旧友
「…………」
『おーい、大丈夫かー?』
大丈夫じゃない。
結局昨夜は一睡も出来なくて…頭が痛い…目眩も酷いし…
『なあどうすんだ?せっかくランク上がったのに、ノルマサボったら降格らしいぞ?』
「そうだね…行こ…」
よたよたと壁伝いに立ち上がる。
幸い、この寄りかかっている壁がギルドの建物だ。
「こ…こんにちは…」
「わあ!ねえ…エインツィアちゃん…だっけ、昨日は路地にいなかったけど、何をしてたの?」
「ちょっと…この大陸を救ってました…」
「あらあら、そんな寝ぼけちゃって。あ、そうだわ。」
この受付嬢、いつの間にか私と顔見知りになってた。
いや、ここらで家無しの少女なんて私くらい。ちょっとした有名人になっているらしい。
受付嬢は、その少し短い銀色の髪を揺らしながら戻ってくる。
「これ、もう使わなくなったからあげるわ。」
「タオル…?ありがとうございます…」
こり切った私の肩がギシギシ言う。
「どうする?エインツィアちゃん能力に恵まれてるらしいからさ、このままDランクくらいにまで飛ばした方がいいんじゃないかって話が上がったんだけど…」
「うう…かしこまりました…」
正直、今は話が殆ど入ってこない。
「それならこれ。お願いね。」
私はクエスト内容もろくに見ずにライセンスを翳して、その書類に刻印を刻む。
なんでかって、多分ヴァルハラ以上の敵は出てこないから。
これがフラグだったら…その時考えよ。
「うう…眠い…」
『ゴチャゴチャ言うなよ。ミノタウロスの肉は良い気つけになるらしいぞ。余分に倒してもらっとこうぜ。』
へえ…ミノタウロス討伐のクエストかぁ…
『言っておくが、恐らく変真は使えねえぞ。』
「?……!?」
ディゼイの言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
変真不可?
『お前の思っている以上に、あれは負荷が大きいんだ。そもそもありゃ乱用するもんじゃねえしお前自身、魔法は使い慣れないみたいだし、お前が今そんな状態じゃ、死ぬ死なない以前に拒絶反応で実行不可だ。』
「ええ…?」
困る…あれがないと、私は本当の無能力者…
どうしよう…
『その青い顔じゃ、俺の予感は的中らしい。どーすんだよほんと。』
「どうしよう…」
『はあ…受けちまったもんは仕方ねえな。取り敢えず行ってみるぞ。その間に体力が回復するかもしれんからな。』
それから片道ざっと一時間の道のりを歩く。
ミノタウロスが鎮座する荒地だ。
やっぱり体は元には戻らず、変真は出来ないままだった。
『まあ、あいつ一体だけで我慢しようぜ。 おいそこに立て。ちょいと気い引いて見ろ。』
私は地面に落ちていた石を一つ、その老齢のミノタウロスにぶつけた。
“ブルルルル!”
他のミノタウロスは気にも止めなかったが、私達のターゲットのみが突進してきた。
「それで?」
『こっちに来るまで待つ。おい、一歩も動くなよ?』
「は?」
ミノタウロスはぐんぐんとスピードを上げていく。
“ゴロゴロゴロゴロゴロ!!”
その振動で沈下した地盤が、ミノタウロスの足止めをする。
そこでようやくディゼイの、“そこに立て”の意味が理解出来た。
この部分が、あいつの体重に耐えきれない事を計算していたのだ。
『さあて、とどめはお前が刺せ。』
「ん?どうやって?」
『ん?…あ、お前、攻撃方法無いな。』
もがくミノタウロスを眺めながら、一人と一匹は思案を巡らせる。
「うーん…」
『うーーん…』
その時、ふと通りかかった女の子が声をかける。
「あの…お困りでしたら、お手伝いしますか?」
白い髪にふわふわの獣耳。大人しそうな声だけど、私よりも年上らしい。
ん?白髪に獣耳?
『あーんと、頼めんなら頼むよ姉ちゃん。流石にこのままほっとくのもまずいからよ。』
「かしこまりました。」
そう言うと、女の子は装備していた鉄爪でミノタウロスの急所である首に一撃を与えた。
不浄な魔力で濁りきった血が吹き出して、ミノタウロスは絶命した。
「ふう…では私はこれで…あら?」
不意に、私とその子は目が合った。その瞬間、胸に熱い物が湧いてくる心地がする。
「エインツィア!?」
「マイラ…久し振りだね…」
あの孤児院を一緒に生き抜いた仲間だ。忘れる訳が無い。
私は近付こうとしたが、その前にマイラが抱きついてきた。
「会いたかったよー!エインツィア最年少だったし、中々引き取ってもらえなかったらしいから心配だったんだよー!」
「うん。会えて嬉しいよ…マイラ。」
高めの身長に、宝石みたいな瞳、モデルさんみたいなスタイルに、自己主張の激しい胸…何も変わってない。
『おいおい…やっぱお前は同性に好かれるタイプだな。相棒。』
ディゼイが私をからかってみせる。
「ああ、種類は分かんないけど使い魔まで連れて…立派な冒険者になったね…エインツィア!」
『誰が使い魔だ!』
二人と一体なのに、何だか騒がしくなっていく。
地面に埋まったままのミノタウロスを引っ張り出しながら、私はこれが昇格のためのクエストだと言う事と、魔力疲労で何も出来なかった事を話した。
「ああ、そう言う事ね。」
「うん…だから、万全な時にまた来たいな。」
「これはエインツィアが倒した様な物だって。」
「いや…気持ちはありがたいけど、体調管理を怠ったのは私。」
幸いにも、このクエストはクリアするまでは数週間受注状態が続く。
ノルマ怠慢で降格するかもしれないけど、これをクリアすれば飛び級だから問題ない。
「そう…あ、そうだ。ならせめて、私の家に来ない?」
「え?」
「ダメだったらダメで全然良いんだよ。ただ、色々話したいことがあって。」
「いいけど、こいつも一緒だよ?」
肩に乗って異様な気配を放つ、黒い塊に私は視線を落とす。
『おい、なんだそのジト目は。』
「これは元からでしょ。」
私達のやり取りを見て、クスリと笑いながらマイラは答える。
「全然良いよ。面白そうな方だし。」
マイラはその容姿には見合わぬ力でミノタウロスの骸を持ち上げると、変わらぬ足取りで歩き始めた。
◇
「ここは…王都?」
「ええ、今の私の家がある街よ。」
マイラさんがギルドの前に下ろしたミノタウロスを、荷台に乗せて大の大人が数人がかりで運んでいく。
「さてと、この先だよ。」
マイラさんに案内された家は、煌びやかな周りの建物からは少々浮いた、古びた創りをしていた。
中は思いの他質素で、部屋の中心にあるシャンデリアだけがキラキラと輝いていた。
「確か、マイラは地主さんに引き取られたんだよね。」
「うん。とっても優しい人だったよ。でも三年前…病気でね…」
良かった、マイラは幸せになれたみたいだ。
マイラはキッチンから、簡素な野菜炒めを持ってきてくれた。
「作りすぎちゃってね。」
はにかみ笑いを浮かべるマイラ。
しかし、未だに私が呼ばれた理由は…何となく分かった。
「………」
恥ずかしそうにしながら、私に体をくっつける。
獣族特有の愛情表現。マイラは、ただこれがしたかっただけなのかも。
孤児院では、私がよくマイラにしてあげてたんだけどね。
「ねえ、エインツィアってさ、あの後どんな人生だったの?」
「…聞く?」