04.帰り道
彼が言った通り、再会したあの日以来、私が彼に会うことはなかった。それでいいはずのに、気にすることなど何もないはずなのに。ざわめく心が落ち着かない。
ふわり、温かい何かに包まれる感覚に、私はいつの間にか閉じていた瞼を開いた。
「あ、起こしちゃったか。」
寝起きで霞む視界を瞬きを繰り返して正せば、私の頭を撫でる優しい温もり。
「優くん。」
「風邪引かないようにと思ったんだけど、逆に起こしちゃったな。」
申し訳なそうに謝る優くんに、ふるふる、と首を横に振る。肩に掛けられたブレザーを引き寄せれば、愛しい人の匂いをより強く感じられた。
「温かい。」
瞳を細めてそう呟けば頭頂部を撫でていた優くんの手が、髪を梳くように下りてきて、毛先をくい、と引っ張られた。突然受けた刺激に、驚き顔を上げると、唇に触れる温もり。最初は触れるだけ。やがて深く、求めるように、口付けられる。
「ゆぅ・・・、く、ん。」
苦しくなって、縋るように、私の頬を包む、彼の手を掴むと、名残惜しげに唇が離れていく。未だ吐息の触れ合う距離にある男の人の優くんの瞳に鼓動が跳ねる。
「好きだよ、陽彩。」
「私も、好きだよ。」
甘えるように額を寄せられ、戯れるような口付けを交わし、微笑み合う。幸福な一時。
「ねえ、陽彩。冬休みになったら、旅行に行こうか。」
帰り道、優くんがぽつり、とそう言った。
「・・・日帰り?」
優くんの顔を見上げて尋ねれば、「うっ」と、言葉に詰まった彼の顔が耳まで真っ赤に染まる。
「・・・・・・1泊2日とか、どうでしょうか・・・?」
顔を逸らしてぼそぼそ、と言う優くんに、伝染したかの様に、私の頬も熱を持つ。きっと今、優くんに負けないくらい赤い顔をしているだろう。
「・・・だめ、かな?」
窺うように向けられた彼の視線に、恥ずかしいのに嬉しくて、私は彼の腕に勢いよく抱きついた。
「だめじゃないです!」
ぎゅう、と抱きつく力を強めれば、ふはっ、と優くんの笑い声が聞こえた。そしてそのまま彼の広い胸の中に抱き込まれる。
「じゃあ、何処に行くか決めなきゃね。」
「うん!何処に行こうか。今度帰りに本屋さんに寄って帰ろうよ!」
「そうだね。」
歩を進めながら、どちらからともなく再び指を絡め合う。ほんの先の未来の話心弾ませ、私たちは駅までの道のりを幸せな気持ちで歩いた。
だらしなくたれる顔を自覚しながら、家までの道のりを1人歩く。きっと杏奈が見たら、「この万年バカップルめ!」と、罵られること間違いなし。帰ったら惚けがてらに電話をして、旅行の事も話してみよう。きっと相談に乗ってくれるだろう。
「ふふ~!」
上機嫌になって歩く私の歩みは若干スキップしていた。制服を着ていなかったら酔っ払いに間違われそうだ。それでもいいや、と思えるぐらい、私は浮かれていた。
「やだ!一緒に帰ってくれなきゃ嫌!」
悲しさを一杯に詰め込んだような悲鳴に近い叫びに、私は思わず歩を止める。痴話喧嘩だろうか。あまりヒートアップせずに終わるといいな、なんて思っていたら、路地から見知った人が出て来た。
「・・・っ。」
私の息を飲む気配を感じ取ったのか、彼、颯希先輩も私を見て、一瞬驚いたように瞳を見開いた。しかしすぐに無表情に戻り、背を向け歩き出そうとする。その腕を、颯希先輩を追いかけるように出て来た女の人が掴んで引き留める。
「待ってよ、颯希!行かないで!」
「真幌、いい加減にして。近所迷惑。」
冷たい声だった。けれど、互いを名前で呼び合う姿から、2人が親しい間柄である事はわかる。
私の知らない颯希先輩。それよりも胸に刺さる、2人のやり取り。まるで、あの日の私たちの様で、私はその場から一歩も動けずにいた。
『やだよ、先輩。行かないで。わがまま言わないから!もう甘えた言わないから!だから・・・!』
『俺はさ、ヒロ。お前のそういう所、大嫌いだよ。・・・バイバイ。もう、会うことも無い。』
寒い、寒い冬のあの日。雪降る銀世界の中に、あなたは私を1人残し、振り返ることもなく去って行った。
ブー、ブー。ポケットで震える振動に、ハッと我に返る。慌てて私を現実に引き戻したものをポケットから取り出す。震える携帯電話の画面に表示されるのは、大好きな人の名前。ほぅ、と息を吐く。
「・・・・・・優くん。」
口から出た声は、弱々しくて、震えていた。
「陽彩?どうかしたの?」
「ふふ。電話してきたのは優くんなのに、どうかしたって変だよ。」
安堵からなのか、悲しい思い出のせいなのか、笑って話す私の瞳からは涙が流れていた。
目の前ではかつて好きだった人が、知らない誰かと喧嘩している。それを目の前にしながら、私は今好きな人と電話をしている。変な光景。でも、これが現実。
颯希先輩は颯希先輩の。私は私の今を歩いている。交わったと思ってた。でも、違うんだ。もう、私と颯希先輩は交わったりしないんだね。
くるり、颯希先輩たちに背を向け、私は歩き出す。
「優くん、星が綺麗だよ。」
「陽彩、まだ家に帰ってないの?」
「うん。すーっごくゆっくり歩いているの。優くんはもう家?」
「とっくだよ。もう暗いんだから早くお家に帰りなさい。」
「ふふ。優くんお父さんみたいだね。」
大好きな人と他愛ない話をする。優くんとの電話は私の大好きな時間の一つ。なのにどうしてかな、涙が止まらないの。
「優くん。」
「なに?」
「ゆぅ・・・。」
もう一度名前を呼べなかったのは、後ろから抱きしめられて、口を塞がれたから。恐怖に硬直し、瞳だけで後ろを見れば、額に汗を浮かべた颯希先輩だった。
「な、んで・・・?」
「呼ぶな。」
先輩の右手が私の携帯を奪い、通話ボタンを切った。
「呼ぶな!」
「んっ!」
顎を捕まれ、強引に先輩の方に顔を向けさせられ、口を塞がれた。そのままブロック塀に押しつけられ、繰り返し口付けられる。浅く、深く。吐息を奪うような口付け。
「ヒロ。」
口付けの合間に、甘く呼ばれる名前。私は嫌々、と首を横に振るけれど、両の頬を包み込むように捕まれ、身動き出来なくなる。
「・・・ヒロ。」
薄く開いた瞳が颯希先輩の瞳とぶつかる。吸い込まれそうなそれに、私はぎゅっと瞳を閉じた。
「ヒロ。」
お願い、名前を呼ばないで・・・。心が、抗えなくなってしまう・・・。
交わした口付けが、愛しくて、苦しいあの日に、心を引き戻そうとする。