ぱぁ~ぱ
「おお、よしよし」
抱き上げて、洋服代わりに使っているバスタオルを巻いてやる。なんかイマイチ不服そうなんで、またそのうち跳ね飛ばしてしまうかもだが。
半身を起こして、機嫌よさそうに笑う赤ちゃんと向き合った。
「しかし……未だにお前の名前が未定だな……いつまでも名無しは困るしな。夢子っていうのはどうかねぇ。それだと、日本人名で困るか。なら、カタカナ風に『ユメ』とか」
「ゆーめこ?」
「ゆーめこじゃない。夢子かユメ」
だいたい、おまえの言い方は一歩間違うとヤバい。
「ゆーめ?」
「そうそう、ちゃんと言えるじゃ――」
言いかけ、俺は顔をしかめる。
今……こいつしゃべったか? さすがに、最近の子は成長早いな! では片付けられんような。
「いや、しかし……そんな馬鹿な」
俺の困惑に関係なく、赤ちゃん――というか、もうユメと呼ぶが。ユメはひょっとして微妙に人間じゃない……とか。
深刻に考え込んでいるというのに、言葉覚え立てのユメが、小さい手でぴとぴとと俺の頬を叩いた。
「うぅうう~」
鼻を鳴らすみたいな可愛い唸り声を出しつつ、「メシ、メシ~」などと言いやがる。
「おいこら、女の子がメシって言うな! ご飯だ、ご飯。つか、おまえの場合はミルクだろっ」
あと、「メシ」って語句は確か俺が、昨晩一度だけ口にした程度じゃないか?
よく覚えてるよな。頭いいのか、この子。
「みるく、みるくぅ~!」
「よし、ちゃんと言い直せたからやるぞ」
俺はユメを横たえ、いそいそと昨日買ったばかりの粉ミルクを出してきて、適温のミルクを作ってやった。百円ショップで買った哺乳瓶に入れて与えてやると、ユメは大事そうに抱え込んで飲み始めた。
「よし、そうやって留守番しててくれな。俺、ちょっと駅まで行くから」
昨晩の謎の紙切れの内容を思い出し、俺はユメの頭を撫でてやる。
一人で寂しくないように、うちにある唯一の家電……つまり、コタツ台の上に乗った、古い液晶テレビを点けておく。
適当にチャンネルを合わせる前に、俺は思い出してニュースを呼び出す。あちこちの局を見たが……今のところ、あの老人の死を告げるニュースは出てないな?
さすがにアレでスルーはないと思うんだが……まあ、また後で調べよう。
最後に、アニメのチャンネルに合わせ、ユメに見せてやる。
こいつはまた、哺乳瓶を抱えたまま、凄く熱心に画面を見つめていた。
「すぐ帰るつもりだけど、俺がいない間、これ見て学習してるといい。おまえがホントに物凄く頭のいい奴なら、今の調子でガンガンしゃべれるようになるかもしれんし」
厳かにそう言い聞かせると、ユメは足を開いて座ったまま、「きゃはっ」と笑った。その上で、なんと昨晩の俺がやったみたいにぐっと親指を立て、こう吐かしやがった。
『いろんないみで、やう゛ぁい! きゃははっ』
……こいつ、わざと俺をからかってんじゃないだろうな、おい。
不安はあったが、まさか連れて行くわけにもいかない。
俺はやむなく、テレビの前にユメを置いたまま、一人で家を出た。途中、何度も後ろを振り返りながら、メモ書きにあった駅に向かう。
13番という、微妙に不吉な番号がメモ書きにあったナンバーで、それはここのロッカーで言うと、一回り大きなサイズのものだった。
三百円が不足していたのでそれを投入し、持って来た鍵を入れて回す。
――開いた!
中には、かなり巨大な金属製のケースが入っていた。
挙動不審気味にキョドりつつ、俺は秒速でそのケースを引き出す。
幸いにして持ち手はあるが、ちょっと見たところじゃ、ケースを開けるための金具とか、そういうのはどこにもない。
銀色の金属ケースに持ち手、後は赤く塗られた円形の模様が一つあるだけだ。日の丸かっつーの。
詳細に調べたかったけど、俺はここではあえて速やかに退散した。
いや、特に誰も見てなかったけど、あのじーさんのセリフを信じるなら、明らかにユメには敵がいるわけだしな。
疑う目で見れば、今俺とすれ違った強面そうなおっさん二人組だって、追っ手に見える。実際、駅に走って行ったしな、あいつら。
……そうじゃなくて、本当にあいつらが追っ手じゃないのか、もしかして。
そう思った途端、俺はいきなりケースを持ったまたダッシュした。気が小さいと言われようが、無駄死にはご免だ。用心した方がいいしな。
安全圏まで離れた後、俺は必死で解錠を試みたんだが、全て徒労に終わった。
駄目だ、こりゃ。破壊するしかないかもな。
昨晩とは別の公園でそうため息をつき、俺は立ち上がる。まあ、バールとかくらいなら、部屋中を漁ればあった気がする。
後は……買い物して、一度ユメの所へもどるか。
金属ケースとコンビの袋の二つを、俺は休み休み運び、ようやくアパートの部屋に戻った。ドキドキしながら鍵を開けて中を覗いたら、ユメはちゃんと元通りの姿で座っていた。出る時と同じく、熱心に画面を見つめたままだ。
ただ、俺が靴を脱いで部屋へ入ると、にこっと笑ってこちらを見た。
「――ぱぁ~ぱ」
「うおっ」
どさっと金属ケースを落としてしまい、しかもそれが俺の爪先にクリーンヒットした。
「あたたたたっ」
うずくまって悶えつつ、俺は顔を上げてユメを眺める。
人が痛みに呻いてるのに、こいつは愉快そうにきゃははっと笑っていた。今のドジにウケたらしい。
「指差して笑うな、おまえっ。じゃなくてだ――頼む、もう一回、言ってみてくれ」
「ぱぁ~ぱ!!」
う……ヤバい……俺、ちょっと感動したかも。