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「梨花はここを、辞めさせようかと思う」
所長からそれを聞いたのは、梨花が会社に来なくなって一週間が経った頃だった。
「え……」
今朝コンビニで買ったおにぎりを食べようとした幸也の隣に、所長はどっしりと座り込む。体に緊張が走って、さりげなく腰をずらすと、幸也の胸に所長は缶コーヒーを押し付けた。
「辞めるって……どうしてですか?」
ぺこりと頭を下げて、コーヒーを受け取りながら、幸也が恐る恐るつぶやく。
「親として、梨花を甘やかしすぎたと反省している。こんなに長く仕事をサボったら、普通だったらクビだろう?」
「でも、体調が悪いんじゃ……」
「そんなこと一言もあいつは言ってない。ただ部屋にこもって出てこないんだ」
所長はそこまで言うと、小さくため息をついた。その表情は、娘を心配している父親の顔だ。
「あの子はわがままで、強情だろう? 昔から友達も少なかった。男と付き合っても、長続きしないしな」
ごくんと唾を飲み込む。いつ話がこちらにふられるか、幸也は生きた心地がしなかった。
「だからな、あいつが男と一年間も付き合ったなんて、初めてのことだったんだ。あんな意地っ張りな娘と、よく付き合ってくれる男がいたものだと感心していたが、いつの間にか別の男と付き合っておった」
ちらりとこちらを見ている視線に気づいたけれど、所長と目を合わせることができない。
「男を見る目がないんじゃ、あのバカ娘は。目先の華やかさだけに気を取られて、目移りばかりしとるから、本当に大事なものを失うことになる」
所長は両ひざに両手をのせると、ぐっと勢いをつけるようにして立ち上がった。
「どうしようもない娘だが、たまには声くらいかけてやってくれ。親バカ承知で言わせてもらえば、あの子は強がっているだけで、本当は寂しがり屋な子なんだよ」
それだけ言うと、所長は幸也に背中を向けた。
「よかったらさ、これ食べてくれない? たくさん作り過ぎちゃって」
そう言われて、初めて梨花の作ったおにぎりを食べた日、梨花はにこにこしながら隣に座って、幸也のことを見ていた。
「どう? おいしい?」
「ん、おいしいけど……おれ、梅干し苦手」
「えー、せっかくあんたのために作ったのにー!」
声を上げた梨花が、しまったといった表情で口を覆う。二つ年上の梨花の、そんな仕草がなんだか可愛くて、最初にデートに誘ったのは幸也のほうだ。
いつも強気でお姉さんぶってて、でもふと気を抜いた瞬間に見せる、何の悩みもなさそうな、ふわっとした笑顔が何より好きで。喧嘩もしたけど、二人は上手くいっていたはずだった。
それなのに、いつからだろう。
どんなに近くにいても、幸也は梨花との距離を縮められない気がしていた。
さりげなく持っているブランド物のバッグ。誕生日に父親からもらったという高級そうなアクセサリー。「バーゲンで買ったの」なんて言いながら、会うたびに梨花の着ている服は、新しいものに変わっていた。
梨花は梨花に合った男と付き合うべきだ――そう思い始めたら、幸也は梨花につい、冷たい態度をとってしまうようになっていた。
「ごめん、幸也。あたし幸せな結婚がしたいの」
「勝手にすれば」
梨花があの男の元へ去って行った時、ほっとしたなんていうのは嘘だ。
本当は悔しかったのに。追いかけてその手をつかんで、引き戻したかったのに。
誰よりも幸せな結婚を望んでいたのは、この自分だったのに。
幸也は所長にもらったコーヒーを開けると、それを一気に胃の中へ流し込んだ。
千桜と飲んだコーヒーと違って、なんだかほろ苦い味がした。




