カ・ク・シ・ゴ・ト? ~四人は今日も平和です~
俺達四人は、獲物を見定める狼のごとき眼光で睨み合っていた。
額からは脂汗がにじみ、内心ではあまりにも唐突に訪れたピンチに震えが止まらない。
おそらく、他の三人も同じはずだ。
メンバーは男女がそれぞれ二人ずつだが、今この時に性別など関係ない。
気を抜けばやられる。次に放つ一言が自分の命運を決めるのだと、その場の全員が理解していた。
じりじり、じりじりと。
間合いをうかがう様に機を見計らいながら、思う。
(どうしてこうなった?)
きっかけは、たあいもない事だった。
幼稚園の頃からずっと一緒だった四人組は、中学生に上がってもやっぱり一緒。
「今日の昼メシ、屋上で食おうぜ!」
「いいわよ」
「さんせーっ」
「おっけー」
四人のムードメーカー的存在にして俺以外では唯一の男子であるケンジが言い出せば、読書好きで頭が良い知的美人なミカが賛同し、活発的で身長や声やその他いろいろ大きいナナと、校内一のイケメンである以外に取り柄のない俺ことナオヤが後に続く。
いつもの流れ、いつものパターン。おかしな事はなにもない、はずだった。
昼食を食べ終わりだらだらしていたところ、同じように屋上にいた女子達が談笑しながらすぐ側を通り過ぎて行く。
「――でさー、その子ったら気が付いた時には彼氏つくってたんだよ? もーびっくりしちゃってさー。『抜け駆けかコノヤロー!』って、ついケンカしちゃった」
「わかるわかる。だって幼稚園からの幼馴染みだったんでしょ? 前もって一言くらい欲しいよねぇ」
「えー? いくら幼馴染みだからって、そこまで教えるかなぁ? むしろあたしだったら最後まで隠し通すね!」
「甘いわね。そういうとこから友情ってのは崩れていくもんなのよ! 長い付き合いであればあるほど――」
そうしてその女子達は、屋上の出入り口である扉へと消えていった。
気が付けば俺たち全員の背筋がぴんと伸び、耳を悪魔のごとく立たせている。さらには頬を強ばらせている表情までもが、全く同じ。
だとすれば、考えている事まで同じはず。
しかしそこまでは良かった。例え言いたいことがあろうとも、そこで何事もなかったように振る舞えていれば、俺達は平和なままでいられたはずなんだ。
だが。
「なあ……お前ら」
そうはならなかった。
「――恋人なんて、いないよな……?」
ケンジの一言を皮切りに。
俺達は戦闘態勢へと移行した。
そうして、今の状況に至る。
俺達はいまだ無言のまま、目線だけで応酬を続けていた。
「「「「……」」」」
誰かが口を開こうとすれば、別の誰かが視線で制し。
誰かが一歩後退すれば、他の三人がすかさず詰める。
敵前逃亡は許されず、降伏は認められない。
生き残るためには戦いの道しか、残されてはいないのだ。
(だが、どうする?)
迂闊な発言を許さないのは、下手をすればそれを引き金にズルズルと場の流れが決まってしまう事を恐れているから。
つまり雰囲気に流され、考えがまとまらないままうっかり言いたくないことまで喋ってしまうことを避けたい。うちらわりと流され系の四人なので。
ウソかホントかはさておき、仮に俺が「恋人なんていない」と言ったとする。他の三人がそれに同調し、誰も恋人なんていないよかったよかったとなれば無難だが、たぶんそうはならない。
少なくともケンジだけは、俺達の有罪を疑っているからだ。
ヤツはお調子者の反面、仲間はずれの気配には人一倍するどい。一度疑問を持ってしまった以上、自分が納得いくまで徹底的に追求してくるだろう。
となると、次に要求してくるものは証拠だ。恋人などいないという、決定的な証拠。
それさえあればいかにしつこいケンジとて諦めるはず。
だがしかし、そんなもの――
(はっ)
ある! そしてそれはケンジ自身へのカウンターにもなる!
