第2話 「眠るひと、弾くひと」
第2話は、
前話で出会ったふたりの「その後の夜」を、
静かな時間の流れの中で描いています。
大きな出来事は起きません。
会話も、ほとんどありません。
ただ、音が残っている場所と、
眠りの気配がそっと交わる時間です。
第1話よりも、
少しだけ視点が変わり、
空気の温度も落ち着いています。
急がず、
夜の静けさに身を置くような気持ちで、
読んでいただけたら嬉しいです。
「……おい。大丈夫か」
何度か声をかけても、青年は目を開けなかった。
呼吸はある。熱も、異常に高いわけじゃない。
けれど、力が抜けきった体は、ひどく軽く感じられた。
救急車。警察。
一瞬、頭をよぎる。
エリーはそれを振り払い、青年を見下ろした。
「……とりあえず、な」
そう呟いて、エリーは青年を抱き上げた。
エリーが滞在しているのは、
都心のレジデンス機能を備えたホテルだった。
広いが、過剰ではない。
音が吸われるように静かな部屋だ。
ベッドに寝かせると、
青年は小さく身じろぎをしたが、目は覚まさない。
サングラスを外す。
閉じたまつ毛は長く、
寝息は浅くも深くもなく、安定している。
「……ほんと、変な夜だ」
それだけ言って、
エリーはバスルームへ向かった。
シャワーを浴び、髪を乱暴に拭く。
濡れたままのプラチナブロンドを後ろで束ねると、
ようやく頭の中が静かになった。
簡単な食事を作る。
慣れた手つきで、キッチンに立つ。
小さな鍋を火にかける。
玉ねぎと、じゃがいもだけ。
切って、入れて、水を足す。
強い香りは立たない。
湯気が、静かに上がる。
コーヒーを淹れ、
マグをひとつ、テーブルに置く。
ベッドの方を見る。
眠っている。
穏やかで、深い眠りだ。
エリーは、
ギターを手に取った。
最初は、探るように。
次に、確かめるように。
指が弦に触れた瞬間、
あの夜の空気が、静かに戻ってくる。
――そうだ。
こんな感じだった。
音は、自由に流れ、
空へ向かって伸びていく。
明るさの奥に、
わずかな影を含んだ旋律。
気づけば、音は自然に膨らんでいた。
足りないところに、音が生まれ、
重ねるほどに、輪郭が見えてくる。
エリーは紙を引き寄せ、
ラフな譜面を書き留めた。
整っていない線。
仮の記号。
タイトルは、まだない。
それでも、
この曲は確かに、息をしていた。
いつの間にか、
エリーはソファーに体を預けていた。
ギターは手の届く場所に置いたまま。
月の光が、窓から淡く差し込んでいる。
ベッドの方を見る。
眠る青年――
翠は、
まるで音の続きを、夢の中で聴いているみたいだった。
エリーは、
そのまま目を閉じた。
この夜が、
何を連れてくるのか――
まだ、知らないまま。
——つづく
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第2話では、
言葉よりも行動や音を重ねることで、
ふたりの距離を描いています。
はっきりとした答えや説明は、
まだ用意していません。
けれど、
何かが静かに始まっていることだけは、
感じていただけたら嬉しいです。
この物語は、
少しずつ輪郭が見えてくるタイプのお話です。
読み進める中で、
後から意味がつながる場面も出てきます。
無理のないペースで、
気が向いたときに、
続きを覗いていただければ幸いです。
また次話で、お会いできたら嬉しいです。




