プロローグ
この世は混沌として、不条理に満ちている。
例えば、財布を摺られて文無しの俺を、お代はツケでいいよと言って泊めてくれた宿屋の女将。
彼女とその家族が今、怪物に襲われている。
オーガ、または餓鬼と呼ばれるそれは、人間の子供並に小さい。
肉食で人間の肉も好んで食べるが、非常に臆病なため滅多に人前に姿を現さず、専ら死肉を喰い漁る。
だのに何故か、群をなして街へと押し寄せてきた。
「お千代さん!」
「宗近様!?いけませんっ、お逃げ下さい!!」
餓鬼共に馬乗りにされながらも、女将さんの娘のお千代さんは必死に叫んだ。
肝が据わっているというか、今だって足掻いて、餓鬼を殴っている。殴られた方は大して効いていないのか、鬱陶しそうにしているだけだ。
このまま見ているわけにもいくまい。恩には報いる、俺が唯一守ろうと心に決めていることだ。
「雷斬、出番だぜ。」
『むお、以外に早く来たな。最後に儂を使った時は立てんくなって、二度と使うかと愚痴っておったのに。』
何処へともなく掛けた言葉に、何処からともなく返事が聞こえた。
間もなく姿を現したのは、鞘の収まった一振りの刀。宙に浮かぶそれは上下しながら、その身に後光が差している。
「じゃあ生気吸わないでくれよ。あれのせいでヘロヘロだぜ。」
『ふぉふぉふぉ、そりゃ無理じゃ。神の創り賜う刃の性というものよ。』
俺の会話の相手、現状の相棒である神剣、あるいは刃神を自称する刀、雷斬は爺のように笑う。
「…化け物相手にゃお前がよく効くんだ、仕方ねぇ。俺はこの人達を救いたいんだ、無駄口止めて行くぞっ!」
腕を振る動作で刀を取り、それを腰に構える。
同時に目の前に出てきたのは1匹の餓鬼。
自分の身体の芯を捉えた瞬間、餓鬼目掛けて一閃。
餓鬼の身体には間を置いて線が走り、上半身がズレ落ちる。
振り抜かれた刀身には一滴の血もなく、綺麗に波打つ刃紋が神々しく銀色に光る。
その勢いに乗ってうら若き乙女に馬乗りになっている餓鬼共を、ザクザクと斬りまくる。
物の怪を片付けると、半ば放心状態のお千代さんの方を揺すりって尋ねる。
「お千代さん、ご両親は上か?」
「は、はいっ!お願いします、助けて下さい!」
「当然っ!」
彼女を残して2階へと駆け上がる。宿屋の二階には共同風呂と客室、そしてトイレだけで、それほど広くはない。
親父さんと女将さんの声が客室から聞こえて、急行する。
「は、早くお千代のところへ行けっ!」
「あ、あなた!」
開いていたドアから、女将さんを守るために、身を挺して餓鬼共ともみ合う親父さんの姿が覗く。
親父さんは体中に噛みつかれたようで、至る所から出血している。
尻餅をついている女将さんの横をすり抜け、親父さんにまさにかじり付かんととする餓鬼を袈裟斬りにして切り伏せた。
餓鬼がギエエ、と断末魔の声をあげて崩れ落ちる。
他の餓鬼共が俺を脅威と認め、俺を取り囲んだ。
「円」
外から聞こえる騒音が途絶え、自身の心臓の音だけが聞こえる。
視界は全体的に青みを帯びていき、自分を中心とした球状に限定される。
その範囲にいる餓鬼共の身体が透けるように見え、急所を晒した。
雷斬を滑るように走らせ、突く、突く、突く。
数十を数えたところで刀を鞘に収めると、周囲にいた餓鬼共が膝から崩れ落ちた。
そのどれもが心臓を貫かれ絶命している。
ふう、息を吐き出して、二人の元へと駆け寄る。
「親父さん、女将さん、大丈夫か?」
「あ、ああ、すまない。娘は無事なのか?」
「勿論だ。一階で待っているぜ。」
「しかし…すごい剣技だったな。まさかあんたはお侍さんだったのかね?」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。」
俺は苦笑いしながらそう返した。侍は国の為に働く一流の剣士だ。
もちろん俺だって剣使いの端くれ、憧れもしたが…あれはなろうと思って成れるもんではないことを、痛切に思い知った。
「外の様子も見てくるぜ。親父さん達は家の中に居な。危なくなったら声の限り叫ぶんだ。」
「ああ、わかった。感謝する。」
「私からも言わせて下さい。本当に、本当にありがとうございました!」
「いいってことよ。親父さん達には恩義があるんだ。これぐらい、当然だ。」
