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いつものようにコンビニへ寄った後、公園を突っ切り、アパートの二階を見上げる。
今夜も部屋には灯りが灯っている。それを見るたびに、幸也はほっと息を吐く。
「ん? なに?」
コンビニの弁当を食べている千桜のことを、ぼんやりと眺めていたら、突然顔を上げて千桜が言った。
「べつに。なんでもないよ」
「へんなの」
千桜はおかしそうにくすくす笑い、また箸を動かし始める。幸也は黙って缶ビールを口にする。
千桜は前よりよく笑うようになった。前よりよくしゃべるようになった。
だけど……幸也はまだ千桜のことを何も知らない。知らないけれど、それを聞く勇気もない。
あんな悲惨な過去を打ち明けられたら……なんて言ったらいいのか、わからないじゃないか。
「やっぱり、ヘンだね。最近の幸也くん」
「そんなことないよ」
「ううん、ヘン。きっとあたしがあんな話、したからだね」
千桜が箸を置いて幸也を見る。真っ直ぐ届くその視線を、はずしたいのにはずすことができない。
「あんな話したから、引いた?」
「そんなこと……」
ないと言ったら嘘になる。千桜の火傷の原因を知ってから、彼女には指一本触れてない。触れられないのだ。
「幸也くん。あたしは大丈夫だよ?」
千桜の声がすぐ近くで聞こえる。
「あたしは大丈夫」
頬に触れるのは千桜の指先だ。その指先がすうっと首元に回って、幸也に抱きつくように千桜が身体を寄せてきた。
千桜の身体はあたたかくて柔らかい。最初はむしゃくしゃした気持ちで抱いただけだったけど、今ではそのぬくもりが恋しくて仕方ない。
自分勝手だなって思う。千桜にひどいことをしたくせに、もう勝手に恋人気取りか? 笑わせんなよって思う。
「幸也くんの好きにしていいよ。今までもそうやって来たんだから」
耳元でささやく声に引っかかった。そっと千桜の身体を引き離し、じっとその瞳を見つめる。
「今までもそうやって来たって、なに?」
千桜は表情を変えずに幸也のことを見ている。
「今までもそうやって来たって……」
「だってあたし、この家に住まわせてもらってるから……仕事もしてないのに食べさせてもらってるから……あたしのできることなんて、そのくらいしかないから」
「バカかっ、お前はっ」
つかんでいた千桜の腕を振り払う。無性に腹が立つのはどうしてだろう。
「お前はこの家に居候する代わりに、おれにやらせてたってわけか? おれがそんなつもりで、お前を抱いてたって思ってたのか?」
千桜がうつむいて黙り込んだ。
「今までもそうやって来たって言ったよな? 今までもそうやって男に好き放題させて、家に住まわせてもらってたってことか?」
「そうだよ」
顔を上げた千桜がきっぱりと答えた。
「両親が亡くなったあと、親戚の家で暮らしてたけど、二十歳を過ぎてからは自分ひとりで生きてきたの。そうやってずっと生きてきたの」
違う。間違ってる。そんな生き方は絶対間違ってる。
気がつくと平手で千桜の頬を殴っていた。女の子を殴るなんて最低だと思っていたけど、その最低な行為を、躊躇なく幸也は今していた。
「千桜……違うんだよ。お前、間違ってんよ……」
言いたいことが上手く言えない。いつだってそうなんだ。肝心な時に、一番大事なことが言えない。
絶対に伝えなくちゃいけないことが、あるはずなのに。
「幸也くん」
千桜の声が耳に聞こえる。うつむいた自分の目から、なぜだか涙が落ちそうになって、あわててそれを腕でこする。
「ごめんね? でもそれしか思いつかなかったの。間違ってるのはわかってたけど……誰もそれを止めてくれる人もいなくて……あたしずっと、ひとりだったから」
顔を上げたら、千桜の笑顔がにじんで見えた。
「幸也くん。ありがとうね」
千桜の唇が幸也に触れる。
もっと自分を大事にして――言いたかった一言が、千桜のキスで薄れていく。
そんな偉そうなこと、言える人間じゃないんだよな。こんなふうに流されるように、また千桜の身体を抱いているんだから。
だけど、自分の目からあふれた涙は嘘じゃない。千桜のことが愛しい。そばにいたい。もうひとりじゃないんだよって伝えたい。
うっすらと赤くなっている、千桜の頬を指先でなぞる。後ろから愛おしむように、背中の傷痕に口づける。
静まり返った部屋の中に、千桜の苦しげな声がかすかに響いた。




