16
梨花と久しぶりに会ったのは、春風の吹く日曜日、小さなケーキ店の中だった。
「いらっしゃいませ!」
と笑顔で言ったあと、メイド服のような制服を着た梨花が、不思議そうに首をかしげた。
「幸也? 何しに来たの?」
「何しにって……ケーキ買いに来たに決まってるじゃん」
そう言い返してみたものの、まさかこんなところで梨花と会えるとは思っていなかった。どうやら梨花もそう思っていたみたいだ。
ショーケースの中のケーキをいくつか選びながら、梨花に質問してみる。
「あたし? 二週間前からね、ここで働いてるの。いつまでも家でぶらぶらしてると、お父さんにいい加減怒鳴られるから」
いたずらっぽくそう答えて、梨花が笑う。
「あんたは? こんなにケーキ買ってどうするの?」
「梨花の家に、行こうと思って」
「うちに?」
梨花が驚いた顔で幸也を見る。
「手ぶらじゃなんだし、ケーキでも買って行こうかと思ってさ」
梨花は少し考えるしぐさをした後、箱の中へケーキを詰めながら言った。
「もう少し、待っててくれる?」
「え?」
「もう少しで仕事終わるから。そしたら一緒に帰らない?」
「……いいよ」
店の外は良い天気だった。どこからか桜の花びらがはらはらと、風に乗って飛んできた。
ケーキの箱を持って坂道を上る。幸也の隣に並んでいるのは梨花だ。
「一体どうしちゃったの? 幸也がうちに来るなんて」
「べつに。梨花、どうしてるかなってさ。所長にも頼まれてるし」
「なにを?」
「お前の面倒、ちゃんとみてくれって」
「なんなの、それー。面倒みてるのは、こっちのほうでしょ?」
梨花がおかしそうに笑う。そんな横顔をちらりと見たあと、幸也は空を見上げてつぶやいた。
「体調は……いいの?」
ふっと息を吐くように笑うのを止め、梨花も幸也と同じ空を仰ぐ。
「うん。大丈夫」
青い空に、うっすらと白い月が浮かんでいる。あたたかい風が頬をなで、どこかで咲いている花の香りが、ほのかに鼻先をかすめる。
「これで……よかったんだよね」
梨花の少しかすれる声が耳に聞こえた。けれど幸也は答えることができない。
よかったのか、悪かったのか。今の自分には答えなんか出せない。
「うん。これでよかったんだ」
梨花が納得したように自分でつぶやいた。
坂の上から子供たちが駆け下りてくる。二人の脇を通り過ぎ、無邪気な笑い声だけがその場に残る。
「ねえ、幸也?」
突然立ち止り、梨花がいたずらっぽい顔で幸也に言った。
「どうして『今日』うちに来たの?」
「え?」
「なにか特別な理由があったんじゃない?」
こんなふうにわざと誘導尋問してくるところは、付き合っていた頃と変わらない。
「別に理由なんてないけど?」
「うそだぁ。今日があたしの誕生日って知ってるくせに」
幸也の隣で、おかしそうに梨花が笑う。仕方なく幸也は、持っていたケーキの箱を、梨花に押し付けた。
「はいはい、わかってますよ、お嬢様。お誕生日おめでとうございます。もう食い飽きたケーキだろうけど」
「なにそれ。素直じゃないなぁ」
「どっちがだよ」
ケーキの箱を受け取った梨花がくすっと笑って、それから消えそうな声でつぶやいた。
「ありがと。幸也」
坂道の途中で梨花と向き合う。なんだか無性に照れくさくなって、幸也は梨花に背中を向けて歩き出す。
その時なぜかふっと思った。かすかに千桜のことをふっと思い出した。
「梨花はさぁ」
「ん?」
幸也を追いかけるように梨花がついてくる。
「なんで『リカ』って名前なんだよ」
「あれぇ、話してなかったっけ?」
追いついた梨花が隣に並ぶ。
「『リカ』ってね、梨の花って書くでしょ? お父さんの生まれ故郷にね、梨畑がたくさんあったんだって。春になるといっせいに梨の花が開いて、すごく素敵だったんだって」
「へぇ……」
少し驚いて梨花を見る。あの所長、案外ロマンチストだったりするんだな。
「いい名前じゃん」
そうつぶやいた幸也の隣で梨花が立ち止る。
「……梨花?」
振り向いた幸也の目の前で、梨花はぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ど、どうしたんだよ? なに泣いてんの? お前」
「なんでもないよっ」
きゅっと目のあたりを指ではらうと、梨花は幸也に笑いかけた。
「あたし、絶対忘れない」
「え……」
「名前も付けてあげられなかった赤ちゃんのこと、絶対忘れない」
ぼんやりと梨花の顔を見つめた。梨花はそんな幸也の前で、力強く声を出す。
「そしていつかまた、あたしの赤ちゃんができた時は、今度こそ絶対大事にする」
そう言って、ふっと微笑む梨花の顔は、前よりなんだか少し違う。
梨花はきっと、自分なんかよりずっと悩んで、それを乗り越えてきたんだろう。
強いなって思う。女は男より、ずっとずっと強い。
すっと手を伸ばして梨花の頭をふわふわとなでた。きょとんとしていた梨花の顔が、みるみるうちに歪んでいく。
「バカァ。そういうことしないでよぉ」
「こんなことしかできないから」
また泣き出してしまった梨花の顔が見れなくて、顔を背けたままその髪をなでる。
梨花の髪は柔らかくて、いい匂いがして、気持ちがよかった。
だけどこんな梨花と家族になるのは、きっと自分じゃないと思う。
「寄ってかないの?」
梨花の家の前で立ち止まる。
「うん。梨花に会えたからもういいや。休みの日まで所長に会いたくないし」
梨花が笑って幸也を見る。
「それじゃ」
「うん。バイバイ」
ケーキの箱を抱えた梨花が、小さく手を振る。
「梨の花かぁ……」
今日家に帰ったら、どんな花なのか調べてみようと思う。