(いけるぞっ)
俺はケンジに悟らせないほど素早く、女子二人へとアイコンタクトを送る。
さすがは以心伝心の二人。何も聞かずともこちらの意図を察し、小さく頷いてくれた。
「ケンジ」
二人を味方に付けた今、俺の言葉を阻むものはいなかった。
「俺に恋人なんていない」
「ほお……」
ケンジはあからさまにこちらの言葉を疑っていた。深々と眉をひそめ、ヒゲもないくせに家臣の進言を吟味する王様のごとく顎を撫でている。
「それ……証明できるんだろうな?」
予想通り、ケンジは証拠を要求してきた。
(狙い通り!)
俺は勝利を確信する。
堂々と胸を張って、言ってやる。
「できる」
「なんだと?」
ヤツ自身難しいと思っていたのだろう。こっちがあまりにもはっきり断言したので、かえって驚いていた。
「どうやってだ」
「これだ」
俺は下の制服のポケットから『ソレ』を取り出した。
ケンジの両眼が見開かれる。
「……スマホ?」
「恋人となれば当然二人っきりでお出かけする。デートをする。となればだ、連絡先の交換くらい当たり前にしてるはずだろ」
「え? そうかな――ごふっ!?」
人が一世一代の迫真の演技をしているところに横から口を挟もうとしたナナ(おろかもの)が、ミカから肘打ちを喰らっていた。ナイスミカ。
余計な邪魔が入らないうちに畳み掛ける。
「つまり全員のスマホを調べて、それらしいモノが出て来なければ全員無罪ってこと。……どうだ?」
ケンジはしばらく腕を組んで考えていたが、一理あるとは感じたらしい。やがてこくりと頷いた。
「じゃあさっそく――」
言いながら伸ばしてきたケンジの腕から、ひょいとスマホを遠ざける。
怪訝そうなケンジに向かって、反対の手を広げて突き出した。
「た、だ、し。お前には一つだけ条件を飲んでもらう」
「条件だぁ?」
「そうだ」
突き出した腕がゆらりと泳ぎ、人差し指を槍より真っ直ぐ伸ばしきる。
「一番最初に、お前のスマホを見せてもらおうか!」
びしっと指を突き付けながら宣言した。
これこそ俺の思い描いた逆転劇に他ならない。
いくらケンジといえど、自分のスマホの中身が荒らされるなどごめんなはずだ。もしヤツが拒否すれば、それを大義名分として逆襲し、この話をうやむやにする事ができる。
さっすが俺!
考える事までイケメンだなっ!
ナナとミカと三人で、笑顔でサムズアップした瞬間だった。
「ああ、いいよ別に」
ケンジはあっさりと、こっちにスマホを寄越してみせた。
「「「……え?」」」
「どうぞご自由に。もうロックは外してあるから」
「「「…………え?」」」
呆然とする俺達の前で、ケンジが本当にどうでもよさそうにひらひらと手を振っている。
事態が飲み込めない。何がどうなっている?
まさか本当に中を見られてもなんともないというのか!?
(バカなッありえん!)
動揺に震える指で操作する。四人で頭を寄せ合い、画面を覗き込む。
電話帳……LINE……画像まで調べるが、ケンジは一切口を挟まない。
むしろ驚愕の息を漏らしたのは、俺達の方だった。
「うそ……でしょ……?」
ミカが唖然として、口を両手で押さえている。
ナナはあまりの世の無常さに、光を失った目で天を仰いでいた。
気持ちは分かる。俺だって、今の心をどう表現すればよいのか分からない。
恋人の痕跡が見つかったのではない。いや、そうであった方がどれだけ良かっただろうか。
ケンジのスマホには――何もなかった。
俺達三人と、親。連絡先として存在したのは、たったそれだけ。
(こいつ……っ)
胸が熱くなる。涙が溢れそうになる。
(俺達以外に友達いなかったのか!)
「……」
言葉もなくスマホを持ち主へと返す。
ケンジは、かつてないほどの無表情でそれを受け取った。
どうしよう。
気まずすぎて謝る気にもなれない。
だから――
「さて、それじゃあ……」
おもむろに口を開いたケンジの氷つきそうな声に、恐れるより先にほっとしてしまった。
「お前達のスマホも、しっかりと見せてもらおうかあっ!」
無理矢理張り上げた声というのは、逆に痛々しいものだと初めて知った。
むむむ……これは予想外な展開だ。こうなっては拒否する事は不可能に近い。
ナナとミカも、失敗した俺に殺人鬼じみた形相を向けてくるし。
ええい、仕方がない!
