焚火と鹿肉と遭難者と
白鯨の目撃情報があった雪山の洞窟で、吹雪が止むまで薪の前に座る。
「そう言えば、どうして闇魔法は一度消えてしまったの?」
『火の魔力の根源は火山とか紅魔石とか、極端に言えば火そのものだろ?そんな風に魔力の根源があるんだが、闇魔法に限り根源は俺自身だからよ。俺が封印されている間に使い切って無くなったんだろ。当たり前だ。』
「…ディゼイって一体何者?」
『次元の狭間には無数の魔力があって、互いに引き合う力を持つ生命の魔力が、辺りの魔力を巻き込みながら結着していったんだ。数多の種類の魔力が混濁し、同化し、昇華し、闇の力と俺が生まれた。ほらあれだろ?絵の具だって色んなの混ぜれば最後は黒だろ?』
焚火で焼いていた鹿肉を頬張りながら、ディゼイの身の上話を聞いていた。
ディゼイ曰く、理論上休みなく面白い話をしても100年はかかるんだとか。
『吹雪が少し弱まったな。行けるぞ。』
「私には少しも変わらない様に見えるけど…」
『なあに、【真崩】…いや、【真崩少女】を信じろって。』
ディゼイは傘に変わり、私は…こんな寒いのにまあ涼しげな浴衣だ事。
太ももから下は全く隠れてない上に裸足だし、ディゼイは私を殺す気なのか?
「ディゼイさ、最近私を幼女にするの好きだよね。」
『俺の気分次第だな。よし、俺持って外出てみろ。』
洞窟を塞いでいた雪を崩して、凍死覚悟で外に踏み出した。
寒い!けど、寒くない…?
今まで感じたことのない、奇妙な感覚だ。体感温度はさっきと全く変わっていないはずなのに、何というか平気。
「これは何?一体どこ弄ったの?」
『“真崩雪主”。雪ん子だぞ。具体的に言えば、お前の体温と、生命活動に必要な温度を弄った。20℃で熱中症だが、』
「何それ凄く怖い。」
『特に後遺症とかは無いぞ。安心しろ。』
違う。つまりディゼイってその気になれば私を殺せるんじゃんって事。
裸足で雪を踏みしめながら、しばしの小さな身体に戸惑う。
「…あれ?」
彼処に何か落ちてる。雪はあまり掛かっていないみたい。
荷物袋…?違う、人だ。
急いで駆け寄ってみる。向こうの崖から落ちたみたいだけど、まだ脈はある。
「落ち着け…私…」
多分零度以下の冷や汗が出てくるけど、傘を閉じて背中に背負ってその人を抱えた。
くふう…重いなぁ…こう言う時に限ってディゼイは大人しいし。
あれ…?
「おーい!誰かー!ジェット!エリオ!誰かー!」
クレバスの淵にしがみついている人が居る。
この人と同じ格好をしている。
急いでそこに向かってみる。
「クソ…もう駄目そうだ…」
もう駄目そうみたいなので思いっきり手を掴んで引っ張る。
「…!?子供!?」
「そっちの手も。落っこちちゃう前に早く。」
若干高くなった声じゃ説得力が無いけれど、その人は宙にぶら下がっていたもう一方の手も私に預けた。
ゆっくりとその男の人をクレバスから引き上げる。
「はあ…はあ…」
「大丈夫?」
「足が折れたみたいだ…ここまでか…」
それだけならば大丈夫だ。問題は傘の中で眠っている方。
「うお!?」
足が折れたらしい人は担いで、眠っている人は傘の中に入れたままそっと洞窟まで引きずっていく。
流石に足腰にくるけれど、人命第一だ。
“ガサ、ガサガサ”
さっき崩したばっかりの雪の蓋を埋め戻す。
焚火の埋み火をつついて、再び点火する。
「あ。」
いつのまにか、洞窟にもう一人逃げ込んできていた様だ。
腕を抑えていて、出血も見られる。
どうしよう…こんな時マイラが居てくれれば…いや、マイラをこんな寒いとこに居させたく無いな。
私で何とかしないと。
「う…ぐ…」
まずい、眠っている人はかなり弱り切っている。
私はナップザックから、生姜入りのお粥のポットを出す。
「飲んで。ゆっくり。」
コップに移し、その人の口に運ぶ。
