レージ、赤ちゃんと出会う
たとえば両親がひき逃げされて、しかも犯人が未だに捕まらず、そのせいで手持ちの金も乏しくなり、通ってた高校を卒業寸前で辞めちまった奴がいたとしよう。
そんな奴が就職活動をして、果たして上手くいくだろうか?
えー、この場合の就職とは、もちろん「正社員になること」である。
俺がもし、去年同じ質問をされていたら、「今の時代だと難しいんじゃね?」とか醒めた目で肩をすくめたことだろう。
……ああ、実際に難しかったよ。
この一年、俺はこの難易度Aのゲームをクリアしようとして、だいぶジタバタした。限りなく高卒に近いんだし、何とかなると思ったんだが……甘かった。
残ったのはお祈りハガキやらメールやら(お断りの返信のことな)が百通あまり、それにずたずたになった俺の自尊心と、家賃一回分を残すだけの現金だけだ。
今は九月……本来なら高校を卒業して、大学へ進学してるような頃合いだし、実際に、今日俺は十九歳になった。
なのにどうだ、今の俺はしおしおと夜の道をアパートへ帰るところである。
恥を忍んで言えば、バイトとして雇われたものの、やむにやまれぬ事情で手ぶらで帰宅する羽目になったのだ。
家に残ってた貯金が底を尽きそうなんで、やむなく希望を下げ、バイトニュースで見かけたウェイターの仕事に就いたところまではよかった。
ここから俺の奇跡のリカバリーが!
なんて、ちょっとやる気が出ていたのに、明日が給料日という今日、いつものように夜勤に出かけたら、なぜか勤務先の食堂は閉まっていたという……。
他にも途方に暮れていたバイトがいたので訊いてみると、どうもあまりにも客が来ないので俺達に給料も払えず、店主が夜逃げしたらしいのだな。
「捜さないでください」という、冗談みたいな紙切れが一枚だけ、戸口に貼ってあったね。
明日は給料日なのに……俺、給料もらったら、久しぶりに安心してスーパー銭湯に行こうと思ってたのに。
いや、貧乏臭くて悪いが、財政ピンチの俺にとって、唯一の楽しみがスーパー銭湯の広い風呂に入ることなんで。
そんな俺の小さな幸せも、本日めでたく破綻した。
考えただけで死にたくなるな!
「はぁああ」
我ながら深いため息をついた俺は、アパートの近所にある公園まで来て、ふと夜空を見上げた。
俺はこの星空を、生きてあと何回見られるかなぁなどと考え、我ながら戦慄した。
や、ヤバイな、俺の精神状態。このままだと、本当にアマゾンでクレモナロープとか頼みそうだ。
内心で嘆いた、その時である……妙な呻き声が聞こえたのは。
うん? と思って公園の方を見たが、無論、夜も十時になろうかというこんな時間に、誰もいるはずがない。そもそもここは街の郊外で、公園の立地としてもふざけた場所だからな。
ああ、ついに幻聴まで聞こえ始めた……俺、ヤバイなぁ。
そう思い、またため息をついて歩き始めようとしたのだが――
「ううっ」
またリアルな声を聞き、顔をしかめて足を止める。
もう一度、公園をじっくり眺めた……砂場に滑り台にブランコに、杉の木。どこにも人の気配なんか――
「わっ」
す、滑り台だっ。
ここの滑り台はコンクリートの小さい山みたいなヤツで、その一方を削って滑れるようにしてある。そのデカブツ滑り台の脇から、人の足が見えている!
に、逃げるか? とびびりの俺は一瞬思ったが、しかし呻いてるくらいだし、さすがに様子を見てやらないとまずいだろう。万一、そいつが死にかけていて、俺が逃げたせいでホントに死んだら、寝覚めが悪すぎる。
……普通なら携帯で警察に電話すりゃいいんだろうが、今の俺はそんなブルジョアアイテムは持ってない。
金がないんで、先日解約したんである。
落ち目になると、人はとことん裏目に出るな、くそっ。
「ああもうっ」
どうか面倒ごとに巻き込まれませんようにっと祈りつつ、及び腰で滑り台まで近付き、向こう側を覗いた。
な、なんだ!?
ちょっとこれは、あまりに予想外のものを見たぞ。
なんせ、パーティーで見るような黒い礼服みたいなのを着たじーさんが、倒れていたのだ。しかも、腕に赤ん坊を抱いて。
そのじーさんは、まるで赤ん坊を抱きかかえるようにして身を丸めて横向きに倒れていたが、俺が近付くと、震える瞼を持ち上げた。
何かもごもご言ったが、明らかに日本語じゃない。
それどころか、聞いたこともない言語のように思う。
抱かれた赤ちゃんも目を閉じたまま動かないし、こりゃ異常事態どころじゃない。
「あ、あの。なに言ってるかわからんですけど、救急車呼びますよ。確か五分ほど走れば、まだ公衆電話が残ってて――うおっ」
既に走りかけていたのにいきなり片手で足を掴まれ、俺は飛び上がりそうになった。
振り向くと、じーさんはいつの間にか仰向けになっていて、しきりに赤ちゃんを持ち上げようとしているように見える。
「なんです? その子がどうしました?」
半ば震えながらじーさんの脇にしゃがみ込む。
すると――呆れたことに、このじーさんは俺にその赤ちゃんを押しつけようとした。 両手で抱え上げるようにして、何かの賞品でも渡すみたいにさ。