娘(ただし他人)と駆け落ち
サクラは渋々といった様子でユメから離れ、俺の顔を拗ねたように見た。
「あなたからも言ってよ。プリンセスは、あなたに懐いている。説得を聞いてくれるかも」
「いや、そりゃユメの態度にも問題あるけどなあ」
俺は不機嫌な思いでサクラを見つめた。
「おまえ、俺の話を忘れてるな? 俺は、ユメを清く正しく美しく育てるんだよっ。おまえみたいに、隙あらば世界征服を持ちかける奴は、お断りだっ」
きっぱり言い切ると、合いの手を入れるように、俺にしがみついたユメも叫ぶ。
「かえれかえれー! 後で、しおまいちゃうもんっ」
この子にテレビを見せたのは、あまりよくなかったらしい。
語彙が増えたのはいいが、どう考えても悪い影響が出てるような……メディアの力は恐ろしい。
おまけに、可愛い舌出して、挑発してるし。
「……わかったわ、とにかく一旦は引き上げるから」
サクラは長い髪をうるさそうに手で払い、ため息をついた。
「どのみち、荷物も取ってこなきゃいけないもの」
「に、荷物? なんの荷物?」
「だから、あの家に置いてあった、わたしの僅かな荷物……ほとんどは着替えだけど」
「それで……元々の家に帰るわけか? つまり、実家に?」
「いいえ。あそこはもう、自分の家じゃないと思うから」
サクラは寂しそうに俯いた。
「だって、今のわたしはかつてのロクストン帝国時代のことが表層意識のほとんどを占めている。当時のブレイブハートの記憶がいきなり洪水みたいに蘇り、もはや碧川サクラとしての記憶は、他人のものみたいに感じてるのよ。両親に愛情がないとは言わないけど、こんな気持ちのままで一緒に住めない」
俺は途方もなく嫌な予感がして、おずおずと尋ねた。
「まさか、学校も休んだままとか言わないよなー?」
「それこそ、まさかよ」
おお、ほっとした。
返事に安堵したが、この勇者兼女子中学生は、あっさりと続けた。
「休むもなにも、学校はもう辞めるつもりだし、実家はとうに家出したままだし」
「こらこらっ」
ていうか、義務教育なのに辞められるか、馬鹿っ。
「じゃなくて、待てっ」
そのまま部屋を出ようとしたサクラを、俺は慌てて止める。
「なに? 帰れと言ったり、待てと言ったり」
じろっと睨まれたが、俺もこれだけは確認せずにはいられん。
「いや、うちを出て行くのはいいとして、荷物を取りに行ってから、次はどこ行くんだ。家出したんだろ?」
「当然、ここへ戻ってくるわ」
おおう、当たり前のような顔で言いやがったぞ、こいつっ。
「一緒に暮らし、あなた達を毎日説得してみる。すぐだから、逃げずに待ってなさいよ」
言いたいだけ言うと、やたらと女の子っぽいよい香りを残して、サクラはさっさと出て行ってしまった。
……スカートに刀差したまま。
堂々としすぎだろ、あいつ。そのうち、警官に止められるんじゃないか。
ユメを抱いたまま呆然と見送っていた俺は、しかしそのうちはたと気付いた。
このままだと、今後は一年中サクラに「わたしと一緒に世界を滅ぼし(以下略)」とか耳元で囁かれそうだ。
うっかり想像して、戦慄した。そんなの、嫌すぎる。
「冗談じゃないぞ、おい。だいたいこんな狭いアパートで、女子中学生と一緒とか、無理がありすぎる」
腕の中のユメを見ると、この子はまた俺の頬にすりすりして言った。
「にげよ、にげよ、パパ。ぶれいぶはーとなんか信じられないもんっ」
「うおっ」
この子はこの子で、もう完全に記憶が蘇り始めてるしな。
そういや、もう小さい赤ちゃんって感じじゃない。幼稚園に通う直前くらいには身体も大きくなってるし。
銀色の綺麗な髪も、もうおかっぱみたいになっている。
この調子でどんどん成長したら、今みたいに得体の知れない力の方も増大して、そのうちホントにかつての邪神に変化しそうだ。
……て、今や俺も、すっかりサクラ達の話を信じちまってるな、くそっ。
「よし、決めた。――俺はずらかるぞ!」
そもそも、また別のハンターとやらが来ないとも限らんからな。
すぐに部屋をざっと見て、サクラに訊いた。
「あの金属ケースは?」
「おしいれのなかー」
言われた通りに片手で押し入れのふすまを開けると、確かに日の丸マークのケースが、ちょこんと置いてあった。
よしよし、とりあえずこれだけあれば、問題あるまい。
どうせ大した家具もないんだし。
「荷物なんか後だ。このケースだけ持って逃げる。ユメ、俺についてきてくれるか」
「うぅ~、パパとかけおちっ」
ちゅっ、とほっぺにキスしてくれた。
嬉しいけど……ホントにわかってるのかこの子。
未来に不安がありまくりだが、とにかく俺はユメと金属ケースだけを持って、その場で本当に逃げた。
誰がなんと言おうと、ユメは「清く正しく美しく」育てて、立派なレディにしてみせるんだよ、くそっ。
絶対、邪神なんかにはさせないからな!