聖母の末裔
リュトランド家の権勢は、絶大だった!
あのギルド親父の言ってたことは、かなり本当くさいな、これは。
少なくとも、ホーム(孤児院)の責任者であるところのおじさんは、一言の反論もしないまま、ユメを引き渡してくれた。
執事のクリューゲル? とにかくその人が保証した、「後の責任は全て当家が取ります。なお、このホームは本日ただいまよりリュトランド家が責任者になったとお考えください」などと告げたことに対し、ただひたすら恐縮して頭を下げていたのだ。
「リュトランド家のご当主の言われることでしたら、それはもう」
なんてモゴモゴ言ってな。
ホームも一応、ロクストン帝室が管理する公的施設ということになるので、アデリーヌの顔が利きやすいのかもしれない。
それにしても驚くけどな。
そして、めでたく馬車に同乗することになったユメは、アデリーヌにはまだ全然慣れないが、俺にはむちゃくちゃ懐いてくれた。
なにせ、最初から隣にぴとっとくっついて座って、今後の「やみのぐんぜいの目標」なんかを、嬉しそうに話してくれたからな。
ただ話の途中、「……レージのこと、なんて呼ぼう? おにいちゃんとか?」とユメが困ったように訊いてきた。
「レージでいいんじゃないか?」
と俺は提案してやったが、本人曰く、「なんだかそう呼ぶと違う気がするの」ということらしい。むしろ、なんと呼んでも微妙に「これは違う」気がするのだとか。
まあ、俺もほのかにそんな気がしていたけどな、実は。
不思議なのは、向かいの席で俺と同じくニコニコと話を聞いていたアデリーヌが、初めて口を挟んできたことだ。
それも、やたらと確信ありげにこう言ったのである。
「ユメちゃん、それならレージさまのことをお父様、あるいはパパと呼んでみては?」
俺とユメは思わず顔を見合わせた。
その申し出に驚いたこともあるが、さらに意外だったのはあまりおかしいと思わなかったことだろう。
「ホームから連れ出すきっかけを作ったのはレージさまなのだから、新たな人生のために迎えに来た、父親みたいなものでしょう?」
「そう、そうなの? そんなにおかしくない?」
「おかしくありませんよ。全然ちっとも、おかしくありません」
笑顔のまま、ひどく強調してアデリーヌが言う。
するとユメが随分とはにかんだ顔で、「ぱ……ぱぁぱ」と小さい声で呼んだ。
……あ、俺今、心臓にずきっと来たな。
なんだか妙に感激して。アデリーヌの説明も大概むちゃくちゃだし、呼び方も的外れなのに、どういうことだろうな。
というわけで、俺が悪照れしつつも否定しなかったので、ユメはもう、それ以後は本当に俺をパパと呼ぶことになった。
しかも、後になってから「本当にパパはユメのパパだという気がするのよ」と確信を込めて言うようになったという。
いや、銀髪と碧眼のユメが、俺の娘のわけないけどな。
とにかく紆余曲折はあったが、俺達はようやくリュトランド家の屋敷に着いた。
ここは、意外にもこの帝都バルバライズの中心にある、現皇帝の居城たる、ロクストン城のそばにはなかった。
普通、貴族はみんな、主君の城のそばに屋敷を構えたがるそうなのに。
むしろその一等地から最も遠い場所であり、帝都をぐるっと囲む防壁のそばに屋敷を構えていた。
ただしその分、広さと豪華さは群を抜いてるらしい。
仲良くなった御者の人に、そっと教えてもらったことだが。
そりゃまあ、都内でも山手線近辺を外せば、広い屋敷も建ってたりするからな。それと同じだろう。とはいえ、ここはリュトランド家の帝都における出張所みたいな場所にすぎず、本邸はちゃんと広大な領地つきで存在するそうだが。
なるほど、江戸幕府における大名屋敷みたいなものか。
……と思ったが、どうもこの……他の貴族が屋敷を建てない場所に建てたのは、意味がありそうな気がする。
それというのも、広大な庭をよぎってようやく馬車が止まり、俺達が降りると、アデリーヌは真っ先に小型のホワイトハウスみたいな屋敷の正面ホールに入り、まず俺達に見せてくれたのだ。
……壁にぐるっと描かれた彩色豊かな壁画を。
正直、フレスコ画みたいな壁の絵についてはどうやらメインで描かれた女性が主役らしく、「ああ、綺麗だな」くらいにしか俺は思わなかったが、彼女が最後に教えてくれた話が印象的だった。
「本来、この壁画に意味はないことになっていますが、本当は違います。実は、これは当家の最大の秘密でもありますが――」
なーんてもったいぶりつつ、打ち明ける前に遠回しに口止めまでされたりして。
どうやらアデリーヌは祖先の女性を尊敬しまくっているらしく、ミドルネームにその名を使わせてもらっているほどだとか。
とにかく、彼女は大人しく拝聴する俺達に、壁画に描かれた女性の前でわざわざ両手を広げて宣言してくれた。
「我がリュトランド家は、世界全体の太古神であらせられるレージンフィルス大君の娘を宿した聖母、クローディア・リュトランド様を祖先とする一族なのです!」
随分と張りのある、誇らしげな声だった。
先祖の女性画の前で胸を張る彼女に、俺は不覚にも見とれたほどだ。正直俺はその宣言より、両手をぱっと広げた時に、彼女のドレスの胸が割と派手に揺れた方が、よっぽど気になっていたりする。
一応、「へえ、なんかどっかで聞いたような神様だなあ」とあやふやなことも思ったけど、そう宣言した時のアデリーヌの顔は、めちゃくちゃ輝いていたな。
あと、なぜかユメもじいっと壁画の女性を見つめていたりして。