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漆黒の絶望峰  作者: 香久山ルイ
7/8

黒瑪瑙

 髪を、切った。

 よく聞く、失恋とかいう理由だ。

 私のこれは失恋……なのかしら?

 そもそも私と彼は両想いというので合っているの? わからない。

 わからないから、きっと、






 これは、永遠の片想い……だ。






 何があったか、端的に言うと、


 彼が、死んだ。

 私の首を浅く切り裂いて、そのまま血を吐いて倒れた。私はそこでようやく……そう、本当にようやく、冷静に、正常な判断を下した。

 まあ大したことではない。ただ救急車を呼んだだけ。




 私が来たときにはもう、彼は吐血していたのに、

 目に見えて重症だったのに、

 ……一体何をしていたのか。


 呪いのせい、と言ってもわからないだろうから、突然倒れた、と告げた。

 例によって、原因不明、死因は心不全とされた。

 死因は、心不全とされた。


 彼はあのとき、確かに私の首に刃を突き立てた。けれど、それは私の命を奪うには至らず、代わり、握りしめていた黒水晶が砕けた。


 何も、なくなった。

病院に搬送されるなり、彼の死亡が確認された。

 私は淡々とその事実を聞き入れた。いや、聞き入れるしかできなかった。

 私だけ助かってしまった。

 そんな、絶望、喪失、失望……?

 暗い感情ばかりが私を囲った。


 ほどなくして、彼の家族がやってきたが、私には合わせる顔がなかった。だって、彼は私が殺してしまったようなものだ。今更どんな顔をして会えと?

 けれど、私の判断が遅れて彼を死なせてしまったことを明かしても、彼の家族が私を責めることはなかった。

 それどころか、慰めてくれたのだ。優しい。

優しすぎる。

 ……その優しさが、痛くて仕方なかった。

 そういえば、彼の家族に会うのは初めてだったかもしれない。幼なじみ、といえば、そうだったかもしれないけれど、家族ぐるみの付き合いというのはなかったし、そもそも彼と交わした少ない言葉の中に、家族の話はなかったように思う。

 家は近かったのだが。




 今思えば、何故そんな距離感で好きになったのか、普通の人には、理解できないだろう。それくらい、私の感情が歪なのを、改めて自覚させられた。


 名乗ると、近所の子だということはわかったらしい。……というか、意外なほどに反応が返ってきた。ああ、貴女があの子の言っていた、などと。

 どうやら普段寡黙な彼は、家では私のことだけはやたらと喋っていたらしく、特にお姉さんは食いつきがよくて、私に、後でおうちにいらっしゃい、なんて言われた。

 慌てて断るが、弟のことで話があるの、と真剣な声色で言われたら、断るに断れなかった。

 彼の家に行くのは初めてだ。

 もう彼はいないというのに……いや、だからこそかもしれないが、緊張した。

 近所なのにね。

 私は傍目から見たら滑稽に見えるほどぎこちない仕種で呼び鈴を押した。するとすぐ、玄関の扉ががちゃりと開いて、お姉さんが出てきた。

 上がって上がって、と私の緊張を知ってか知らずか、お姉さんはフランクに言った。まあ、ここまで来たら上がるより外ないのだが、それでも私には躊躇いがあり、お邪魔します、と唱えた声が尻すぼみになってしまった。


 通されたのは、女の人の部屋というには少々殺風景な部屋だった。白いベッドと勉強机。本棚に置いてある「花言葉事典」やら「パワーストーン全集」といった題の本だけが、なんとなく女の子っぽさを醸し出していた。

 いきなり私室に通されるとは思っておらず、おたおたと戸惑っていた私に適当に座って、とお姉さんは押し入れから出した簡易のちゃぶ台を広げた。そのちゃぶ台を部屋の真ん中に置き、ちょっと部屋から持ってくるものがあるから、と言って去った。

 ……ん、部屋?

