レージのナニ入り
一目散に逃げた俺は、しかし途中で人混みに出くわしていた。
周囲では工場のバイトやら社員やらが大騒ぎしていて、「誰か女を見たか、おいっ」とか「凄い美人が剣を振り回してるらしい!」とか、今更のようにひそひそやっている。
ただ、今のところは工場の責任者達がガードマンを連れて急行しているらしく、正面ホールにたまってるこの連中は、全然詳しい状況を知らないらしかった。
そして俺は、あと数歩で外に出られるというところまで来ていながら、結局また回れ右していた。
なぜなら泡を食って逃げる途中、ふと思ったからだ。
もしかして俺は、ユメの腹心かもしれない男を、見殺しにしようとしてんじゃないのか、と。
いや、そもそもあの若造がユメと似た髪の色だからといって、本当に仲間とか配下だと決まったもんでもない。
だいたい俺は、あいつの顔も初めて見たくらいだしな。
しかし、万一最初の想像通り、ばっちりユメの関係者だとしたら……あの子の味方を見捨てて逃げるのもまずいんじゃないか?
俺は、人の群れとは違う方、つまり配膳室(社員食堂の隣にある調理場兼用の部屋)を目指して走りつつ、一人で悪態をついていた。
「なんで俺が、自分を殺そうとした奴を助けねばならんのだ、くそうっ」
それと……俺が思いついたアイデア程度で、あいつの目を一瞬でも逸らすことができるだろうか。
俺が、クソ重たい金属製の容器を下げてえっちらおっちら駆け、元のエレベーター前に戻った時、なんとまだあの二人はやり合っている最中だった。
と言っても、あのボブカットの金髪女は床に倒れた銀髪の若造を足で踏み、剣を喉元に突きつけて一方的に脅していただけだが。
「強情な方ですね……邪悪な主人の居場所を吐けば、貴方の命だけは助けて上げましょうと言ってますのに」
女――ええと、確かアデリーヌか? とにかくそいつが薄い唇を歪めると、足下で踏まれた小僧が息も絶え絶えに言い返した。
「だ、ダークピラーを甘く見るな、クソ女。僕は……何もしゃべらない。とっとと殺せば――ぐああああっ」
ああっ、おまえそういう状況で生意気な挑発したら、ドS女に傷口をぐりぐり踏まれて当然だろうに。
どうしてこう、自分に自信ありげなイケメンってのは、こういう状況で無駄な余裕見せるかね?
他人事ながらドキドキしつつ、俺は人垣をかき分けて、前へ前へと進む。
「はいはい、ちょっと道を空けて~」
「なんだよう、押すなよっ」
「つか、何を臭いモン運んでんだ、おまえ」
「馬鹿じゃないのぉー!?」
この緊迫した状況で集まった野次馬が、口々に無理に割り込む俺を罵倒する。
どうでもいいけど、やっぱり若い女(の社員?)が一番傷つく侮蔑を吐くよなっ。ホント、きょうびの女はろくでもない!
一人で憤慨しつつ、それでも前進をやめずにいると、人垣の最前線――つまり、そこで野次馬を押さえていたガードマン達のうち、一番ガタイのよさげな男が、一歩前へ進んだ。
「おいっ、そこの女! 武器を捨てろっ。言っておくが、もう警察も呼んで」
あいにくだが、腹を揺すって偉そうに講釈垂れてる間に、ぴっちぴちスーツ女が、興味なさそうにそいつを見た。
「このわたくしに、ダミ声でがなり立てないでくださいまし!」
醒めた声で言うなり、ぱっと空いた左手をガードマンに向ける。
途端に、周囲の空間が明らかに歪んだように見えた。
「ぐあっ」
次の瞬間、人垣が綺麗に崩れた。
偉そうな巨体ガードマンを含め、固まってたガードマン達と野次馬連中が、十数名くらいまとめてぶわっと吹っ飛んだのだ。
すげー、カメハメ波を浴びたみたいだっ。
お陰で、完全に人垣が崩れてしまい、俺はその隙に前へ出ることができた。
「……貴方は、さっきの?」
俺に気付いたアデリーヌが、訝しそうに眉をひそめる。
「はいはい、さっきの俺ですよ、ええ」
俺は「必殺お愛想笑い」を大盤振る舞いし、腰を屈めて女の脇を通り過ぎた。
少なくともこの女は、まだ俺がユメの関係者だと知らないと見ての行動だが……ここまでは上手くいった。
俺の魅力的な笑顔のお陰か、とにかく邪魔されずに死にかけの若造のそばまで戻って来られた。
よぉし、第一段階終了!
あとは、このアデリーヌとかいう色っぽい女が、俺の想像通りの潔癖症であってくれたらっ。
内心でせっせと祈りながら、俺は横目でエレベーターがまだ一階、つまりここで止まったままなのを確認する。
そして、「なにしに戻ったんですの、こいつ?」と言わんばかりに俺を眺めているアデリーヌに向かい、俺は笑顔のままで持っていた巨大な金属容器――
つまり、配膳室にあった残飯入れを振り回した。
たちまち、朝食に出されたであろうゲロまずの味噌汁と、それと完全に同化した残飯やら、鮭の切り身やら崩れた豆腐やらがアデリーヌにばらまかれた。
「――! きゃあっ」
おお、思ったより色っぽい悲鳴がっ。
狙い通り、呑気に首を傾げていたアデリーヌは、踏んづけられた猫みたいに跳ねて、大きく後ろへ飛んだね!
まあ、それでもちょっと魚の骨みたいなのが胸にかかったけどな。
「な、なにをっ」
「やかましいっ。下手に動くと、残りを全部ぶっかけるぞ!」
俺は震えながら配膳室から拝借した残飯入れを構え、堂々たる脅しをかけた。
「いっとくけどなぁ、これはこの会社の社員が残した、朝飯の残飯だっ。まだたっぷり残ってるし、あんたが何かやらかすより、俺がこれをまき散らす方が早いっ」
わざと狂気の声音で申し渡す。
必死に戦闘スーツをハンカチで擦っていた女は、本物の阿呆を見るような目つきで、俺を見やがった。
「貴方……おかしいのではなくてっ!」
「はっ。これを聞いてもまだ強がりが言えるかな? これはただの残飯じゃないんだぜえっ」
内心でびびりまくっている俺は、声だけは重々しく宣言してやった。
「さっきトイレで、俺のションベンも混ぜてやったぜ!」
途端に、女の顔が嘘みたいな速さで蒼白になった。




