15
外ではまだ、今年最後の雪が降り続いていた。
「千桜……」
この狭い部屋の中で、何度その名前を呼んだだろう。
窓を背にした千桜が、幸也の前で目を閉じる。
そっと口づけを交わしながら、好きなのかなって思う。
しっとりと柔らかい唇も、なめらかで白い肌も、背中でひっそりと主張している過去の傷も、全部好きなのかなって思う。
「千桜……行かないで」
耳元でささやきながら、服を脱がせる。窓の外に灯った街灯の灯りが、千桜の細い身体のラインを、うっすらと照らし出す。
「行くなよ。ずっとここにいなよ」
何も答えない千桜の身体に、ひとつひとつ刻み付けるように、キスを落としていく。
曇った窓ガラスの向こうは、凍えるほど寒くても、抱きしめた千桜の身体はこんなにもあたたかい。
雪がもっと降ればいい。もっともっと降り続いて、二度とこの部屋から出られなくなればいい。
たった一度だけ、切ない声で幸也の名前を呼ぶと、千桜の目から一滴の涙がこぼれた。
次の朝は快晴だった。眩しい日差しに照らされて、幸也はやっと目を開ける。
「千桜?」
けれど隣で眠っていたはずの千桜は、もういなかった。
ゆっくりと起き上がり、窓を開く。
冷たい空気とともに、真っ白な世界が幸也の目の前に広がる。
「つもってる……」
丘の上から汚れた河原まで、今日は町中すべてが白く覆われているのだ。
夢だったのかな……見慣れない景色を眺めながら、そんなことを思う。
あの夜、二人が出会ったのも、この部屋で肌を寄せ合ったのも、今にも消えてしまいそうだった儚い笑顔も。
ふと視線を落とすと、千桜の大事にしていたスケッチブックが置いてあった。
幸也はそれを手に取り、一枚ずつめくる。
千桜に初めて声をかけた公園、二人で歩いた川沿いの道、千桜が小さい頃に暮らしていた家。
そして今朝、この窓から見た、真っ白に染まった景色。
夢なんかじゃない。
時間にしたら、ほんの短い間だったけれど、そこには二人が出会ってから今朝までの、忘れてはいけない風景が描かれていた。
――人間って、いろんなこと、すぐ忘れちゃうんだよ。
いつか聞いた、千桜の言葉が耳に響く。
千桜はこの部屋で、失くしてしまった記憶の欠片を見つけ、そしてまた、別の欠片を探しに出かけてしまった。
「おれは忘れないから」
スケッチブックを閉じて、幸也はもう一度外を見た。
「絶対忘れたりしないから。千桜のこと」
口に出したら、情けないことに涙が出そうになって、あわてて窓を閉める。
泣いている暇なんかないだろう? 自分のやるべきことを、今日もひとつずつやるだけだ。
部屋の隅に、昨日出した父親のリュックが置かれていた。
幸也はそれを押入れの奥へ放り込むと、いつものように仕事へ出かける支度を始めた。