「……わかった」
俺は自分のスマホを差し出す。差し出すしかなかった。
「ごねたわりに、素直に渡すんだな」
「ま、お前の覚悟を見ちまったからな」
思い出すとまだ泣けてくる。
それだけの傷を与えてしまった以上、もはや無傷では取り返しがつくまい。
次に犠牲になるのは、失敗者である俺自身がちょうどいい。
二度と戻れない故郷を見る様に、手元から離れていくスマホを見つめる。
ミカとナナの二人は、戦地へ向かう兵士を送るべく、神妙な面持ちで見事な敬礼を行っていた。
「貴方の勇姿を、我々は決して忘れないでしょう」
「ご武運を!」
「ありがとう!」
俺も劣らずびしっとした礼を返す。なんだかちょっと楽しくなってきたぞ。
そんな俺達の小芝居を、スマホを弄りつつケンジが冷静に切り捨てた。
「アホか、どうせあれだ。エロ画像でも入ってんだろ」
「身も蓋もねぇことを言うなあっ!」
「疑っててなんだが、お前は俺と同じくらい残念だから、まあまずねーだろうと思ってる」
けっけと笑うケンジ。
……なんだろう。ついさっきまで心底同情していたのに、今はこいつをとにかくぶっ飛ばしてぇ!
「これは俺達との写真か……こっちは――――ッ!?」
ケンジの全身が。
あっという間に石化した。
(やべ)
つぅ、と背中を冷や汗が伝う。
「? どうしたのよ?」
「なにかあったー?」
ケンジの様子を不審に思った二人も近付いていき……
二人揃ってびしり! と氷像のごとく固まった。かちんこちんだった。
やがて氷が溶ける様に三人の時間が戻り始める。
「――ぷっ」
「――くっ」
「あっは――」
多少の違いはあれど、三人ともが肩を震わせる。
それを見て、悟る。
「ふ……」
(終わったな)
もう、生きてはいられない。
俺は今生に別れを告げるべく、屋上のフェンスまで猛ダッシュを仕掛けたが、運動系では四人で最高を誇るナナに速攻で捕まった。
「やめろおおおー! はなせええええ! 死なせてくれええええっっ!!!」
「ま、まあまあおちつ……ぶふっ! いて……クク……!」
「噴き出しながら止めるんじゃねえええええええっ!!」
そんなこんなしている間に他の二人も追いついて、結局元の場所まで戻されてしまった。
俺はたださめざめと涙を流し、袖を濡らすばかり。
「うっうっ……もうお嫁にいけない……」
「いやいやいや、予想外だったけどおもしれぇよこれ……ぶはっははは!」
「てんめぇえええええっ!」
親の仇に飛び掛かる勢いでケンジと取っ組み合っていると、今度はミカが俺のスマホを片手にやってきた。
彼女も微妙にニヤニヤと口端を歪めていたが、他の二人ほどあからさまでないだけましだ。
「でもこれ、よく見てみると結構いい仕上がりよ。一体どうしたのナオヤ? この……ぷっ……『女装』」
我慢するなら最後まで貫き通してほしかったなぁー。
ミカは訊ねながらスマホの画面を向けてくる。
そこにはそう、俺が女装してノリノリでポーズを決めている写真が何枚も写っていた!
死にてぇ!
「いやあのほらさぁ……俺って超イケメンじゃん?」
「はんっ」
鼻で笑われた!?
「と、とにかく、それで俺は考えたんだよ。世の中かわいい女の子の方が何かとお得じゃん? だからイケメンの俺なら女装して女の子になっちまえば人生イージーモード決定だわって」
「……で?」
うわあ、視線がゴミ虫を見るものになってらっしゃる。
「そんで母親が使ってたカツラやら化粧セットやらを借りてちょっとやってみたら『あれ? 意外とマジで悪くないんじゃねぇ?』って楽しくなって、つい調子に乗ってしまいました」
ちなみに最後は母に見つかって張り倒された。
なんか悔しかったから写真だけでも残しておいたんだが、まさかこんな事になろうとは!
