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 梨花と別れて今度はひとりで坂道を下った。

 空は青く晴れ渡り、一羽の鳥がすうっと頭の上を横切っていく。

「あ……」

 その時幸也はふと立ち止まった。

 目の前に映る風景を、瞬きもせずじっと見つめる。

 その場所からはちょうど、幸也の住む町が見渡せた。

 丘の上から見下ろす住みにくい町は、今、桜色に染まっていた。

「すっげぇ……」

 それは初めて見る光景だった。公園の桜も川沿いの桜も、見上げることはあったけど、こんなふうに全体を見下ろしたのは初めてだった。

「……これかぁ」

 そうだ。きっとこれだ。

 千桜の生まれた日。きっとこんなふうに、桜が町中を彩っていたんだ。

「千桜……」

 千桜に、この景色を見せてあげたいと思う。千桜と一緒に、ここで並んで見たいと思う。

 千桜はなんて言うだろう。きっと何も言わないで、静かに幸也に微笑みかけてくれるんだろう。

 幸也は黙って目を閉じた。

 この光景を忘れないようにしよう。絵に描いて残すことなんてできないけれど、胸の奥に大事にしまって、絶対忘れないようにしよう。

 いつかまた――千桜と会えるその日まで。


 公園のベンチにひとりで座って、スケッチブックを開いた。

 満開の桜の下では、何組かの親子連れが遊んでいて、年老いた夫婦が寄り添うように、桜を眺めていた。

 千桜の描いた絵を、幸也はもう一度、一枚一枚見返してみる。

 繊細で、淡い色がうっすら塗られた風景画は、千桜の存在となんだか似ている。

 千桜は、今どこにいるんだろう。何をしているんだろう。

 泣いていなければいいな。苦しんでいなければいいな。幸せでいてくれたらいいな。

 最後の朝に描かれた、雪の景色を見てから、幸也は真っ白な紙をぱらぱらとめくった。そして一番終わりのページに書かれた、いくつかの文字に気が付いた。

「え……」

 どうして今まで気付かなかったんだろう。幸也は目を開いて、じっとその一枚を見つめる。

 そこには細い鉛筆で、でもはっきりと、千桜の文字が書かれていた。

 ――幸也。幸せになろうね。

 すうっと息を吸い込んで、桜の合間の空を見上げる。

 そうだな……そうだよな、千桜。幸せに、ならなくちゃな。

 パタンとスケッチブックを閉じて立ち上がる。

 公園を抜ける幸也の上から、桜の花びらがひとひら、千桜と見上げた雪のように舞い落ちてきた。

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