あっちいけ!
とにかく、俺は靴を脱ぎ捨ててユメに走り寄り、抱き上げた。
「ぱぁ~ぱ」
うおっ、ほっぺにキスされた!
そ、それはちょっと嬉しかったけど、この子、なんかもう目を見ても「無邪気すぎる瞳」てな感じじゃないな。
俺をちゃんと誰だか認識してて、その上で懐いてる気がしてならない。
「ゆ、ユメ、とにかくこの浮かんでる道具を下ろすんだ……ただし、そっと」
「はぁい」
ちゃんと返事があって、テレビやらコタツやらはそろそろと元の床に戻った。ほっとしたよ、本当に。
ただ、ユメが嬉しそうに笑顔を見せたのは、そこまでだった。
例のサクラが勝手に入ってきてつかつかと歩み寄ると、嘘みたいに顔を歪め、まだ薄い眉毛をぐぐっと寄せる。
赤ちゃんなりに、「顔をしかめた」感じだった。
「この子が……プリンセス」
「そうだけど」
「きやいっ」
サクラがユメの顔を覗き込もうとした途端、この子はなんと、いきなりちっこい足でサクラの腕の辺りを蹴り始めた。
俺が抱き上げているのに、無理に身体を乗り出して、蹴飛ばすのである。
というか、「きやいっ」というのは、もしかして「きらいっ」と言いたいのか。
「きやいっ」
所詮は赤ちゃんの力なんで、ゲシゲシ蹴りまくってもダメージはないが、サクラはひどくがっかりした様子だった。
「むちゃくちゃ嫌われてる気がするぞ。もしかして、前世の記憶とやらがこの子に残ってるのかね?」
「わたし……今は味方なのに」
「ちがうもんっ、きやいだもんっ」
「こらこらっ」
俺はユメを抱いたままサクラから離れ、密かに言い聞かせた。
「駄目だぞ、蹴飛ばしちゃ。あと、先に言うけど、力を使ってとっちめようとしてもいけない。いいかい、あのおねーちゃんのお陰で俺は助かったんだから」
赤ちゃんにそんなこと言い聞かせて理解できるとは思えなかったが、つい出てしまった説得である。
ところが――ユメはじっと俺の顔を見やり、少なくともサクラをガン見するのはやめた。
「たしゅかった? パパたしゅかった?」
舌足らずの言葉で懸命にしゃべり、腕の中で身動きして、無理に立ち上がろうとした。
「うん、どうした?」
持ち上げて目線を合わせようとすると、なんとこの子、俺の耳を引っ張って、無理矢理に自分の身を寄せてきた。
「いててっ。なんだ!」
「待って!」
なぜかサクラが、ユメを引き離そうとした俺を止めた。
「その子、何かしようとしてる」
「えっ」
思わず動きを止めると、ユメは俺の頬に自分のぷにぷにした頬をぴたりと当て、急に動かなくなった。
次の瞬間、たちまち自分の頬が熱を持ってきて、正直、俺はびびった。
「な、なんだ、なんだって熱が」
「うぅ~」
あたふたする俺からやっと頬を離し、ユメはなにやら潤んだ瞳で俺を見る。いやぁ、青い瞳ってのは、見栄えがするなぁ。
「パパ……しゅき」
感心してたら、なぜか涙目で告白された。しかも、ユメの顔が赤い。
うお、相手が赤ちゃんとはいえ、不覚にも俺は感動しちまった。そんなこと、女の子に言われたことないし! おまけに、今度は手にしきりに頬ずりされ、めちゃくちゃこそばゆいぞ……いろんな意味で。
「この子いま、あなたの記憶を読んだんじゃない?」
俺が一人で「うへへへぇ」とデレまくっていたら、サクラが真剣な顔で指摘した。
「見てなかったかもしれないけど、あなたと頬を合わせた時、一瞬だけど身体が光ったわ。力を使ってリーディングをしたのかも。それなら、感激してる風に見えるのもわかるわ」
リーディングってなんだよ……てまあ、どうせテレパシー的な意味だろうけど。
「んな馬鹿な」
そうかもしれないとは思ったが、俺は慌てて否定した。
「この子は」
「――ただの赤ん坊のわけないわよね?」
再び隣に来たサクラが、ぴしりと言う。
切れ長の瞳が怖いほど真剣だった。
「ハンターの連中が言ってた。誘拐された赤子は、首も据わらない生まれたてだと。なのに、今のこの子はもう話してるし」
「だから……なんだよ」
苦し紛れに俺が開き直ると、サクラは大真面目な表情のまま俺からユメに目を移し、顔を寄せて囁いた。
「ねえ、わたしと一緒にかつての世界を滅ぼしましょう?」
「こらこらっ」
俺が非難するより先に、ユメがまた足でサクラの額をゲシゲシ蹴った。
「あっちいけ!」