「くっ……女装の才能が仇になったか」
「本当は反省してないだろお前」
ケンジが呆れ顔で突っ込んでくる。
ほっといてください。
「おらぁ! 俺のこたぁもういいだろっ。次行くぞ次ぃっ」
ここまできてしまえばもはや怖いものは何もない。
俺も躊躇なく暴く側に回ってやんぜこのヤロウっ。
残るは女子二人のみ。俺とケンジの視線を受けて、ミカとナナは「ひぃっ」と互いの身体を抱き締める。
それに対し両手を広げて迫る俺達は、端から見たら通報されても文句を言えないかもしれない。
二人ともが、出血多量なゾンビじみた動きだからなおさらだ。
だからこそ、さらなる同類を増やすためにも容赦はしない。
「お前らも~こっちの世界にこいよ~」
「痛みも恐怖も~なんにもない楽園が待ってるぞ~」
「やっばいクスリ食っちゃった人にしか見えないよ!?」
「行くところまで行き着いた人間の末路ね!?」
ケンジと仲良くおいでおいでと手招きしていると、ミカが覚悟を決めた顔つきで、おもむろに前に進み出てきた。
「ミカちゃん!?」
ナナが悲痛な叫びをあげると、ミカは全てを悟ったほほえみで、彼女の方へ振り返る。
「大丈夫、貴女は私が守るからね」
「やめてぇっ死亡フラグを立てないでぇ!」
この二人の寸劇、無駄にクオリティが高い。
演劇部にでも入ればいいのに。
そう考えていると、ミカが再びキリッとした表情で俺達へ向き直った。
「約束なさい、私のスマホの中さえ見ればナナだけは見逃すと!」
(かっこええ……)
人生で一度は言ってみたいセリフの上位に入るヤツだ。
ケンジと顔を見合わせる。どうやらお互い、同じ事を考えているようだ。
「「中身しだい?」」
ミカはすかさず、スマホを投げ渡してきた。
手裏剣みたく回転して飛んできたスマホは、すっぽりと俺の手に収まった。
曲芸師かよ、ますます演劇向きなヤツだ。
受け取ったスマホを見れば、すでに画面は開かれている。
(どれどれ)
俺とケンジの二人は血眼になって何かを探す。
ケンジはどうだかしらないが、俺はもう恋人だとかどうだっていいので、何か面白いモンはないだろうかとそれだけを意識して探している。
できれば、俺の女装に匹敵するモノが望ましい。
(なんか、なんかないか……!)
連絡先や画像は、俺と大差はない。
ちょっと意外だ。ミカは頭も良くて見た目も良い。一見取っつきにくそうに見えるが、これで相当情に厚い性格だから周囲の人望もかなりのものだ。
さぞやたくさんの交流を持っているだろうと思っていたから、少し驚いた。
それに気付いているのかいないのか、ケンジはまだ血走った目つきで画面を睨んでいる。
――と。
「んん?」
何かを発見したのか、ケンジが怪訝そうに声をあげた。
「何かみっけたのか?」
「これ見てみ、インターネットの検索履歴」
「ぴっ――ッ!?」
俺とケンジは奇声のした方を見る。
そこではさっきまですまし顔で横を向いていたミカが、腹でも下したのかと思うほど視線をグルグルと泳がせている。
((ピーン))
当然、それを見逃す俺達ではなく。
「さぁがせケンジ! 履歴の中にヤツの急所がある!」
「心配するなぁ! とうに見つけている!」
「なんと!?」
「これだっ! 『男子禁制の館』!!」
「ぎゃああああああああっっ!?」
ケンジが高々とスマホを掲げると、ミカが太陽に焼かれた吸血鬼の様に身悶えている。
しかも、反応したのはミカだけではなかった。
「あの……それ私も興味あります……!」
おずおずと俺達の側に寄ってきたナナは、気のせいでなければ瞳の奥を輝かせて実に楽しそうにしている。
ミカが、信じられないものを見る目でナナを呼ぶ。
「ナァナァ!?」
「ごめんねミカちゃん。好奇心には友情だって勝てないんだよ」
こいつも結構良い性格してるよな。