ゆっくりと飲み干されて行くお粥を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「ロード、お前も生きてたのか?」
「はあ…はあ…鹿肉の匂いがしたもんでね。幻臭だと思ったが、そのお陰で命を救われた。」
見たところ、足を怪我した人は20代ほどの男性で、ロードと呼ばれた男は多分中年。今私の膝の上で眠るのは十代くらいの青年だろうか。
背負った傘から、私にだけ聞こえる声でディゼイが囁く。
『恐らくだが今夜は奇跡者も天門も動く気配が無いんで早急に帰るって言おうとしたんだけどな…お前の事だ、もう好きにしろ。』
「ごめんね、ディゼイ。」
比較的元気そうな二人には唐辛子を塗した鹿肉を渡した。
嚙み切れるか心配だったけれど、二人ともムシャムシャと美味しそうに食べてくれた。
「なあロード、俺たち死んで無いよな。」
「死んでたら怪我は痛まないはずだ。」
少年の容体も安定したみたいなので、私は無意識に地面から生えた氷柱をつついて遊ぶ。
「あ…あの、ありがとうございます?」
「どうしたジェット、相手は子供だ。」
「よく見て見ろよ、重装備の俺たちでも凍死寸前だったのに、あの子の格好見ろ。絶対人間じゃないぞ。多分エルダーフェアリーとか、その辺りだって絶対。」
「…確かにな。しかし、変わったスキルのただの少女の可能性もあるぞ。」
なんとなく気恥ずかしくなって行く。
私に対する言葉遣いなんてどうでも良いから。
◇
夜が明けて、吹雪もすっかり止んだ。
ロードさんは歩ける見たいだけど、後の二人は…
「うーん…あれ?」
いや、少年が目を覚ましたみたいだ。
「ここは…は!」
「アデル!目を覚ましたのか!」
「ジェットさん!」
立ち上がろうとするが、体のあちこちを痛めているらしく起き上がれそうに無かった。
「貴方達は何処から来たんです?」
「えっと、この山の峰の集落です。」
私は変真を解いて、動けない二人を担いだ。
「うわ!」
何とか運べそうだ。
ーー イシュエル ーー
「なるほど。これがお前の贈り物か。」
我の小屋の傍を、拡縮しながら浮遊する二頭の鯨を眺めた。
ウラウムの遺骨は、埋葬しようとしたが触れればすぐに砂とかしてしまい、仕方なく空中に散骨した。
「よしよし、良い子達だ。良い子なのか?」
取り敢えず頭を撫でてやっていると、クジラは次第に小さくなっていき、ウラウムの付けていたブレスレットの彫刻になった。
我はそのブレスレットを拾い、砂を少し払うと自分の腕に付けてみた。
案の定サイズが合わないので、首に付けてチョーカーにする事にした。
「………」
天使としての神格を失って…手放してから、何となく自分が人間的になって行く心地がする。
いい気はしないが、不快でも無かった。何故だろうか…
「この身体は…人間だからだろうか…」
昔、我はとある村を疫病から救った。
神がまだ前の神の時代。神がまだ人間を可愛がっていた時代の話だ。
魂があったが命は無かった我に、村の人間達は一人の少女を生贄に我を降臨させた。
背の骨が変形し、翼が生えるあの感覚、あれほど急速ではないが、存在が書き換えられる感覚には慣れているからだろうか。
「………」
書き換えられた…?いや、彼女は今でも、我の何処かで生きていると思いたい。
今となっては、前の神を知る者は我を含めても両手で数えられてしまう。
さらに謀反を働く素っ頓狂となれば…
ふと、小屋の床下に小さな手帳を見つける。
「?」
そこまで古い物では無いみたいだが、誰かの忘れ物だろうか。
手帳の革製の表紙には金色の刺繍で、[アデル]と綴られていた。
人間は無くしたら困る物に自分の名前を書くらしい。
…届けるべきか。
“ガタリ…”
手帳を持ち、外に出る。
確かこの山の麓に集落があった筈だ。
先ずはそこを当たってみることにしようか。