淡い光 ロレンス
オルディアの町ではこんな出来事もありました。
本編ではあまり語られないロレンスの心の内は……。
「何だ、やりあったのか?」
ジェラルドの言葉に僅かに痛む口元に手をやった。
「そんなに酷いか?」
すると彼は肩をすくめた。
「まあ、殴られたと分かるくらいには」
それを聞いて内心、面倒な事をしてくれたと思う。
さっきまで町に出ていたのだ。そこで体格のいい男に絡まれた。まあよくある事だった。自分の顔は時々、不要ないざこざを呼び寄せる。女性に近づくのには苦労しないが、男を相手にするのにはあまり褒められたものではなかった。
今日も典型的なパターンだった。
隣にやってきた酔った男が「女みてぇな顔だな」と野次を飛ばしてきたのだ。
珍しい事ではないため、もちろん無視した。それが気に入らなかったらしい男はいきなり殴りかかってきたのだ。ただの酔っ払いだ。殴り返せば黙るかと思えば、逆上した男は剣まで抜いた。
見くびられたものだった。自分の顔はどうも相手を油断させる効果まであるらしい。これでも腕にはそれなりに自信がある。二、三度剣を交えただけで持っていた剣を弾かれた馬鹿な男は、あっけなく降参した。
……酷い顔だな。
鏡を覗き込んでみると、切れた口の端では血が滲んだまま固まり、うっすらと青く腫れて熱を持っていた。
朝には痣になるか……。
だが今更仕方がない。とりあえず、顔を洗って血を落とす。明日の彼女たちの反応を心配しながら眠りについた。
朝、思ったとおり、私の顔を見た途端にサーシャが悲痛な声を上げた。
「喧嘩したの!?」
何とも可愛らしい言い方だった。喧嘩、とは。剣を抜いて打ち合ったと言ったら気絶してしまうかもしれない。
「ちゃんと消毒した?」
「洗ったよ」
適当に返すとアイリスには呆れたような顔をされる。
「ロレンス、こっちに来て座って」
彼女が何をしようとしているのかは明らかだった。
「別にいい。ちょっと口が切れただけだ」
何故か世話になりたくない気分だった。大した怪我ではないのだ。わざわざ魔法で治してもらわなくてもすぐに治る。
それに、やや面白そうな表情のジェラルドと興味津々な様子のサーシャが気になった。なんとなく見世物の様な気分だ。
「今がチャンスよ。私の体力がない時は治せって言っても治してあげないんだから」
アイリスはそれに気づいたのか悪戯っぽく言った。
「ロレンス、顔に傷が残ったら大変よ。綺麗な顔なのに」
サーシャは大真面目だ。それに思わず苦笑する。
「サーシャに言われるとはね。そう思わないか?」
私は敢えてジェラルドを見て言った。
「……あ?……あ、あぁ」
自分に飛び火するとは思っていなかったらしいジェラルドはなんとも間の抜けた返事だった。サーシャを見て口篭るように言う。私の意図に気づいたらしいアイリスは声を出さずに笑う。その顔のまま「早くこっちに来て」と促す。
私はそれに満足して、大人しくアイリスの言葉に従うことにした。大人気ないとは分かっているが、ジェラルドの意外な一面を知ってからはどうもからかいたくなるのだ。今まで散々やられてきた仕返しだ。このくらいは許されるだろう。
ソファーに座ると、サーシャも目を輝かせて近づいてきた。初めて見る治癒魔法への期待が隠しきれていない。
こういう時のサーシャは何を言っても駄目だった。言っても話を聞いていないし、興味が最優先されてしまう。今更、やっぱり止めておくなどと言えば、アイリスではなくサーシャに引き止められる事になるのは目に見えていた。
アイリスが呪文を呟くと、軽く握った手の中に淡い緑色の光が生まれた。彼女が私の顔の側でそっと手を開くと光はふわっと飛んで口元に吸い込まれるように消えた。口から頬にかけてじんわりとした温かさが広がった。
「すごい……、治ったわ!」
サーシャの感心したような声でこれで終わりだと知る。自分では口元がどうなっているかは見えない。
触れてみると、確かに切れていたところが元に戻っている。痣も消えたのだろう。
「ありがとう」
それを聞くとアイリスはちょっと首を傾げてどこか困ったように微笑んだ。
細められた明るいエメラルド色の瞳はいつもより数段優しい。いつも思うことだが、何も言わずに微笑むアイリスは綺麗だった。ぱっと目を引く派手な美人ではないが、彼女には年齢のわりに落ち着いた、大人びた美しさがあった。
ややそっけない態度が嫌味にならないのは、彼女の雰囲気のなせる業だろう。必要以上には笑わないし、男性に媚びたりはしない。同じ貴族の娘でも、これは彼女と上辺を取り繕う令嬢たちとの大きな違いだった。社交界を嫌っている本人は知らないだろうが、アイリスは男性の間では密かな有名人だった。近寄りがたい、高嶺の花として。
アイリスを見つめたまま動かない私に彼女は怪訝そうな顔をした。
「もう、終わったわよ?」
「……ああ」
曖昧に返事をして何事もなかったかのように立ち上がる。
はしゃぐサーシャの声を背中に聞きながら、まだどこか光の温かさが残るような口元を指でなぞった。
そうだ。急ぐ必要はどこにもない。
まだ先程の光のような淡い想いは、これから強くなるのだろう。
私はその根拠のない確信に、自然と頬が緩むのを感じていた。