黒百合
すれ違うたび、心臓が五月蝿い。
ただ貴女というだけで。
けれど貴女は僕を見てはくれない。
僕はそのことが虚しくて、いつも貴女の視線の先を追う。貴女が僕でないものを見る理由を探す。
するとその先にはいつも、僕でない誰かがいる。
そいつにはいつも僕に向けるぎこちない会釈とは違う本当の微笑みを向けていて、楽しそうに談笑している。僕と交わした言葉は、あんなにも少ないのに。
ねぇ、貴女は僕の何が気に入らないの? 貴女はどうして僕を見てくれないの? どうして僕の方に来てくれないの? 貴女と僕の距離は、いつから遠くなってしまったの?
遠ざかる背に手を伸ばすのは、遅すぎた。
人混みの向こう側。
頭だけが、顔だけが透ける人だかりという名の壁の向こう。貴女の姿は見えるのに、その距離は遠くて遠くて遠すぎて。手なんて人だかりにもみくちゃにされて、いつの間にか落ちていた。諦めと共に、僕の傍らで握りしめられていた。
全部全部、人だかりが悪い。
貴女の視線を奪うあいつが悪い。
自分の弱さと意気地のなさに目を背けた僕は、たまたまめくった植物図鑑で、ある花に目を惹かれた。
『黒百合』
名の示す通り黒い百合。高山植物。
それにその花は古より人を呪うのに使われたという。
花言葉は『恋』と『呪い』。
──気づけば僕は、呪法を探して文献を漁っていた。
最も簡単な呪法として書かれていたのはこれだ。
『黒百合を一輪と呪いたい相手の名前を書いた紙、そして自らの髪を一筋、共に焼く』
とても簡単だった。
効果のほどは、知れない。
しかし僕の不幸は、貴女以外の名前を知らないということ。
ああ、けれどいいかな。
貴女を呪ってしまおう。
呪い殺してしまおう。
万が一、失敗しても、呪いは僕に返る。……そうして、死んでしまうのもいいな、なんて。
僕は自分の髪一筋と、黒百合と貴女の名前を書いた紙を燃やし尽くした。燃え尽きるのを見届けて、煙たくて、咳き込んだ。
気がついたら、吐血していた。
ああ、失敗したのか。それならよかった。
結局僕は愚かだった。
望んでいたのは貴女の死ではなく、
自らの死だったのだから。