救済の奇蹟者
私が新居の中に始めて入ったのは、あれから一週間後の夕暮れの事だった。
小規模な天来とデイリークエストの繰り返しで、私には少しも暇が無かった。
『ほお。吹きさらしやら野宿やらよりはマシじゃ無えか?』
「こんな一等地の一戸建て…一体幾らだったんだろう…」
『一が好きだなお前。』
歴史を感じるうねうねとした装飾品や、必要あるかどうか微妙なぶら下がり照明から、ここがかなり昔に建てられた物だと分かった。
ライフラインとなっている魔法植物もかなり年代物らしく、暖炉の火炎草にはかなりの数の光霊が住み着いていた。
『清掃の魔法?豪邸にしか付かない高級オプションじゃねえか?』
「昔は違ったんだよ。きっと。」
ほとんど留守にするであろう私にとっては好都合だ。
「…困ったなぁ、自分の住む家なんて初めて。何すれば良い?」
『んなもんくつろぎゃいいんだよ。そんな事も教えにゃならんのか?』
「………」
『はあぁぁぁ…全く手間のかかる奴だなぁ…まず靴脱げ。』
◇
なんだか不思議な気分だ。
室内なのに誰にも気を使わなくても良いなんて。
『晩飯食ったか?歯あ磨いたか?風呂入ったか?』
「うん。それじゃ…おやs…」
『着替えろ。ウーライド海沖に天来発生だ。書き換えられる災害は“災害級の高潮”。グズグズすんな。』
「…分かった。」
断眠八日目。
激しいせん妄の中での出撃だ。
“ガチャ…”
夜は冷えるので、羽織っている外套に袖を通して灯の殆ど無い夜の街に出た。
郊外に出て、月明かりに浮かぶ海岸に着いて、そのまま海面を滑走し始めた。
「うーん…」
『しっかりしろ。もうすぐ目的地だぞ。』
波が私の道を開けて、水が私の道を作る。
だんだんと、空に大きく輝く印が見えてきた。
昼間よく見る幻覚とは全く違う、本物の天門だ。
“ザバァァァァァァン…ザバァァァァァァン…,
天文からは、大きな塊のような物が海に向かって落ちていた。
同時に、海からは島の様に大きな鯨が何頭も現れる。
『んじゃ、いつもの行くか!』
ディゼイはいつもの様に姿を変える。今日は…指揮棒?
途端に私の体は少し小さくなり、背後には無数の巨大な砲身が現れる。短いもの、長くて太い物、二つに別れているもの。質感は一緒でも形は様々だ。
私自身の服装は、ミニスカートに胸にはサラシ、髪はツインテール、外套はそのままだけど、大きすぎて袖が通らない。
いつのまにか、私は海の上に浮かぶ丸くて黒い土台らしき板の上に立っていた。
『“真崩海塞“。脳筋ロリは気に入ったか?』
「貴方の趣味はどうでも良い。」
指揮棒を右に一振りすると、右側の全ての砲身が上を向き、天門を爆撃する。
ガラスの割れる音と共に光は消え、辺りを再び青白い月明かりが包む。
それと同時に、八頭の白鯨が遊泳を始めて海と空が荒れ始める。
“ドゴン!ドゴン!ドゴオオオン!”
不意に雷の一撃が私に襲いかかる。
バク転で回避して、雷は私の乗っていた土台に当たるが、砕けた筈の土台は着水する瞬間に再び足元に現れた。
こんな武装を背負っているのに、我ながら随分と身軽な物だなぁ…
指揮棒を振るうと、背後の砲身が目の前に立ち塞る巨鯨の一頭に集中砲火する。
“〜〜〜オオオオオオオオ!!!”
轟音が響き、一頭は沈んで行く。
それと同時に、ようやくクジラは私の存在に気づいた様だ。
沈みかけのクジラを足場に飛び石の様に移動して、群の中心に移動する。
砲身を右と左の二手に分けて放火を始める。
“ドン!ドドン!”
右側のクジラは沈むが、左側は火力が足りなかった様だ。
まだ沈み切っていない右側のクジラをストッパーに、一番巨大な砲撃を放った。
“ドゴオオオオオン!”