 おかしいな、ここは、お姉さんの部屋じゃないんだろうか。

 ……まさか。

 もう一度、本棚を見る。

 花言葉、パワーストーン……そう、よく見ればこのラインナップは、彼が、彼が好きで、よく話していたものばかりだ。まさか、まさか……

 そんな「まさか」という感情に動かされて、私は机にある教科書を一冊取り出した。裏表紙を見ても、持ち主の名前はない。そういえば彼は、自分の名前を書くのを好かなかった。

 いやいや、それだけじゃ説明にならない、と思っていると、教科書からぽたりと、栞が落ちた。──彼の名前が書かれた栞。

 物に名前を書かない代わり、名前を書いた付箋やら栞をつけておくのが、彼の癖だった。


 何故……

 私の手が震えて、とさりと教科書が落ちると同時、お姉さんが戻ってきた。

「あれ、まだ座ってなかったの? ……ん、顔色悪いよ?」

 大丈夫? と心配そうな顔で歩み寄ってくるお姉さんの顔が、兄弟だからか彼に似ていて、私は思わず頬に伸ばされた手から逃れようと身動いだ。

「だ、いじょぶ、です」

 途切れ途切れの掠れた声には説得力が欠片もなかった。お姉さんは少し訝しげな顔をしたが、納得したようで、離れてくれた。

 入口に置き去りにしていたものを、お姉さんはちゃぶ台に持ってきた。見てほしいんだ、と私に示すそれは、箱だった。プレゼント用のお菓子の箱のような、可愛らしいパッケージだ。

 開けると、中には大量の封筒。飾り気のないそれらの表には全て、私宛てということが記されていた。

 彼の字で。

 お姉さんが言う。

「弟から預かっていた、遺書よ」


 遺書……?

 その言葉の意味を、私の脳は理解したくないらしく、真っ白になった。

 フリーズした私に、お姉さんが苦笑いを向ける。

「あいつね、根暗だからね、いつも遺書を書いては私に預けてたんだ。いつ死んでもいいようにってさ。自分から死ぬ、なんて行動は採らなかったけど、笑えるくらい後ろ向きでさ。

 例えば修学旅行で飛行機に乗るときなんか、墜落するかもしれないとか、通学途中に暴走車が突っ込んできて巻き込まれるかもしれないとか、泳げないからプールで溺れるかもしれない……とかさ。本当、ネガティブ極まれりだよね」

 でさ、とからから笑ってお姉さんは告げる。

「驚くべきことに、渡される遺書は一通たりとも家族宛てじゃなくて、貴女宛てなの」

 ……くしゃりと、心臓が握り潰されるような心地がした。


 私は、恐る恐る、一通目を開いた。


『これを今貴女が読んでいるということは、僕は死んでいるのですね』


『死因はどうあれ、貴女を巻き込んでいなければ、それ以上を望みません』


 大体、全ての手紙に、そういった旨の内容が記されていた。「これを読んでいるのなら死因はおそらく〜」など死因について書かれている部分が、何故か面白おかしく、つい笑みを浮かべてしまう。遺書だというのに。

「あ、やっと笑った」

「……え?」

 お姉さんに指摘され、私はきょとんとする。ずっと泣いてるみたいだったよ、と言われ、泣きたくなった。




 彼はもしかして、私の笑顔を望んで書いてくれたのかな。とてもやり方が、不器用だけれど。


 最後の一通を開く。一昨日渡されたものだ、とお姉さんは教えてくれた。


『これを今貴女が読んでいるということは、僕は死んでいるということでしょうね。

 ごめんなさい。これまで貴女を巻き込みたくないと思っていたはずなのに、今回は違うんです。

 僕はきっと、貴女を殺そうとするのです。けれどそれをできずに死ぬのです。

 あまりに意気地のない死に方ですので、せめてもの抵抗に、想いを告げておきます。




 ずっと貴女が、好きです』


 涙腺が、決壊した。

 馬鹿馬鹿馬鹿。

 その罵倒は果たして、誰に向けられたものなのか。

 自分の言葉なのに、判別できなかった。


 涙した私を気遣って、お姉さんはしばらく優しく私の肩をぽんぽんと叩いてくれた。

 久しく忘れていた彼の手にそれが重なる。彼は私が哀しんでいるのに気づくと、いつもそうしてくれていた。


 落ち着くと、お姉さんが控えめな声で、贈り物も預かっているの、と告げた。

 そろりと顔を上げて、差し出されたものを見つめる。それは黒い石だった。黒水晶と比べたら、透明度はかなり高く、同じ黒いものだけれど、宝石と形容してもおかしくないであろう品。前回と同じく、ネックレスのようにあしらってある。

 私は調べた知識から、その石の名前を口にした。

「……オニキス」

 またの名を、黒瑪瑙。

 名前の由来はギリシャ語で「爪」。黒という不吉な色とは裏腹に、かなり立派な護り石なのだ。

 瑪瑙の名の通り、男女間などの縁を保つ石であり、

 それとは別にマイナスな感情の起伏を抑え、立ち直らせてくれる。




 そんな想いのこもった贈り物を私は大切に抱きしめて、


「あなたが持っていたらよかったのに」


 と呟いた。



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