「じゃあ開くぞっ」
「あああああああああああああああッッ!!?」
ケンジの合図と同時に放たれたミカの断末魔を背景曲に、ついにそのページが開かれる。
一言で言ってしまえば、それは。
――新世界であった。
記号で現わせば、男×男的な。
目の前で魂が抜けて真っ白になっているミカを尻目に、俺はケンジの肩に手を置いた。
「ケンジよ。どうやら俺達は新たな世界への扉に手を掛けてしまったようだ」
「ああ、これはあまりにも危険な世界だ。まだ俺達の手に余る。厳重に封印しておくべきだな」
「あ、私はもうサイト名記憶したから閉じていいよー♪」
げっそりしている俺達とは対照的に、ナナ一人だけ頬がツヤツヤしていた。
つええなこいつ……
「あ……」
ケンジが驚いたふうに声を漏らした。
なにかと視線を向ければ、いつの間にやら立ち直ったミカが、自分のスマホを取り返していた。
半泣きで抱きかかえる様にスマホを両腕で胸に当てている姿には、さすがの俺とケンジも罪悪感を覚える。
ケンジの背中を小突いて、耳元で囁く。
(おい、やり過ぎたんじゃねぇの? 謝った方がよさそうだぞ)
(う、うーん……だけど、こっちだって相当痛い思いしてるわけだし……)
(ダメだって! 女が泣いたら理屈じゃないって母が言ってたしっ)
もっと言うのであれば「もし女を泣かしたらコロス」とも言われている。
一度は捨てようとした命ではあるが、思い直せばやっぱり惜しい。
俺は自分一人だけでも助かろうと土下座の準備に入ったが、その前にミカがゆらゆらと近付いてきた。
幽霊の様に顔を伏せているので、どんな表情なのか全く分からないのが怖すぎる。
俺とケンジの前でぴたりと止まり、俺達は「ひい」と喉の奥が裏返る。
「…………い」
「え?」
ぼそぼそとミカの唇が動いている。
耳を澄ますより先に、ミカの頭ががばっとはね上がった。
「ホモが嫌いな女子などいないっ!!」
世界にヒビが入る音が聞こえた。
全身をゆでダコのように染め上げ、ぷるぷると肩を震わし、真っ黒な髪先を逆立たせた姿に、一つの真理をかいま見た気がした。
これはいける。何がいけるのかは自分でも良く分かっていないが、きっといける。
俺とケンジは拳を打ち合わせ、ナナは極上の笑顔でぐっと拳を握り込み、ミカは平手を思い切り振り上げた――
「……さて、いろいろあったが約束通り今回の件はこれで――」
「ダメよ」
「「「え?」」」
頬にしっかりともみじを張り付けた俺とケンジがミカとの約束通り、ナナへの追求はやめておこうと言おうとしたのを止めたのは、約束を取り付けた本人であるミカであった。
その声は刃よりも凄まじい切れ味で、ゆるゆると終わりに向かっていた空気を真っ二つにぶったぎっていった。
「裏切り者には死を」
ナナの笑顔が瞬間に硬直する。冷や汗が頬を流れ、顎先から滴り落ちた。
そんなナナを見つめるミカの目つきは、怨敵を三代に渡って祟り、いよいよ最後の敵を恨み殺さんとする怨霊そのものだった。
(うわあ)
直接向けられているわけでもないのに肌が痺れるほど、ミカの怒りが充満しているのがわかる。
とてもじゃないが、口を挟める状況じゃない。
こいつ……ヤる気だ!
ケンジと二人、恐怖に膝をがくがくさせながら成り行きを見守っていると、
「ふふ……仕方ないね……」
驚いた事に、先に動いたのはナナの方。
スカート左側のポケットからスマホを取り出し、受けとったこちらが拍子抜けするほどすんなりと手渡してきた。
「さあどうぞどうぞ! ロックはもう解除してあるから、思う存分調べちゃって良いよっ」
「…………」
明らかに怪しい。怪しいが、ナナのスマホがミカの手にあり、手渡されるところを俺自身の目で確認している。少なくとも、その一連の動きに違和感はなかった。
(もしかして、ミカが?)