弾頭はクジラを貫通し、奥のもう一頭まで仕留めた。
と、別な二頭が迫ってくる。
背中の武装のうち、二叉の砲身とと大きめの砲身をそれぞれ左右の腕に装着して、海の上を走る。
迫ってくるクジラの一頭に飛び乗り、右腕の砲身で頭を打ち抜く。
隣の一頭は左腕の物と、背後の数本で砲撃して沈めた。
「残るは二頭…」
その時、上空から光り輝くなにかが降りてきた。
そこから光線が放たれ、私は慌てて隣のクジラに飛び乗った。
さっき私の乗っていたクジラが音もなく消し炭になって行くのを見て、静かに唾を飲む。
「へえ。噂には聞いてたけど、本当に居たんだ。【真崩少女】。」
「天使…?違う、聖人?」
白いローブに金色の仮面。背中には四枚の翼。
「当たりだね。それも誇り高き奇蹟者、ウラウム様だ。」
五芒星のあしらわれた杖を振り翳しながら、聖人はゆっくりと生存しているクジラの上に着地する。
『奇蹟者ってのは、ヴァルハラの力が現世に働くパイプ見たいな役割だ。』
「つまり?」
『そこらの天使よりは注意しな。』
ウラウムはその杖を振り上げると、二頭のクジラがだんだんと浮き上がり始めた。
同時に金色の装甲も現れ、空には光の線が現れる。
「歴史的にも世にも珍しい【真崩少女】と一戦交えたいけれど、交戦は避ける様言われてんだよね。」
光の線はクジラの額に繋がり、クジラはそのラインに沿って飛行して行った。
私も直ぐに追おうとしたけれど、数回の雷撃と、海中から現れた別なクジラに阻まれる。
どうやら一匹隠れていた様だ。
“ドドドドドドン!”
一斉放火を浴びせたけれど、倒し切る頃には聖人と二頭のクジラはどこかに消えてしまっていた。
『チイ…』
「どうする?まだ近くにいる筈だよ。」
『いやよく見ろ、もうすぐ朝だ。これ以上の深追いは出来んぞ。』
「…そう。残念。」
◇
早朝、私達は帰宅する。
何となく気分が涼んでいた。
「あいつらの場所とか分かるの?」
『俺が感知できるのは天門の位置だ。一度此処に降りてきたら捕捉は難しいだろうな。』
「そっか。なんか、ごめんね。私がもう少ししっかりしてれば…」
『お互い様だ。俺だってお前を馬車馬みたいに働かせたのは悪いと思っている。』
ディゼイは晴れ渡った空を眺めながら呟く。
『交戦は控える様に…か。』
「それより…休暇をとる…久し振りに眠りたい。」
◇
「ぐひゅう…」
年季の入ったベッドに身を沈める。
全く、一ヶ月の有給休暇を取るのに三十分も問答を続けるなんて思わなかった。
どうせならサボりがちのダメ冒険者で通した方が、今の私は楽なのかも知れない。
『しっかり寝とけ。夜には奴らの捜索だぞ。』
「ぐう…ぐう…」
『…へえ、可愛い寝顔じゃねえか。』
ーー イシュエル ーー
暖炎草に魔力を焚べる度、この簡素な小屋は暖まってくる。
“パチパチ…パチパチ…”
人間とは実に変わった場所に家を建てる。
まさか、こんな雪山の中腹にまで建っているとは思っても見なかった。
すでに人は去った後だが、暖炉や家財は使える状態だ。
「べ。」
煤けた鏡を擦り、舌に刻まれた紋章を意味も無く眺める。
蛇のつがいが、人間の頭骨に巻きついている模様だ。
「あの硬派なイシュエル様にしては。随分とお洒落なタトゥーだな。」
鏡越しに、我の後ろの人影が見える。
「…ウラウム。何の用だ。もう我はお前の指揮官では無いぞ。」
「いやーそんな寂しい事言うなって。恩師に顔見せに来たって良いじゃ無いの。」
ウラウムは暖炉の前の木組み椅子に腰掛ける。
「でも実際の目的はそれだけじゃあ無い。どうやら君はヴァルハラの反逆者らしいんで始末して来いって上から言われてんのさ。ま、慈愛に満ちた神さまにしては随分と物騒な指令だけどね。」
「粛清命令を受けているのなら、何故【白鯨使役】を使わない。」
「鯨は今外に留めてある。武装レベル4の奴を二体。」
ウラウムの力はよく知っている。
産まれながらのスキル【白鯨使役】に、聖人になる事で得られる共通スキル【基本光魔法】。
「何に備えているのだ?武装レベルを下げて数を増やせば良いでは無いか。」
「そうも行かない見たいでさ。まあ、あんたの今の親玉に上も警戒してるからね。」
ウラウムは懐から長銃を抜き、我の頭に狙いを定める。
「イシュエル様、ずっとあんたを慕って来たんだ。あんたの命令だったらなんでも出来た。疫病から俺の街が救われたのも、聖人になったのもあんたのお陰様さ。だからあんたの答えを聞かせてくれ、反逆か、それとも更生か。」
「…そんなもの、ダルファラ様を殺めた時から決まっている。」
「でしょうね。奇蹟者ウラウムは戦闘を開始し、堕天使イシュエルの粛清を決行したが、」
と、ウラウムは自らの頭にその長銃を突き付ける。
「執行者の戦闘力が足りず、返り討ちにされた。…イシュエル様の答え、従いますよ。」
鈍い銃声が狭い小屋に響き、既に風化しきった一組の人骨が部屋に散乱した。