ちょっと本気出しますよ?
手触りのいい絹の布でくるまれた、微妙にこの辺では見ない赤ちゃんだ。なにせ、まだまばらにしか生えていない頭髪が、銀色である。
眠っているから瞳の色はわからないが、肌の白さからして、もう日本人じゃない。
それを言うなら、目の前のじーさんもそうだけど。
ぷるぷる震える手で赤ちゃんを押しつけようとする彼に、俺は慌てて首を振った。
「いや、俺の立場で赤ちゃんなんかもらったら、ヤバイから! もらえないよ、物じゃあるまいし。せめて警察に――」
途端に彼は激しく首を振った。
たどたどしい言い方で、切れ切れの声を出す。
「……人目にふれる、だめ……見つかるとコロされます……どうか」
「そ、そんなこと言われましても」
目尻に涙まで浮かべるじーさんが哀れになり、俺は思わずその子を受け取った。いや、もらうもらわないはともかく、どのみちこのじーさん、体力の限界で赤ちゃんを落っことしそうだからな。
危なくて見ていられないってのもあった。
ところが……それをどう勘違いしたのか、じーさんはめちゃくちゃほっとしたように大きく息を吐き、また訛りまくった言い方で「アリガトウ……ゴザイマス……」と声を絞り出し、がっくりと首を傾けた。
……え?
え、え、えぇーーーーっ。
気付くの遅すぎだけど、そういや上着の下に着てるシャツに、血の跡がっ。
「ちょっとちょっと、大丈夫ですか!?」
片手で揺すってみたが、全然駄目だ。揺すられるまま、ガクガク動くのみ。一応、片手で脈を診たが、やっぱりぴくりとも脈打ってない。
「し、死んだ――」
間近に人死にを見たせいで、俺は動揺して立ち上がった。
自分が殺したわけでもないのに、焦って周囲を確認したほどだ。
「ど、どうすんだよ?」
天使みたいな笑顔ですやすや眠る赤ちゃんを眺めつつ、俺は一人で途方に暮れていた。
……結論として、俺はその場から急いで立ち去り、近所の公衆電話で救急車を呼んだ。
「公園で人が倒れているのを見た」
とそれだけを教えて。
電話の向こうじゃ相手が「貴方の電話番号をお願いします」と慣れた声で言ったけど、答えずに電話切った。
なんだか、自分がどんどん深みにハマっている気がしてたまらんが、俺はじーさんの最後の言葉が、すげー気になっていたのだな。
人目に触れると殺される? 確かそう言ったはず。
それはつまり、あのじーさんとこの子がヤバい奴に追われていて、命を狙われているってことか? と思ったのだ。
それでも関係なく、警察に連絡する手も、もちろんあった。
しかし、余計なことを考えてしまうタチの俺は、こうも思ってしまった。
「もしも……もしも俺がじーさんの願いを聞かずに警察に全てを託した結果、この子が死ぬ事態になったら……俺はその後、後悔せずにいられるだろうか」と。
答えは、考えるまでもなくノーである。
ガラスハートの俺は、そんな確率の低い危険度でさえ、見過ごせない。
ただし、だいぶ後になってから、俺はもう一度今晩のことを思い出し、自問することになる。
『果たして、全ての事情を知ってからでも、俺はこの子を家に連れ帰っただろうか?』
……なんてさ。
ともあれ、うちのアパートまではその公園から近く、俺は奇蹟的に誰にも見つからずに部屋に戻ることができた。
最悪の夜だったが、俺にとって幸いだったことも一つだけある。
――このアパートに住んでいるのは、現在俺だけであり、当面は隣近所に見つかることはないってことだ。
なぜなら、この築四十七年の老朽化オンボロアパートは、来年の今頃は取り壊しが決定していて、既に俺以外の住人は、引っ越して行った後なんである。
俺が家賃二万ジャストに惹かれ、元の実家から越したのは伊達じゃない。
六畳一間の部屋に戻り、俺は赤ちゃんを子細に観察してみた。
失礼してくるまれていた布を脱がした結果、この子は女の子だと判明した。思わず一人で赤面したが――さ、さすがに赤ちゃん相手に欲情しない。
単に余計な背徳感を覚えただけだ。
いそいそとまた元通りに布にくるんであげたが、とりあえずこの子、まだ首も据わってないぞ!
頭がグラグラして、「首が折れてんのかっ」とびびったくらいだ。
そういえば、ほんの赤ちゃんの間は、ちゃんと首が据わらず、そうなると聞いたような覚えがある。
しかし……そんな状態の子供を押しつけ、俺にどうしろと言うのだ!?
俺は明日をもしれない、単なる中卒のフリーターだぞ。おまけに、バイトもパァになったばかりのさ。
頭がぐるぐるするわ!
赤ちゃんを抱きかかえ、何となく部屋の真ん中で正座して落ち込んでいると、ふいに当事者の赤ちゃんが「ふわっ」とあくびをした。
「おっ」
ちょっと期待して待つと、やがて瞼が持ち上がり、それはもう綺麗な青い瞳をぱっちりと開いた。
おぉ……やはり外人アイズ。しかし、赤ちゃんの目ってのは、すげーな。
こうやって見ると、嘘みたいに澄んでるし。やはり、幼女の頃は邪気もないんだろうなぁと。
無駄に感心して彼女と見つめ合っていると、いきなりくしゃっとこの子の顔が歪んだ。
「はい?」
俺が間抜けな声を上げた途端、赤ちゃんは待ってましたとばかりに、爆発的な勢いで泣き出した。
もういきなり、手加減ナシの全力勝負! みたいな壮絶な泣き方だ。
……勘弁してくれ。