女将さんがペコペコと頭を下げてくるのを慌てて止める。そうしたいのはこちらの方だ。
このご時世、俺みたいなよぼよぼの袴のみずぼらしい奴が、金を摺られて宿代を払えないなんて言った日には、即公安に届けられて終いだ。
「じゃあ行ってくるからよ!」
「お、お気をつけて!」
街の外へ出てみると、餓鬼の数がかなり減っていた。その理由はすぐにわかった。
ガン、という音と共に餓鬼が数匹、扇状に吹っ飛んでいく。その方角からは豪快な笑い声が聞こえた。
「まったく歯ごたえのない奴らじゃ!もっと気張らんかい!」
声の主はさも不満そうに、両端に金属製の棘が無数についた棍を振るう。また数匹が蹴散らされる。
でかい。まず棍がでかい。どれくらいかと言うと、成人した男の1.5倍位だろうか。
そしてそれをいとも簡単に振り回す男もでかい。
身長は棍棒より少し上ぐらいだが、筋肉が隆々と盛っている肉体は横幅がある。
目は厳つく、坊主頭という風貌は否応にも威圧感を与えてくる。
やがてその視線はこちらへ向けられた。
「うん?貴殿は何か臭うな…」
「わ、悪い、風呂には二日ほど入ってないんだが…」
「いや失敬、そういう意味ではないのだ。何か得体の知れない"力"の気配を感じてな。私の名は轟甚平、修行僧じゃ。」
「俺は宗近秋舷、只の流浪人だ。」
差し出された手を握り返す。
思った以上にゴツゴツしていて、凄まじい修行をしてきたことが容易に想像できた。
「残りも少しだが、行くとしよう。別々に分かれた方が効率がよかろう。またな、宗近殿。貴殿にはまた会えそうな気がする。」
そう言い残してとっととこの場を去る背中をしばらく見つめ、気を取り直して街を駆け出した。
追加で5,6匹をしとめた後、街中央にある鐘が鳴った。
騒動が収まったこと、即ち魔物が餓鬼共が一掃されたことの合図だと直感した。
「…あ、もう無理だ。」
足元がフラついて意識が遠のいていく。
こいつを使うといつもこうなる。
大いなる力を使っているのだから当然の代償とかなんとか言ってたか。
『御主にしては頑張ったほうかのう。ゆっくり休むがよいわ。』
偉そうな声を耳にしながら、そこで意識が遮断された。
強い日差しを感じて目を開けると、いつの間にか宿屋の部屋に戻っていた。
恐らくは誰かが拾って連れてきてくれたんだろうな。感謝、感謝だ。
「んっと!おぅ…?」
伸びをした手を布団に戻した時にふよん、と柔らかい感触があった。
ついでに「んぅっ」なんていう悩ましい声も聞こえてくる。
その柔らかいものは手の形に馴染み、揉むと程よい弾力がある。
これはなんとなく覚えがある、これは--
「お、お千代さん、なにしてんだ!?」
「うう~ん…宗近様、お目覚めになったのですね…」
寝ぼけているのか、ほわっとした口調で喋る彼女だが、一つ問題がある。
「た、頼むから何か服を着てくれっ!!」
「え…」
そう、彼女は一糸纏わぬ姿で俺に寄り添っていた。
美しい曲線美を描く肢体に豊かな双丘。
今更ながら「あっ」と声を上げて、掛け布団で大事なとこを隠した。
顔は茹で蛸のようだ。
もう大体見ちゃったんだけどな、うん。
「ったく、なんで、その、裸んぼうで同じ布団にいるんだよ。」
「そ、その、宗近様の身体が冷たくなっていて…連れてきて下さった僧の方が、人肌で温めれば良いと仰っていたので…」
話を聞くと、僧が寝転がっていた俺を見つけ、担いで歩いているところを、鐘の音を聞いて出てきたお千代さんが声を掛けたらしい。
連れてきてくれたことには感謝するが、余計なことまで行って行きやがる。
「その僧は何処にいるか知っているか?」
「明朝には街をお出になられると聞いているので、もういらっしゃらないかと…」
仮を作っちまったな。まあ奴が行ったように、またどこかで会気がする。
「しかし、こんな所を親父さんか女将さんに見られなくて良かったぜ。八つ裂きにされちまう。」
「そ、それは大丈夫だと思いますけど。先に唾付けとけって言ってましたし…。」
「親父さん実の娘に何言ってんだ…。お千代さんだって自分の気持ちがあるだろう?」
「それこそ、望むところというかっ、そ、そのっ。私じゃ、駄目ですか…?」
掛け布団で胸を隠したまま迫ってきて、上目遣いをくれる彼女はどうしようもなく女を感じさせ、ごくりと喉を鳴らした。
