危ない感触
「ど、どうしたどうした、なにが気に入らない?」
不器用な手つきであやしてみたが、全然泣き止まない。しかし、しばらくして俺は否応なく腑に落ちた。
なぜなら抱いていた手が、どっと濡れてきたからだ。
こ、この生温かいアレは……まさか!?
「うわ、やってくれたよ!」
慌てて狭い浴室に移動し、赤ちゃんの布切れを剥ぎ取る。
旧式シャワーをひねり、温水になるのを待って、赤ちゃんの全身を洗い流してやった。
――途中でわかったが、元々この赤ちゃん、体中が微妙にべとべとして汚れていたようだ。
ついでなので、それもシャワーの湯で洗い流してやる。
その間、むちゃくちゃに泣き喚いていたが、シャワーを終えて浴室が出る頃には、さすがに大人しくなっていた。
「全くなぁ、俺の上着までおまえの小で濡れたやん。羞恥プレイかよ」
慌てて脱いだセーターを、部屋の隅の藤籠(洗濯物入れ)に放り込む。
上半身裸になり、唯一のタンスに歩み寄った。
「バスタオル……バスタオル……あった」
また振り向いたところで、それが見えた。
部屋の真ん中に、丸めた紙切れが落ちている。
急いでいて気付かなかったが、どうも最初に布切れを取った時に、俺が落としたものらしい。つまり、おそらくあの亡くなったじーさんが、赤ちゃんをくるんだ絹布の中に入れておいたのだろう。
急いで開くと、小さな鍵が落ちた。それを拾い、さらに紙に書いてあった内容を読んでみる。
駅の名前と番号……汚い字で、きっぱりそれだけしか書いてない。
「なんだこれ、ロッカー番号か?」
それも気になるが、今一番気になるのは、再び泣き出した赤ちゃんである。今回は全力ではないが、なんだか実に哀しそうな泣き方だった。
「な、泣くなって、なっ。もうトイレも済んだろ」
適当にあやしつつ、俺はバスタオルを洋服代わりに赤ちゃんに巻いてやる。もう着替えるのもめんどくさいので、俺はそのまま隅に敷きっぱなしの布団に、赤ちゃんを抱えたまま、ごろりと横になった。
抱き締めたまま(今時)裸電球がぶら下がった、わびしい天井を眺める。
……気にはなるが、駅へ観に行くにしても明日だな、明日。
ちょうどその時、遠くで救急車のサイレンが聞こえた。これはもう、確実にあのじーさんのいる公園だろう。
ヤバいなぁ、俺。別にやましいところはないはずだが、なんかの間違いで警察にここが突き止められ、捕まったらどうするかね。
『自称フリーターの間宮玲次、いたいけな赤ちゃんを誘拐!』
……とかニュースで流れたりとかな。
両親はもう天国だからいいが、元級友とかが見たら、物凄い勢いで噂が広がりそうだ。「玲次はやっぱり、危ない奴だった!」みたいに。
嫌な予感に戦慄していたら、なぜか赤ちゃんが俺の胸の辺りをぺたぺた触っていた。
「こ、今度はなに?」
訊いても、もちろん返事などない。
ない代わりに、このとんでもない子は、いきなり人の乳首に唇をつけ、ちゅーちゅー吸い出しやがった!
「うおっ。や、やめてくれ! それは駄目だ、それはヤバいっ、いろんな意味で!」
正直に言うと、結構気持ちよくて、俺は乳首吸ってくる赤ちゃん抱えて、一人で悶えまくってしまった。
二秒前まですげー深刻だったのに、なにやってんだかな、もうっ!?
「なんだよ、おまえ。その年で妙な性癖でも――」
間抜けなことを呟きかけ、俺は顔をしかめた。
要するにこの子、腹が減ってるのではないかと……つまり、俺をかーちゃんと間違っているのだろう。
「そうか、メシ……ていうか、まだミルクだよな、つまり」
まだ吸いたそうにしてる赤ちゃんを無理に引き離し、俺は自分の腹の上で掲げる。涙目の赤ちゃんと見つめ合い、ちょっと考えた。
まあ、粉ミルク買う金くらいはあるが、この子を一緒に連れて行くのはまずいんだろうな……少なくとも今は。
少し考えた末、俺は決断した。
「よしっ」
赤ちゃんをそっと敷き布団に起き、自分は立ち上がって急いで服を着る。
「買ってきてやるから、大人しく待ってろ、なっ?」
ぐっと親指を立てて言ってみたが、返事は全力泣きの再開だった。
……これだからガキは嫌だよ。話し合いが成立しないし。
まあ、愚痴ってもしょうがないので、俺は無言で財布を掴み、部屋を飛び出した。
それから買い物をして、また家に戻り悪戦苦闘した辺りの事情は、もう忘れたい。とにかく俺は、深夜二時過ぎになって、ようやく眠りに就くことができた。
もちろん、満腹してすやすや眠った赤ちゃんと抱き合うようにして、爆睡したのである。
心配事多くて眠れない気がしたが、疲れていたら眠れるもんだな、やっぱり。
次に目を覚ましたら、もう朝の十時だったね。このアパートには俺しか住んでないんで、こういう時は静かすぎてよく眠れる。
「……あれ、あいつは?」
大あくびをした後、俺は腹を掻いてる途中で、赤ちゃんがいないことに気付いた。
途端に青ざめ、跳ね起きる。
「おい、どこへっ――」
喚きかけたが、部屋の隅で四つん這いで這い回る全裸赤ちゃんを見つけ、ほっと胸を撫でる。
人の気も知らず、赤ちゃんは俺を見て「きゃはっ」なんて笑いやがった。
「おまえな、勝手にウロウロと……て、あれ」
俗に言うハイハイでこちらに戻って来た赤ちゃんを抱き上げ、俺はふと我に返った。
あれれ……ちょっと……こいつ、昨日はまだ首が据わってなかったんじゃ?
今は首も据わってて、ハイハイまで出来てるって、ちょっと凄くないか。おまけに、髪もなぜか長めに伸びてるんだが。
さ、最近の子供はすげーな!