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あの日の温もりと追憶の旋律

作者: イツキ

Twitterのワンライ企画で書いたものです。お題:廃墟とピアノ、耳を擽るテノールボイス

 小鳥たちの囀りが聞こえる。揺れる梢の音、近くを流れる小川のせせらぎ、時折足元を横切る小さな虫。その全てを懐かしく思いながら、エリカは森の奥を目指した。これから土に還る落ち葉と、それを押し退けようと芽生え始めた新緑を靴底に感じながら、深く息を吐く。一歩踏み出す度、幼い頃に友達と駆け回った思い出が蘇ってくる。それはエリカにとってかけがえのない宝物であるのと同時に、チクチクと胸を痛めつける棘でもあった。

「久しぶり、ね」

 目的の場所で足を止め、誰にともなくエリカは呟いた。もしかしたら、かつてそこにあったもの達へ、だったのかもしれない。

 噎せ返るほど命の息吹が溢れる森の中で、そこは異質な場所だった。土は黒く焦げ、炭と化した倒木があちらこちらに転がっている。その中央にあるのは小さな小屋だった。こちらもやはり全焼し、今では壁の一部と基礎部分くらいしか残っていない。こんな状態になったのは随分前のはずだが、ろくに片付けもされないまま年月が過ぎたようだ。

 意を決し、エリカは小屋へ向かって歩き始めた。無造作に散らばっている瓦礫に躓かないように、自然と歩調はゆっくりとしたものになる――或いは、自分の中にある恐怖心がそうさせているのかもしれなかった。

 脛ほどの高さしか残っていなかった壁を乗り越え、室内だった筈の空間に入り込む。家の備品もやはり、焼け焦げたまま放置されていた。元の面影が見て取れる物など無いに等しかったが、その中でも一際存在感を放つ品があった――小振りのピアノである。

「……これは、残ってたのね」

 厚く積もった煤と埃を払いながら、エリカは過去の記憶を辿った。昔ここに住んでいた少年のことだ。音楽が好きで、歌が上手かった。よくエリカがピアノを弾き、彼がそれに合わせて歌ったものだ。その時間が、エリカは何よりも好きだった。だが、彼は死んでしまった――エリカのせいで。


 彼は生まれつき身体が弱く、不治の病を患っていた。どんな医師の手にかかっても、どんな薬を使っても治らない彼の病気を村人達は『悪魔の呪いだ』言って、森の中に閉じ込めた。ピアノは、そんな彼のせめてもの慰めに与えられた物だった。

 世話は村の人間が交代で行い、子供達は『呪いが移るから近付いてはいけないよ』と強く言い含められ小屋から遠ざけられた。無論エリカも例外ではなく、寧ろ領主の娘であったがためにより厳しく言いつけられていた。だが子供というのは禁止されるほどにそれを破りたがる生き物で、ある日エリカはこっそりと小屋の近くまで一人で遊びに来た――そして聴いたのだ、彼の歌声を。

 窮屈な小屋に閉じ込められながらも、明るさと奔放さを忘れない伸びやかな声だった。時に兎のように飛び跳ね、時に凪いだ海のように静かになり、まるで鮮やかな別世界が目の前に広がったようで、エリカはあっという間に虜になった。

 何度か隠れて歌声を聴いているうちに彼の方がエリカを見つけ、たちまち二人は仲良くなった。歌い、ピアノを弾き、彼の体調が良いときは森で遊んだ。

 ――しかし、そんな輝くような毎日は突然終わりを告げた。世話に来ていた村人が、二人が遊んでいる現場を見咎めたのである。


 怒り狂った父は、呪いを浄化するのだと言って小屋に火を放つよう命じた。彼は縄で縛られて、小屋の中に転がされた。

 訳が分からなかった。言い付けを破ったのは自分なのだから、罰せられるべきは自分だ。なぜ彼にそんなことをするのか。必死に父に訴えたが、全く聞き入れて貰えなかった。思えば父は盲信的な部分があったから、娘を呪いから遠ざけようと必死だったのかもしれない。だからといって、許せるものではないが。


 それから、ここには一切立ち寄ったことがなかった。禁じられていたのは勿論、エリカ自身も行こうとは思わなかった。エリカが大人に見つからなければ、或いは好奇心に負けてここへ訪れるようなことがなければ。もしかしたら、彼はまだここで静かに暮らしていたかもしれない。そう考えると、悲しみと後悔で潰れてしまいそうだった。

 その後は大きな戦争が始まり、父もエリカも村を捨てて逃げざるを得なかった。ここを訪れるのは、実に十年ぶりになる。今更だが、節目の年に彼に謝罪と祈りを捧げ、何か遺品のひとつでも持ち帰れれば、と思ったである。

 ひとしきり汚れを落としたピアノを眺める。炎に包まれたわりに状態はいい。何気なく鍵盤に触れてみると、予想に反してポーンと澄んだ音が鳴る。なんとなくピアノが喜んでいるように思えて、エリカは僅かに微笑む。再び弾かれる日を待ってくれていたような、そんな気がしたのだ。思い込みでも良かった。今日は、眠っている彼のためにピアノを弾こう。

 そのまま指を滑らせる。奏でるのは、在りし日によく弾いていた軽快なリズムの曲だ。やはり調律が狂っているのかところどころ音がおかしかったが、どうにか形にはなる。曲と共に、かつての情景が目の前に蘇っていく。

「いつか、僕らは緑の丘を越え――」

 二人で歌っていた詞を、今は独りで歌う。はしゃいだ笑顔、澄んだ声。それらがすぐ傍にあるようだった。知らず知らず、頬を雫が伝う。

「虹のふもとの、宝物を探しに……」

 声が詰まる。嗚咽で言葉が途切れて、続きが歌えなかった。自然と手も止まる。いくら弾いても、あの日はもう帰ってこない。当たり前の事実を今更胸に受け止め、エリカは泣いた。この歌の最後で、二人の子供は宝物を探して旅に出る。いつかは私たちも、なんて約束もしたけれど、そんな日が訪れることはなかった。だから、この先は辛くてとても歌えない。そう思い返して、ピアノに突っ伏しかけた時だった。

「僕は君の手を取るから、君は地図を持って、さぁ旅立とう――」

 無音になったと思った廃墟に、不意に甘やかなテノールが響く。途切れた歌の続きだった。

 まさか、とエリカは絶句した。記憶にあるものよりは幾分低い声。だが、エリカが彼の声を聞き間違える筈がない。信じられない思いで、声のした方を振り向く。

「どうしたの? 続きを弾いてよ、エリカ」

「……嘘」

 思わず呟いた言葉に、突如現れた青年は苦笑した。背が高くなった。顔付きも少し鋭くなった。けれど、そんな事で分からなくなるわけがない。

「嘘じゃないよ。宝物、探しに行くんでしょう?」

「――レオ!」

 思わず飛び付いたエリカの身体を、レオは昔と変わらぬ笑い声で受け止める。縋りついた彼の身体が暖かくて、エリカはますます声を上げて泣いた。

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