魅惑的な提案だが、俺には成さねばならぬ事がある。その関係で一所にはいれない。
「ダメってわけじゃ、ないんだが…俺には事情があって、各地を転々とせなならん。時には危険な場所にも行かにゃならんし、死ぬかもしれん。それにか弱いあんたを連れ回せん。」
スレンダーながら出るとこは出てるスタイルの良さはさることながら、少し太めの困り眉が庇護欲をそそり、彼女をイイ女に仕立てている。
女を知らない俺にとっちゃ、喉から手が出るほど欲しい。
「別にずっと旅を続ける訳じゃない。何時かは落ち着ける。だからもしあんたがその時にまだ貰われてなけりゃ…その、む、迎えに行くからよ。」
「!?はいっ!お待ちしておりますっ!」
「い、言っておくがどれくらい先になるか分からんからな!??いい男がいたら構わず一緒になれよ?」
「はい!ふふっ。」
まったく、まだ裸なのに抱きついて来やがって…。
背中に良い弾力を感じながら、早く使命を果たそうと心に決めた。
*****
秋舷一行は旅支度を整え、宿を出発した。
長髪を頭の天辺で纏め、一張羅の袴を着込む秋舷。
袴からは洗いたての石鹸の良い匂いが漂う。当然それは本人ではなく、良妻(仮)のお千代の仕業だ。さらに刺繍が施され、見栄えは多少良くなっている。
それを見てお千代はニコニコ顔で彼を見送った。秋舷は気恥ずかしさに苦笑する。
少しばかり距離を歩いた後、いつもより10倍増しの腑抜け顔をした秋舷が相棒に問う。
「なぁ、雷斬。お前の分身は一体全体どこにいるんだろうなぁ。」
何処からともなく浮遊する刀が現れる。今は街中だが、誰も気付いている様子はなく、秋舷のみに見えるようだ。
『さあな、それが分からば苦労はせぬ。ところでお主、大丈夫であろうな?そんな為体では襲われればすぐさまやられてしまうぞ。まったく、今やお主と儂は一心同体、魂まで繋がっておるのじゃ。お主が死ねば儂も死ぬというのに…。』
「だぁいじょうぶだって!わかっているさ。」
とぼけた口調で顔だけはきりりとさせながら、刀へ被せ気味にそう返した。
彼は忘れてはいない。
散り散りとなった雷斬の分身を探し出し、本体へと融合させること。
そうすることでしか、今は一つとなった雷斬と秋舷の魂は分離することができない。
そもそも一つになったのは、お互いの命を保つためなのだから、文句は言えないのだが。
「それにしてもノーヒントは辛いぜ。せめて何体に分裂したとか、大体どこらへんかとかの見当つかねえのか?」
『前も言ったが、身体と同時に記憶も分裂しておるんじゃ。故に集めれば集めるほど記憶も戻り、回収もしやすくなろうて。苦労するのは最初だけじゃ。』
「それがきついんすけど…」
うなだれる秋舷。
それは無理もないことで、東から西へ、ここまで随分と旅をしてきたが、掠りもしていないのだ。
元々は流れの傭兵をしていて、旅に慣れているとはいえ、そろそろどこかに腰を落ち着けたいのが本音だ。
街の出入口まで来て振り返る。
ここローダンはメジャーな交易路の真ん中にある街だ。
今でこそどの地域でも他種族を見掛けるが、ここは種族のるつぼと呼ばれるほど多種族が共存している。
狐人などの獣人や精霊族のエルフなど、古今東西なんでもござれだ。
どこに行くにせよ、お千代の待つこの街を通ることも何度となくあるだろう。
それを心の拠り所にして、今は旅立つ。
「それじゃ行くぜ、雷斬。」
『お主の身は儂が守ってやるから安心せい。なんたって儂は刃の神じゃからな。』
「記憶喪失のおまえが言うと信憑性がな…まあ、頼りにはしてるぜ!」
前半は聞こえぬように呟きながら、秋舷は一歩を踏み出した。
宗近秋舷:
本作の主人公。ヨレヨレの袴を着ている冴えない系。でもモテたりする。
雷斬:
喋る刀。ひょんな事から秋舷の魂と融合してしまう。なにかしらのきっかけで何体かに分裂してしまったらしく、自身の分身を探している。記憶が全くなく、なんで分裂したのかも覚えていない。
お千代:
宿屋の娘。だらしない秋舷に母性本能を擽られ、危機の際に見た勇ましい姿に惚れた。容姿端麗、Eカップのスレンダー美女で、天然。時に大胆になる。
親父さん:
宿屋の主人。秋舷の強さを目の当たりにし、娘につばを付けとけと進言する。
女将さん:
宿屋の女将。秋舷と娘のことは賛成。
轟甚平:
厳つい修行僧。絶対に秋舷より強い。