共犯なのではないかという考えが一瞬頭をよぎったが、すぐにそれを打ち消した。
さっき見せたミカの怒りは演技でできるそれじゃない。現に今も、怪しい言動をするナナの事を、ガサ入れにきたベテラン刑事ばりの眼光で睨み続けている。
あんな目付きで睨め付けられたとしたら、俺だったら仮に無実だとしてもそっと土下座の体勢に移行してしまうことだろう。
あれでもし演技だというなら、俺は十三才という若さで女の本当の恐ろしさを心に刻まなくてはならなくなる。
そんなさみしい青春はごめんなので、ミカは本気だと信じる事にする。
「ほらほらどうしたの? 遠慮せずガンガンどうぞ! 清廉潔白な私には隠しごとなど存在しないからっ」
「……ぬぅ」
こやつ煽ってきおる、ぬかしよる。
本来詰め寄られるべきナナの方が、俺達に自信満々な笑顔で迫ってくるこの状況。
明らかにおかしい。
おかしいはずと、分かってはいるのだが……
(ええい! 考えていても埒があかんっ)
ナナの思惑がどうであれ、どのみちスマホを探らない事にはどうにもならない。
ミカにスマホを手渡すよう、手振りで催促する。
彼女は相変わらず凶悪事件調査中の刑事のごとき形相であらせられましたので、ちょっと腰が引けてしまいましたが、顔の向きはナナへ向けたまま目線とスマホを持った腕だけ無造作にこちらに寄越してきました。
やめて! 仕事の機会を窺ってる殺し屋みたく「ちっ視線を背けるのも億劫だぜ」って態度とるのやめて! まじで怖いからっ。
ケンジと二人、びくびくしながら受け取ったスマホを見る。
……
…………
………………?
「おかしなところは、特に……」
「ああ、ない、よな?」
俺達と同じく連絡先に画像、さきの経験を踏まえネットの閲覧先まで一通り見回してみたが、不審な点は見つからなかった。
まさか、本当に清廉潔白だというのか? だからこそのあの自信?
(そんなバカな)
本当にそうだったらそもそも最初にケンジに話を振られたとき、俺達と鍔迫り合いじみた空気のせめぎ合いを演じる必要もない。さっさと自分のスマホを差し出していれば、いの一番に疑いは晴れていたはず。
そうしなかったという事は、つまりそういうことなはずだ。
(なんだ、俺達は何を見落としている?)
ミカなら何か分かるかも。
俺達男子には思いもよらない事を、同じ女子なら思い付くのではないだろうか。
なんせほれ、禁じられた館の同士ですし。
新世界の住人としての勘を、存分に発揮していただこう!
「ミカ、お前だけが最後の希望だ」
俺が世界の命運を託す様にスマホを差し出すと、すかさずケンジも悪乗りしてきた。
ガクッと崩れ落ちて片膝を付き、腹の辺りを手で押さえ、ラスボス直前に瀕死の重傷を負った戦士の眼差しで、救世主のごとくミカを見つめる。
「くっ……俺達はここまでだ。構わずに先に行け、この無念はお前に__」
「いいからさっさと寄越しなさい」
「「ひいっ!?」」
ぶったぎられた!?
こええ!?
殺し屋モード継続中じゃねえか!?
これ以上刺激しないようささっとスマホを渡し、忍者もかくやの静けさでしゅたっと離れ、ケンジと二人で直立不動。
ダメだ、今のミカは何がきっかけで爆発するか分からない不発弾も同然。
息を殺し声を潜め、存在を影にしていなくては危険だっ。
(俺達は空気。俺達は壁)
自己暗示を掛けるべく、ひたすらぶつぶつと呟いていると、ナナが怪しい人の集まりを避ける様に二歩離れた。
やめて、ちょっと傷付くから。
(しかし、気になる)
ナナのやつ、スマホがミカの手に渡ったというのに、笑みが消えていない。
あの状態のミカであっても、おそるるに足らずとでも言うのか。
「ふんふんふん♪」
鼻歌まで歌い始めてやがるだと。
なんなんだあの余裕!?
(頼むぜミカぁ……!)
心の中で手を合わせて祈る。
きゃつの化けの皮を剥がしてくれい!
念力を込めてミカの方を見るが……
「……何やってんだあれ?」
こっちは思いっ切りごしごしと胸の前で両手を擦り合わせていたケンジが、不思議そうに首を傾げた。
俺も全く同感だ。
ミカは受け取ったスマホの画面を開く事もせず、じっと外装を眺めているのみ。
かと思えば、急にスマホをぽんぽんと手のひらで弄ぶように投げてみたり、おもむろにガワを外してみたり、どうにも要領を得ない事をやり始める。
「なあミカ」
「ああん?」
「――さん……何か、お気付きになられましたか?」
やべぇ! まだこえぇ! 思わず敬語になっちったよ!
