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第26話 「舞台の内側」

今日は、エリーの“仕事の顔”が描かれます。


舞台の内側で、すいは初めて、

彼の世界の一部に触れることになります。


距離と緊張、

その中にある小さな優しさを、

静かにお楽しみください。


会場の中は、想像していたよりも静かだった。

まだ客席はまばらで、照明は落とされ、

舞台の輪郭だけが淡く浮かんでいる。


スタッフが足早に行き交い、

抑えた声で確認を重ねていた。


すいは、エリーの少し後ろを歩く。

案内される通路は客席ではなく、舞台の内側へと続いていた。


ここがどこなのか。

自分がどこに立っているのか。

その輪郭が、ゆっくり薄れていく。

 

楽屋前の壁に紙が貼られている。


プログラム。


Elie Moreau – Solo Live


その文字が、胸の奥に静かに落ちた。

――今日、なのか。


エリーから、何かを聞いていたわけではない。

ただ名前を呼ばれるまま、後をついてきた。

行き先もわからないまま、気づけば、舞台の内側にいた。


これは、エリーの仕事の場所だ。


舞台。

責任。

音で立つ時間。


空気の温度が、そっと変わるのを感じた。


 

リハーサルが始まる。

ギターの音が、広い空間にひとつずつ置かれていく。

正確で、迷いがなく、音だけで空気が整っていく。


その隣で、ピアノが応える。

若い男の、まっすぐな指。

音は美しい。整っている。

なのに、ほんのわずかだけ、呼吸が合わない。

説明できるほどの違いではない。

ただ、胸の奥に小さな揺れが残る。

音が前へ出る。

寄り添いより、わずかな張りつめが先に立つ。

翠の視線が、そっと揺れた。

 

ピアノに向かうその男は、姿勢がよく、動きに迷いがなかった。

ここにいることが自然で、美しいとも思える。

だからこそ、翠の足場がふっと曖昧になる。

 

エリーはスタッフに囲まれ、

静かに指示を出していた。

プロの顔。

その横顔は、少しだけ遠い。


声をかけるタイミングを何度か逃す。

邪魔をしてはいけない気がした。


それでも、ふと視線が合う。


一瞬。


何も触れないのに、その目だけが、やわらかくほどけた。

胸の奥が、それだけで静かに落ち着く。

 

リハの合間。

エリーが低く言った。


「……今日、俺のライブ」


翠はわずかに驚き、それから頷く。


「……今日、なんだ」


エリーは短く続けた。


「来てくれて、よかった」


ただそれだけ。

けれど、“ここにいていい” が、はっきり伝わった。

 

開演が近づく。

客席に人が増え、ざわめきが戻ってくる。

照明が落ち、音がいったん消える。


すいは、舞台のすぐそばに残されていた。

客席でもなく、演奏者でもなく。

ただ、エリーの“内側”にいる。


まだ触れていないエリーの場所。

その奥へ続く気配を、静かに見つめていた。


——つづく


エリーの音の世界に、

翠が一歩踏み込む回でした。


ふたりの距離は、

言葉よりも“視線”と“空気”で動いていきます。


次回、舞台の火が灯ったとき、何が見えるのか──

静かに続きます。

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