プロローグ
俺は男爵家の息子、名前をアレンという。元々は日本で高校生をしていたが、ある日突然この異世界に転生した。
今の俺の年齢は15歳。趣味は昼寝と剣術である。
今日は姉が貴族の子供たちが集まるパーティーに出るということで、家で寝ていたいのに無理やり引き摺り出された。
それだけならまだいい。パーティに出るのも貴族の勤めではあるし、他の貴族の子供たちと親交を深めるのも悪い事とは言わない。
だが、非常に厄介なのが今世での俺は中性的な顔立ちをしているせいで、行く先々で女と見間違われるのだ。
そして今日、我儘な姉の企みで、俺はカツラまで被ってなぜか女装をして貴族のパーティに出席する事になった。友達がいない姉が言うには、一人でパーティに参加するのが嫌だとの事だ。
俺は姉には逆らえない事情がある。
何故なら、昔姉の下着を被って「パンツマン!」と叫んでいたところを見られたからだ。
言うことを聞かないと両親に告げ口すると言われ、そこから俺は姉の奴隷である。
今日のパーティだってそうだ。
俺は心底嫌がったが、愛嬌だけはいい姉を甘やかす父親と、興味津々で俺に女装をさせたがる母親のせいで、泣く泣くドレスを着ることになった。
父親が姉の頼みを聞いたら真剣を一本プレゼントしてやる、と言ったので物に釣られた俺も悪いのだが。
そんなこんなで姉とパーティに出席したはいいものの、目の前のこの状況はどういう事だろうか?
「あなたが私の陰口を言っていたのは知っているのよ!?」
「だって本当のことだろ!? お前の母親が不倫したんだから、お前が本当に伯爵の娘かなんてわからないじゃないか!?」
目の前でヒートアップする男女。
ここはパーティ会場のテラスで、周りには誰もいない。
姉は無事に新しい友達が出来て、早々に俺を放置して行ってしまった。
そして俺は女装したままパーティ会場にいるのに疲れ、一人でテラスで休もうと思っていた所だった。
人目に触れたくないからテラスに出てきたと言うのに、そこには衆目を集めるが如く言い合いをする子たちがいたのだ。
「貴方だって全然お父上と似てないでしょ! 貴方こそ馬小屋に捨てられてたところを拾われてきたんじゃないの!?」
中々酷い事を言うなあ、とは思ったが、売り言葉に買い言葉だ。口喧嘩の鉄則は怒らないこと。
冷めた目で見ていたが、男の子はどうやら煽り耐性ゼロの様だった。
「なんだと!? このやろう!」
「きゃっ!」
男の子が怒りを堪え切れずに、女の子に掴み掛かった。
俺は仕方なくその間に割って入る。
「レディ。大丈夫ですか?」
振り下ろされた男の子の拳を難なく手のひらで受け止めながら、俺は腕の中にいる女の子に訊ねる。
「え、ええ。あ、貴方は?」
女の子の話を一旦無視して、俺は殴ろうとした男の子に向き直る。
「な、なんだよ? そ、そいつが悪いんだろ!?」
どう収拾をつけようか迷っていたが、そこで俺は自分自身が女装している事に気づいて笑みが溢れた。
そして、どうせ女装しているし、と思って遠慮なく男の子の顔面を殴りつけた。
「ぶえ!?」
潰れたカエルの様な声を上げながら尻餅をついた男の子に、俺は咳払いをするとできるだけ高い声を出すように意識して話しかける。
「殿方がレディに手を上げるなど不届き千万。これ以上の狼藉は見逃せません。まだやるのなら、ここからは私がお相手いたしますが?」
姉に無理やり女装させられた苛立ちも込めて、ポキポキと指を鳴らしながら言う。
男の子は俺の様子に怖気付いたのか、泣きながら「覚えてろよ!」とまるで三下の悪役みたいな捨て台詞を吐いて会場に逃げていった。
「あーいいストレス解消になった」
テラスの風を身体に受けながら伸びをする。
「あ、あの!」
静まり返ったテラスで、俺は改めて女の子の顔を見る。
雪の様な白い肌。頭の横で揺れる金色のサイドテールは綺麗に縦巻きにカールしていて、少し釣り上がった瞳は何となく気の強そうな印象をうける。
可愛い子だなあ、将来は美人になるだろうなあと思っていると、目の前の女の子は思いがけない事を言い出す。
「助けてくださってありがとうございます。私はガーデイン伯爵家の一人娘、セレスティーナと申します」
その名前を聞いて、俺の脳内に衝撃が走った。
──セレスティーナ・ガーデイン。
それは前世で流行っていたアニメ『フラワードール』に登場する名前だったからだ。
しかも恋敵である主人公の聖女を散々にイジメ倒してノイローゼにさせた挙句に、なぜか聖女と心中しようとして自分だけ死ぬというなんとも間抜けな悪役令嬢の名前だ。
俺はアニメを見たことがあるから知っていた。言われてみればどこからどう見ても悪役令嬢セレスティーナの幼い頃である。
「あ、あの。それで貴方はどこのご令嬢でしょうか? よろしければお名前をお聞かせくださいませんか? 正式にお礼をしたいのです」
セレスティーナは赤らんだ頬を隠す様に目を伏せながら言う。
その姿を見るとアニメの執着心に溺れたヤンデレセレスティーナとは別人に思えるのだから不思議だ。
俺は混乱と焦りから背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
「ご、ごほん。その必要はありませんよ? ガーデイン伯爵令嬢。私はただのしがない男爵家の娘です。お礼が欲しくてした訳ではありませんから」
早口でそれだけ言って、俺はさっさとテラスから離れようとした。
どちらにせよ、これ以上ここにいる必要はない。もしここがアニメの世界だとしても、モブである俺には関係ないのだ。
だが、後ろから腕を掴まれて、恐る恐る振り返る。
「そんな……どうかお名前だけでも教えてください!」
このまま名乗ったらやばい事になる気がする。
そんな風に思いながら必死で頭を高速回転させ、俺はセレスティーナの指をゆっくりと解いた。
「私は……あ、アイリスといいます。ではご機嫌ようセレスティーナ様」
名前は言ったんだからもういいだろ、と暗に伝えると、俺はセレスティーナから離れて駆け足でテラスから会場に戻っていった。
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テラスに一人残されたセレスティーナは、去っていく人物の背中を見ながら、頬に手を当てる。
「なんだか、熱いわ。なんなのかしらこの気持ちは……?」
狭い貴族社会の中で、セレスティーナは母親が不倫をしたという汚名のせいで随所で酷い言われようだった。
当の本人は関係はないのだが、それを理由にセレスティーナはどこにいても孤立していた。
友達もできないまま、近寄ってくる人間はセレスティーナの伯爵令嬢という身分にすり寄るか、もしくは揶揄うばかりで、それを助けてくれる人間もいなかった。
大人は子供のやる事だからと見て見ぬふりをし、それどころかセレスティーナを不倫の末に生まれた子なのかと疑った。
だが、あの令嬢は違った。
こんな事はなんでもないといった風に名乗りたがらない高潔さ。こちらに気を使うように足早に退散する優しさ。
「アイリス様……」
その名前を口に出すと、何故か顔が熱くなるのを感じた。
海のように青い瞳と、絹のような茶色い髪。少しハスキーな声は鼓膜を直接叩くようで──。
「い、嫌だわ……あの方は女の人なのに」
だが早まる鼓動と絶えず襲いくる熱は、否定しようとするセレスティーナを非難する様に増していく。
セレスティーナは決意した。
「必ずお礼をしなくては。ガーデイン伯爵家の名にかけて」