早く元に戻って! 姐さん!
ミカは、弄んでいたスマホを握り締めた。
その表情はほとんどが髪に埋もれて見えなかったが、唯一口元が吊り上がっていくのだけがやたら鮮明に見えた。
「ねぇナナ」
「なにかな? ミカちゃん」
「ふふ、ふふふふふ……詰めが甘かったわねぇ……!」
「な――っ、ど、どういう意味さっ!?」
なんか唐突に訪れたクライマックス感。
ミカの問いに、ついさっきまでゆるゆるだったナナの表情筋が強ばっていく。
なんかあれだ。ミステリーもので、主人公が真犯人を追い詰めていく感じのやつ。
俺はあの状況で置いてけぼりにされる第三者の「はぁ?」って顔した時の気持ちが今、痛いほどに良く分かる。
なぜなら、今まさにそんな顔してるから。
はあぁ?
横を見ればケンジも腕を組んでは同じ顔をしている。
「ホワット?」
微妙に違ったが、うん、ニュアンスは大体同じだからいいだろう。
ミカの追求は進む。
「貴女のスマホ、綺麗よね」
「さ、最近機種変したからね。そそ、それがどうしたのさ?」
「綺麗すぎるわよナナ。まるであらかじめ、こういう事態を想定して用意していたかのように」
「――――ッ!?」
「貴女、スマホの装飾にはかなりこだわっていたわよね? 他の人の目には見えない内装にまで施しているほどに。つまり――」
「くっ……」
そろそろ、コーラとスナック菓子が欲しくなってきた。できればキャラメル味が良い。
「ケンジ、何か甘いモン持ってねぇ?」
「ウエハースなら常備しているぞ」
「じゃあそれで」
もそもそと男二人で、ウエハースを囓っていると、いよいよ物語のクライマックスが近付いていた。
ミカがビシッと断罪の鎌に代わり、人差し指を突き付けた。
「貴女が差し出したスマホはダミーだったという事よ!」
「「な、なんだってー!?」」
とりあえず驚いてみる。
いや、わざとらしいだろうが、実はワリとマジだ。
あれがダミーという事は、すなわちナナは――
ミカの叫びに、電撃に打たれたように項垂れていたナナの体が、ぴくりと動く。
「ふ」
初めはわずかな震動に過ぎなかったそれは、徐々に波打ち、少女の肩を大きく震わせていく。
「ふっふふふふふふ……!」
顔を上げたナナの表情はそれまでと一変。悲壮な覚悟を湛えていた。
生憎の雲一つない晴天だが、後ろが曇り空であればさぞや映えただろうに。
「良くぞ見破ったね、さすがはミカちゃん。少々見くびっていたよ」
よく付き合うなぁこいつも。
おもむろに懐に手を入れたナナは、警戒して身構えるミカをはじめ、俺達に見せつけるようにゆっくりと何かを抜き取る。
――そう、それはまさしく、ナナの本当のスマホだった。
「まさかこれを見せる事になるとはね」
「お前わざわざもう一個のスマホ買ってたの? こんな小芝居する為だけに? アホだろ」
さすがに呆れて突っ込むと、ナナは心外とばかりに憤慨した。
「小芝居じゃなーい! ケンちゃんの気まぐれ封じだよ! 現にこうなってるし! アホはケンちゃんだよっ」
「「たしかに」」
「うおいっ!? 納得すんなよ二人とも!」
俺とミカが同意すると、当のアホから抗議がくるが、あっさりと無視する。
この件でこいつに意見する資格はない。
まあ、それはそれとして……
「観念するのねナナ。もう逃げ場はないわよ」
じりじりと圧力を掛けながらナナへと迫るミカ。さきの恨みを忘れてはいないらしい。
ところがナナは、やけっぱちの笑みで受け答えた。
「いいのかな? そんなに近付いちゃって」
「なんですって?」
「こうするんだよ!」
ナナは自身のスマホを握った腕を、屋上のフェンスの外へと突き出した。
……
「……で?」
「で、じゃないよ。もし私がこの手を離せば探りたかった秘密ごとスマホが木っ端微塵なんだからっ」
「えーっとぉ……」
いや、どう考えてもその腕を放して一番困るのはお前自身だと思うんだが……
木っ端微塵になるのは、お前の心だと思うんだが……
