2、教室
永遠に続くかと思われた教室の喧騒は、入り口の戸が開かれる音によって終止符を打たれた。大きく開かれた入り口から教室に入ってきたダークスーツ姿の男は、まるでひとり芝居の役者が舞台中央へと歩むように、生徒たちの注目を一身に浴びながら教壇中央へと進んだ。教壇中央で立ち止まった男は、ゆっくりと生徒たちの方へ身体を向けた。
この役者じみた男が担任教師なのだろう。教壇中央に置かれた教卓に資料を置くと、生徒たちに背を向けてチョークを持った右手を大きく上方に突き出した。どこまでも役者じみた行動だ。チョークの先端が黒板と触れ合い、カツン音をたてたところで一呼吸置いてから、何やら文字を書き始めた。生徒たちの視線がチョークの描く軌跡を追う。
入 澤 章 裕
男は自分の書いた文字を満足そうに眺めた後、振り向いて生徒たちに爽やかな笑顔を送る。
「入澤章裕。今日から君たちの担任となりました。人生には数々の出会いがあります。この出会いが君たちの人生にとって有意義なものとなるよう、努力して行きたいと思います。よろしく!」
台詞まで役者じみている。こんな奴が担任教師かと思うと先が思いやられる。だが、そう思っているのはボクくらいなのかも知れない。周囲の女子たちの声がボクの耳に飛び込んできた。
「カッコイイ」
「ヤリィ、入澤担任ゲット!」
この入澤という担任教師、情報通の者たちには人気の教師らしい。しかし、学園の内情に疎いボクには、入澤章裕についての予備知識は皆無だった。
この男、確かにイケメンと言えばイケメンだ。スレンダーながらその下の筋肉を想像させるよう、計算され尽くしたダークスーツを着込み、髪を七三のツーブロックに仕上げて前髪をひとつまみ額に垂らしている。そして、彼の印象を最も決定づけているのは、その整った顔に浮かべた爽やかな笑顔だろう。完璧と言って良いほどの『細マッチョの爽やかイケメン』だ。ボクにとって、ここまで完全に作り込まれた容姿は、イケメンキャラのフィギュアにしか見えない。そしてボクにはイケメンフィギュアを愛でる趣味は無い。ボクにとっては最も苦手なタイプの男だ。
入澤の自己紹介に続いて質問コーナー。周囲の女子たちには重要なことなのかも知れないが、彼が独身だろうが既婚だろうが、彼女が居ようが居まいが、ボクにとってはどうでも良いことだった。あまりに興味の湧かない内容に飽きて、ボクは窓外の青い空を眺めていた。
その時、開かれていた窓から吹く春風に混じって、花の香りがボクの鼻孔をくすぐった。
この香りは……、カサブランカ!
カサブランカとは百合の一種で、花の時期は夏だ。春に咲く花ではない。しかし、花屋へ行けば一年中咲いているカサブランカの花を買うことが出来るのだから、この季節に香りが漂ってきたからと言って、さほど不思議な事ではないのかも知れない。
だが、この花の香りは、雪山に大きく裂けたクレバスのように、ボクの記憶に深く刻み込まれていた。