エンジェル(デビル)モード全開
よく朝目覚めた俺は、いつになくずっしりと寝汗をかいていた。
原因は無論、狭い布団の中でユメが両手両足を絡めてしがみついているからである。昨日までの俺なら、この時点で叫んでいたはずだが、人は慣れるものだ。
昨晩の「一緒に風呂へ入る」という得がたい経験をクリアした俺は、もはやこれくらいでは動じない。あれは本当にある意味では苦行だったからな。
もうあちこち丸見えで焦るわ、ユメはおもしろがって引っ張るわで、とんでもなかった。頭の中でお経を唱えてなんとか平常心を保ったが、綱渡りしてるような気分だったね!
アレを思えば、俺が貸してやったパジャマの上と短パンを寝間着代わりにしたユメがしがみついてるくらい、なんてことない。
一人で誇らしく(横たわったまま)胸を張っていると、「うぅん」と例によって可愛い声を上げたユメが目を覚まし、俺の胸からずりずりとせり上がってきた。
人の胸に手を当てて頬と頬をすりすりさせた後、そっと上半身を起こして、至近から俺を見つめる。
見た目は十歳くらいだが、正直、めちゃくちゃ大人びて見える。
白銀の髪も、いつの間にか完全に伸びきっていた。
前髪なんか眉の上で綺麗に切り揃えられたみたいになっているわけで、こりゃマジで驚きだ……美容院にも行ったことないのに。
少し吊り上がり気味の瞳は完全な切れ長タイプで、もうこのスカイブルーの瞳を覗き込んでいるだけで、「こりゃ将来は世間が放って置かないぞっ」と思わずにはいられない。
いや、今だっていろんな意味で放って置かれてないが。
「パパ、おはよう~」
「あ、ああ……おはよう」
掠れた声で返事したが、ユメのパジャマのボタンが三つくらい外れているのを見て、俺は慌ててきちんと留めてやった。どうせ脱ぐにしても、今にも見えそうで辛抱たまらんので。
しかし、ユメの方は俺の慌てた様子がおかしいのか、ユメはキャッキャッ声を上げて笑った。笑い声だけはまだ見た目相応で、密かにほっとした。
「おかしなパパ……いつだって、なにもかも見てるのに」
「ひ、人に誤解されるような言い方すんなっ」
それよりもう起きるぞ――と声をかけてさりげなく起きようとしたが……なぜかユメが小さな手で押し止めた。
「な、なんだよ」
「パパは……ユメのことあいしてるよね?」
きらきら光る瞳で、そんなことを尋ねる。
なんという直球の質問! 普通の日本人は、そんな質問しないぞっ。
だが俺は、これに関しては素直に頷くことができた。だいたい、大切に思ってもいない子のために、命まで賭けられるもんか。
「おう、愛してるぞっ」
後で絶対思い出して転げ回ると思うが、とにかくこの時は全然悩まなかった。
「ありがとう……ユメもパパをあいしてる」
えらく感激した震え声で言ってくれたかと思うと、ユメは一転して悪戯っぽい顔になった。
「うん、パパならユメを受け入れてくれる……心配なんかしないもん」
「おお、なんだよ? なんでもどーんと教えてくれや」
調子に乗って、俺は自信たっぷりに言った。
ユメもニコニコ笑って何度も頷く……俺の上に乗ったまま。
「じつはねぇ、夜に一度目がさめて……できるかなぁと思って試してみたら……できちゃった」
「え、な、なにが!?」
何も言われないうちから、早速俺は動揺した。
――いや、俺はこれまで一切過ちを犯してないぞっなどと、せんでもいい言い訳をしそうになったほどだ。
しかしそんな話ではなかった、もちろん。
「パパ……よくみててぇ」
ユメが瞳を閉じ、嘘みたいに長いまつげが震えた。
上半身をくっと反らし、その途端に少し身体がぴくんと動く。
「おいおい、なんだよ一体――」
言いかけた俺は、見事に口を開けたまま、固まってしまった。
何かが布団と毛布を押しのけ、大きく広がっていく。その「何か」は……あり得ないことに、巨大な翼だった。
ちょうど、コミックなどでよく見る天使の翼、そのままである。
ただし――色はやたらと光沢があるものの……どう見ても漆黒だ。その、光り輝く黒い翼が、ユメの背中から大きく広がっていくのだ。
あたかも、鷹が翼を広げるように。
最後にぶるっとまた震えると、ユメはようやく目を開け、にこっと笑った。
「ほらパパ……ユメは翼も広げられるようになったよぉ~」
言いつつ、自慢そうにぶんぶん翼を動かした。
うおっ、この風圧、とんでもない。見た目以上に、風を巻いてそこら中に旋風を起こしてくれた。
「す、すげぇ……」
「ユメのデビルモード、とか」
「いや、エンジェルモードと言いなさい」
反射的に大馬鹿なことを言い返したが、それどころじゃないっ。
俺は酸欠になりそうな勢いでハアハア呼吸を荒くし、今度こそ焦って起き上がった。もちろん、「翼フェチだから興奮したっ」なんてわけじゃなく、心底ぶるって焦ったためだ。
ぺたんと女の子座りしたユメの後ろへ回り、あまりにも立派な翼を眺めた。ていうか、これってパジャマに穴開けて出て来たわけじゃないな……根元で融合してるし。
「あのね、今は出す時に少しくろうするけど、消すのはいっしゅんだし、簡単なんだよー」
「た、ためしに消してみて」
「うんっ」
ユメが頷いた瞬間、ぱあっと一瞬の閃光の後、綺麗さっぱり翼は消えた。しかも、パジャマの背中に跡も残ってない。
だが決して幻ではない証拠に、ちゃんと黒い羽がそばに落ちていた。
「ねぇ、ユメってすごいでしょ、ねっ?」
膝立ちしたユメが、無邪気に尋ねてきた。
ただ、ほんの微かに、心配そうな光が瞳の奥にちらついている気がした……どうしても消せない危惧、みたいなものが。
そこで俺は不安を無理に押さえ込み、わざと笑ってユメの頭を撫でてやった。
「うん……立派な翼だなぁ、ホント」
「えへへへっ」
ほっとしたように、ユメが顔中で笑う。
とにかく、つややかな髪を撫でる時に手が震えなかったのは、我ながら自分を褒めてやりたい。
「でも、人前ではピンチの時以外は出しちゃ駄目だぞ。わかってると思うけど」
「うん。ユメはいい子だから、パパの言いつけをちゃんと守るもん」
「そうか、ならいいんだ」
見上げるユメの瞳は、かつて見たことがないほど純粋で、無垢だった。
俺はそこで衝動にかられ、ユメを自分から抱きしめてしまった。
ホント……俺達、これからどうなるんだろうな。