「へいへいどうしたのさ? チキンかいチキン!」
「腹立つなぁこいつ!」
やけくそで無茶苦茶やってるようにしか見えんワケだが、ここまでしなきゃならんほどの秘密ってなんなのだろうか。
その時、動いた者がいた。
「ナナ、もういいわ」
「ミカっ!?」
「アネキッ!?」
「ミカちゃん……」
誰だどさくさ紛れにアネキって言ったヤツ。俺じゃない時点で一人しかおらんけど。
「貴女の覚悟、しかと見届けたわ。さっきの事は悔しいけど、そこまでして隠そうとする事を暴こうとは思えない」
「み、ミカちゃん」
なんかいい話になろうとしている。二人の目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
だけど俺は知っている。一歩後ろから見ているから分かる。
ミカの後ろ手に、目薬が握られている事を。
「さ、仲直りしましょうナナ。今日はそれで、全てが終わるわ」
「み……ミカじゃああああん!」
ナナがぶわっと泣きながら近付いてきたところを、ミカは女神のごとき包容力で両手を広げて迎え入れ――
「ふんぬっ!」
「はぐぁ!?」
ガッチリとホールド。
みしみしと肋骨が軋む音が聞こえるほどの強度で親友を締め付けつつ、ミカは叫ぶ。
「さあ二人とも! さっさとこの愚か者の手からスマホを奪い取りなさいっ」
「み、ミカちゃん……なん、で……?」
「ごめんなさいねナナ」
ミカは拘束を続けたまま、口元だけをナナの耳にそっと寄せる。
「好奇心には友情だって勝てないのよ」
鬼だ。
俺は心の底から震え上がった。
――こうして俺達四人はまんべんなく致命傷を負った。
ちなみに、ナナがあそこまでして隠し通そうとした秘密とは――
「デンジャラス・ストロベリー先生やべぇっす」
「デンジャラス・ストロベリー先生ぱねぇっす」
「アイスクリームっぽくて、良いと思うわよ……ぶはっ」
「ぐぬああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!?」
ナナは死んだ。
デンジャラスなストロベリーだから仕方がない。
まさかあんな、精神汚染レベルの魔道書を隠し持っていたとは。
俺は慰めるために、ナナの肩に手を置いた。
「気にすんなデンジャラス。いつかお前の天上界級のポエムを理解してくれる誰かが現われるさストロベリー」
「ブッコロスよナオヤ君っ!」
ぜぇはぁと息も絶え絶えなナナ。
なにはともあれ、だ。
「んでケンジ、満足したか?」
「ん?」
「んじゃねぇよ。元はといえば、お前が俺達に恋人がどうのなんて疑い持った事が原因だろうが。ここまでやったんだ。疑いは晴れたんだろうな?」
というか、これでまだ疑うとか許さん。
他の二人も同様のようで、剣呑な目付きでケンジを不気味に睨んでいる。
ケンジはふいに、遠い目付きになった。
「ああ、もう十分だ」
「そうか」
「疑って悪かったな。今回の件はこれで――」
「ああ~~ケーンジー♪ 今日の放課後、遊びに行こーよー♡」
唐突に響いた砂糖菓子のようにあまあまな声色。
見れば、屋上の入り口から女子生徒が一人手を振っている。
誰に? いや、答えは知っている。
俺達は一斉に犯人に視線を向ける。これは凶悪な事件である。
犯人はだらだらと冷や汗を流しながら視線を背ける。
俺はただ、静かに訊ねた。
「ケンジ、あれは、ダレ?」
「こ、恋人じゃないよ? 最近できた、女友達」
「スマホにはいなかったようだが?」
「あの子、珍しくスマホ持ってないらしいから……」
「ふぅ……」
「はぁ……」
「へぇ……」
俺達三人はすたっと同時に立ち上がり、各々拳を構えた。
ケンジは逃げ場もなく後退る。
「ちょ、やめ、ごめ――っ」
「「「くたばれこんの裏切りモンがあああああああああああっっっ!」」」
その一撃は、晴天に良く響いた。
中学一年の、天気の良い昼休みのことだった。