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第13話 「夜明け前、音が触れ合う」

第13話です。


言葉より先に、身体が動いてしまうこと。

説明できないけれど、確かに起きてしまうこと。


今回は、そんな“間”の夜です。


どうぞ、静かな時間の中で読んでいただけたら嬉しいです。


扉が閉まった、その瞬間だった。

どちらからともなく、ほんの一歩、距離が詰まって――

気づいた時には、抱きしめていた。

強くもなく、確かめるほどでもなく、理由より先に、体温があった。


「……」


二人同時に、はっとして離れる。


数秒の沈黙。


「……あ、はは」


エリーが、少し大げさに肩をすくめた。


「会いたかった〜。ほんと」


冗談めかした声。

いつもの、明るい調子。


でも、すいにはわかった。

その奥で、何かがひどく張りつめている。


「……ごめん」


翠は小さく言った。

自分でも、なぜ抱きしめたのか、うまく説明できなかった。


たぶん――

人の体温に、少し慣れてしまっていたから。

それとも、違う理由だったのか。


「いや、いいって」


エリーは笑って、手を振る。


「公園、やばかったな。人、めっちゃいた」


「……うん」


逃げるみたいな会話。

それで、少しだけ安心した。


玄関を抜け、リビングへ。

夜景が、窓いっぱいに広がる。

街の光は遠く、部屋の中は静かだった。


グランドピアノが、黒い影としてそこにある。


「どうぞ」


翠が言って、大きめのソファを示す。


「飲み物……ハーブティーならあるけど」


「いいね。アルコール?」


「ない」


「水?」


「お茶」


「……じゃあ、ハーブティーで」


少しだけ笑って、二人分のカップを用意する。

湯気が立ちのぼる。

香りが、空気をゆるめる。


「……あ」


エリーが、ふと思い出したように言った。


「メッセージ、ありがとう」


「……」


「ルルがね」


翠は、先に言った。


「眠れないって言葉、気にしてて。

 子守唄、吹きたいって」


「……ルル?」


「妹。八歳」


ふと、フランス語がこぼれた。

意識するより先に。


エリーの眉が、わずかに上がった。


「……話せるじゃないか」


「少しだけ」


「最初から話せよ」


拗ねたみたいな声音。

それが、妙に人間らしくて、翠は目を伏せた。


「……ごめん」


「まあ、いいけど」


エリーは肩をすくめて、カップを口に運ぶ。


「でもさ。あの子……」


「?」


「フルート、かなりうまい」


「……そう?」


「プロ並みだ。ほんとに」


翠は、少し誇らしげに、でも控えめに頷いた。


「……息が、きれいなんだ」


しばらく、沈黙。


カップの底に、音が触れる。


エリーが、ゆっくり息を吸った。


「なあ」


「……」


「ここ数日」


視線を外したまま、言う。


「君の音が、頭から離れない」


翠の指が、わずかに強張る。


「良かったらさ」


エリーは、少しだけこちらを見る。


「何か、一緒に作らないか」


静かな提案だった。

強制も、期待も、押しつけもない。


「……」


翠は、すぐには答えなかった。

しばらくして、正直に言う。


「……考えさせて」


「……どうして?」


「……怖い」


エリーが、何も言わずに待つ。


「家族と、先生以外と……深く話したこと、あまりなくて」


「……」


「音を一緒に作るって……

 たぶん、隠している場所まで触れられることだから。」


翠は、目を伏せたまま続けた。


「……怖い」


エリーは、少し考えてから、肩をすくめた。


「じゃあさ」


エリーは、視線を落とした。

それから、ゆっくり笑う。


「俺を、人だと思うな」


「……?」


「ギターだと思えばいい」


軽い調子で。でも、どこか本気で。


「何も気にするな」


そう言って、エリーは弦を鳴らした。


昨日の旋律。

ルルとのコラボで生まれた、あの音。


「俺なら、ここ、こうする」


和音をずらす。

余白を足す。

少しだけ、影を濃くする。

楽しそうだった。

子どもみたいに。


すいは、気づいたらピアノの前に立っていた。

椅子に座り、ギターの音を受け取る。


言葉は、もういらなかった。

音が、会話になる。

夜は、静かに深まっていく。


カーテンの隙間から、淡い光が差し込むころまで。

二人は、ただ、弾き続けていた。


夜明けは、

もう、二人の音の中に混ざっていた。

——つづく


読んでくださってありがとうございます。


この回は、抱擁でも告白でもなく、

「距離が変わる瞬間」を描きたくて書きました。


音を一緒に作ることは、

心の奥を差し出すことに近い。


翠にとっては、とても怖いことです。

でも怖いからこそ、本物でもある。


エリーは軽く言っていますが、

実は一番覚悟を決めているのは彼かもしれません。


夜明け前は、いちばん静かで、

いちばん近い時間。


次話、少しずつ光が入ります。

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