゃんもあの先生を避けていた。
何だろうな、美女同士の頂点対決とでも言う、可愛げのある話じゃなく。
ある意味、コッシーの一方的な嫉妬だったんだろうか。
当時、大袈裟に言わなくても里奈ちゃんは、お嬢様であり、お姫様であり、女王様だった。
正真正銘の、プリンセスだった。
あー、何か今更ながら思い出す。今更だ。
コッシーは、里奈ちゃんパパがお迎えの時は、自ら率先して挨拶に行っていた。
割と長い立ち話。その間、里奈ちゃんはずっと震えていた。
その時のコッシーと里奈パパの会話に、里奈ちゃんの凍り付いたあの表情の理由があったんじゃないか、と、今更ながらに思う。
経験だけ積んでそこそこ大人になった今の俺なら、あのシーンの意味が分かる。分かってしまう。
ああ、そうか。
コッシーは、里奈ちゃんのその日一日の行動の報告を、里奈パパが知らないはずのそのシーンを盛り、あるいは作り、それを聞く里奈パパの心を波立てていたんだろう。あることないこと吹き込んで。
クソ、何で俺はこんなことに気付かなかったんだ。
その次の日は必ず、里奈ちゃんにアザが増えてたじゃないか。
―気付いていたとして、俺に何か出来たのか?
真っ暗なその車の窓越しに広がる、黒い世界。
心細げに広い感覚で置かれた街灯が薄く照らすその道路とその影の間、俺は一瞬、光る二つの目を見た気がした。
毎日更新、頑張れ私。
尚、イタリア人がパスタないと働かないのは軍では有名な話らしいです。