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壺中の蠱女  作者: you
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五章 後宮炎上-6

王殿は唯一、後宮と外朝をまたぐ建築物だ。王の寝所と朝堂を兼ねている。


後宮側から入り奥へ進むと、公主全員が余裕を持って槍術の訓練を行えそうな大堂へ出た。常ならここで百官と王が政事をはかるのだろう。


「――頭が高い、王前なるぞ」


声の方へ灯を掲げると、龍座に掛けた耕穡家と、脇にたたずむ衡交家、それから対天上蜜剤と思われる麻袋の山が浮かび上がった。


一方、水廌家はいつも自分が最高の女王なので、他の女王はすべて格下だ。つかつかと二人へ歩み寄る。


「脅して譲らせた王位に効力などない。我が国の律令に明るくないようだから教えてさしあげるわ、王の僭称はその咎、九代に及ぶ大罪よ。父祖の墓まで暴かれその屍に鞭打たれたくなければ、速やかに縛につき、〈天上蜜〉の対処剤をお渡しなさい!」


回答は即座だ。水廌家が言い終わるか否かのうちに、兵が暗がりから飛び出してきた。その数、二十――いや三十!


これは折り込み済みだ。


豹変した李翰は床を蹴り、応戦する。兵はすかさず獣除けのたいまつを振る。李翰はそのまま吶喊し兵を突き倒した。瞼を閉じて、耳と鼻を使えば、獲物の位置を捉えるなど造作もない。方才までの李翰はまだ人間が抜けてなかったのだ。


その横では脩身家の吹箭がうなり、貘が耕穡家と衡交家を追いつめる気配を感じる。今度は勝てる――!


李翰が確信したその刹那、脩身家が高い声を上げた。


脩身家の声がすましてないなんて、よほどの時だ。李翰はやむなく薄目を開けた。幸い、火勢はかなり弱くなっていた。これなら戦える。


だが――貘が動きを止めている。


貘は、龍座のずいぶん手前で、何かを一心不乱にむさぼっている。水廌家の指示なんて聞きやしない。


かつて、貘を偽王にけしかけたのは誰あろう耕穡家と衡交家だ。当然、貘の好物を心得ている。対貘用に、夢見の悪い兵士を用意しておくくらいはする。貘は餌に釣られていた。


「くちくなった」などと言っていたくせに、まだ食い気を出すなんてほんとにいやしいやつさすが野生の魔魅、と思っている李翰は、気づくと口の周りが真っ赤だった。


投げられた生肉をむさぼる自分に気づいたが、血の臭いで心が弾みすぎて食欲が押さえられない。耳は、水廌家と脩身家が兵に打ち倒される音を聞いている。やがてこの弾む心拍も止まるだろう。


刃が肉に食い込んでくる。


興奮で痛痒い――


「――そこまでだ、簒奪者ども!」


誰もが一時気を奪われ、声に振り向くと、破れた窗から月光だけが差しそめていた。……いや?


目をこらすと、黒いものが一つひらひらしている。蝶だ、と理解したその時、蝶の輪郭は歪み、人の姿をとった。


まさか。あの見慣れたいけすかない、整った輪郭は!


「辰霊景……やっぱり生きていたのか!」


「呼び捨てにするなと言っているだろう、ネコちゃん」


陰のある星入りの睛が、煩わしげに睨み返してきた。やはり辰霊景だ。本物だ!


困惑と当惑の中、霊景は黒い羽扇で耕穡家と衡交家を指した。


「聞け簒奪者ども、〈天上蜜〉の対処剤は既に各国の手に渡っ――」


「僕と桑君を鎖で繋ぎなよ、良朋。僕らの完敗だ」


衡交家はちょうど辰霊景の発言に被せるように口を開き、さらに李翰に両手首を差し出してきた。


「ふうん、辰君の飼い主は、戎家の司馬君か。王も一枚噛んでいたってところかな」


おそらく辰霊景の人生で最上級に輝かしいだろう謎解き役を衡交家は無造作に持って行った。衡交家のことだから、割って入る時機から何から全て作為だろう。


「どったらことなんだあ、衡交家? 蝶変した辰氏は胡蝶学派で間違いねえ。辰氏の入宮同期は莫姐だあ。莫姐も胡蝶家だった――ははあ、莫姐は偽装要員だったんだな。真に薬学に長けた者を――蘇摩対応に当たれる存在を、おらっちたちの目から隠しておくための。と、そこまではわかるが――王が噛んでたってのは?」


