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 日曜日の朝。冷え切った町を千桜と歩いた。

 冷たい手を絡ませ合って、川沿いの道を歩いていると、恋人同士になったような気がしてしまう。

 けれど千桜はこんな自分のことを、どう思っているんだろう。


「この町に戻ればね、なにか思い出せそうな気がしたの」

 白い息を吐きながら、幸也の隣で千桜が言った。

「そういえば、雪がたくさん降ったら思い出すかも、なんて言ってたよな? 前に」

 千桜が前を向いたままこくんとうなずく。

「この町で、なにか大切な思い出があった気がするの。うっすらと思い出してはいるんだけど、途切れ途切れで……」

 そこまで言うと、千桜は立ち止まった。川の向こう岸の丘の上を、じっと見つめている。

「あそこ……」

「え?」

 千桜の指がすうっと伸びる。

「あそこに行きたい」

 幸也は千桜の指先を目で追いかける。そこには朝の日差しに照らされた住宅が、自分たちを見下ろすようにして並んでいた。


 橋を渡って坂道を上ると、高級そうな住宅が次々と目の前に見えてきた。

 たしか梨花の家も、このあたりだったはずだ。

 千桜はゆっくりとしたペースで歩きながら、静かにあたりを見回している。

「なにか、思い出した?」

「ううん……」

 千桜は持っていたスケッチブックを開くと、周りの景色を描き始めた。

 幸也はその隣に立って、ぼんやりと考える。

 千桜が思い出そうとしていることは、千桜にとって良いことなのだろうか。

 もしかしたら千桜はそれを、思い出さない方がいいんじゃないのだろうか。


「これはね、親戚のおばさんが教えてくれたんだけど」

 いつものように鉛筆を走らせながら、千桜がひとり言のようにつぶやく。

「あたし結構、裕福な生活をしていたらしいの。この町にいた頃」

 幸也は黙ってその声を聞いていた。

「でもお父さんが事業に失敗して、借金が増えて、今までの暮らしができなくなって……逃げるように、この町を出て行ったって」

「そうなんだ……」

「ごめんね。また暗い話で」

 千桜がいたずらっぽく笑って、幸也を見る。

「幸也くんが聞きたくなかったら、もうやめる」

「そんなことない。聞きたい。もっと話して」

 千桜は幸也から視線をそらし、丘の上から下に見える街並みを見下ろした。

 幸也が住んでいる町。今も昔も、幸也はここから見下ろされる町にしか、住んだことはない。

 だけど千桜はちょっと違うんだ。昔の話とはいえ、一度はこの丘の上のような暮らしをしていたんだから。


「この町を出てからは、あたしたちの生活が、全く変わっちゃった」

 少し息を吸い込んで、それを吐き出すように千桜が言った。

「昔の贅沢な暮らしが忘れられなかったお母さんは、だんだん鬱っぽくなってきちゃって……子供のあたしにさえ、『死にたい』なんて漏らしてたのは覚えてる。それであの事故が……」

 千桜は、黙ったままの幸也に小さく笑いかける。

「そのあとあたしは、遠い親戚の家に引き取られて暮らしてたの」

「いじめられてたの?」

「そんなことないよ。むしろみんな優しかった。優しかったけど、それはあたしを憐れんでいるからで、うわべだけの優しさなんだって、子供心にわかってた。あたしを引き取ったせいで、その家の生活が苦しくなったことも知ってたし」

「それで家を出たんだ」

「うん。あたしが家を出るって言っても、誰も反対する人はいなかった」

 スケッチブックをパタンと閉じて、千桜は顔を上げて幸也を見た。


「幸也くん」

「うん?」

「幸也くんは、雪の降る日に生まれたって言ってたよね?」

「ああ、そうだよ」

 確か前に、そんなことを千桜に話した。

「なにか……なにかを思い出せそうな気がするの」

「それって、おれに関係すること?」

「わかんない。わかんないけど……」

 いつも淡々としている千桜が、苦しそうに頭を抱えた。

「無理しない方がいいよ。そのうち思い出すって」

「うん。今日はもう帰る」

「そうしよ。帰って朝飯食おう」

「そうだね」

 並んで歩き出した千桜の足が、すぐに止まった。


「……あそこ」

「え?」

「あの家、知ってる」

 千桜の視線の先を追いかける。家と家に挟まれた狭い路地の奥に、つたの絡まった洋風の家が見える。

「あの家に住んでたんだ……あたし」

「あの家に?」

 ひっそりとした家は誰も住んでいる気配がなくて、「売家」と書かれた外れかけた看板だけが、風に吹かれて寂しげに揺れていた。

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