耕穡家もできる子なので、合いの手にぬかりない。


「王はきっと〈天上蜜〉開発を知っていた」と衡交家は白い眉をなでる。


辰霊景の得意顔がみるみる俯いていくが、二人はやめない。


「どうして兄者は、使いようによっては王の地位を揺るがしかねねえ開発を黙認してたんだあ?」


「〈天上蜜〉は洪鈞統一の秘宝、誰だって欲しい。けれど〈天上蜜〉は研究段階だった。開発者を泳がせておくのが最良と判断したんだろう。もちろん監視をつけてね」


兵器が完成したら、ただちに口を封じられるように。と、衡交家は続ける。


「桑君を監視する役は、忠臣である戎家出身公主が適任。というより、〈天上蜜〉の存在を王に告げたのは司馬君なんじゃない? 違法草木である蘇摩を王宮に持ち込んでしまった罪はいずれ露見する。ならば先んじて〈天上蜜〉の存在を報告することで、保身を図ったんじゃないかな」


「だども、将軍自身もおらっちの注視下にあったぞ。目立った動きはできないはずだあ」


「そこで宇公主の二人――辰君と莫君だよ」


「だが、戎家は辰氏とも莫姐とも親しい様子がなかったぞお?」


「うん。だから僕らは、〈胡蝶家〉の莫君を貘化させただけで油断してしまった。司馬君は既にぬかりなく、辰君と莫君に接触していたのにね」


「というと?」


「司馬一族は、昔からむすめは養子に出す。最多の養子先は麟王家だ。王家は政略のために公主は何人でも欲しいから。そうやって戎家一門は王家に恩を売ってる。麟王城で製造された公主の出荷先は、有力国の王家や貴族――」


「司馬将軍は、麟公主として宇後宮へ嫁いだ自らの姉妹に依頼して、自分の部下になりうる人材を公主として麟へ派遣させたのか!」


「戦国で王族同士の人質交換は茶飯事だからね。疑われにくい。それに、友好国と言っても、戦国8雄のうちの4国をすでに併呑した麟と、小国の宇の力関係は明らかだ。麟公主として嫁した司馬君の姉妹は、嫁ぎ先の宇後宮では有力者。麟後宮へ送る公主の選定は自在だろうね」


蝶変できる辰君は外部との通信役として最適だっただろうね。司馬君が冷宮に幽閉されてからも。と衡交家は笑う。


「戎家一門もやるなあ。唯一の失敗は、せっかく麟後宮に入れた司馬戦を、暴動の混乱で失ったことだろうなあ」


「――はっ! そうだ! 衡交家耕穡家! よくも司馬将軍を傷つけた罪を、小才たちに着せてくれましたね!」


衡交家と耕穡家のわざとらしい謎解きから我に返った李翰は、とっさに牙を剥いて威嚇したが、耕穡家は怪訝そうだ。


あれ? 司馬将軍を刺したのって、彼女たちじゃないの? どういうこと?


「――話は終わりだ敗残者ども!」


痺れを切らしたらしい辰霊景が口を挟んできた。


というか、謎解き役を奪われてうなだれている辰霊景があまりに可哀想なので彼と義姉妹である長公主一同は発言の機会を作ってあげた。たとえ命のかかった抗争下にあっても、あの辰霊景に場を譲るくらいの余裕がないと思われるのは、どの公主にとっても不本意だったのだ。


得意満面、辰霊景は胸を反らす。


「慈悲の時は終わった。貴様らの残虐禁断邪悪超極秘兵器を崩す、対処剤を難なく完成した私は、死を装って後宮を脱出した。天下にこの残虐禁断邪悪超極秘兵器の存在を知らしめ、無効化するために。私の智の結晶、究極最終超超絶対正義秘薬の前に敗れ去れ姦悪ども――!!」


辰霊景が口上を決めて満足して、むせて脩身家に背中をさすられている間に、李翰は、耕穡家と衡交家の逃走を防ぐため、割いた衣で手足を縛った。




◇◇◇



「辰霊景ごめん! 後宮から消えてから正直、一日十回、望舒宮の方角に向かって呪いの礼拝をしてた! こんなところに置いて行きやがってって」


李翰の感謝を聞き終える頃には、辰霊景は人を侮りきったあの形に表情筋を歪めていた。


この表情の次に来た言葉で、幸せな気分になったことが、李翰は一回もない。


ネコちゃん。君はなぜまだ後宮なんかにいるんだ?」


「喧嘩売ってるの? 辰霊景が後宮を出ると全身に回って死ぬ毒を小才に飲ませたからだよ!」


「まだあれを信じているのか。星砂鐶はただの暗示をかける道具だ。君の心を、時の感覚が死ぬくらい追い詰めてから、しかるべき薬剤を使って幻覚を見せたり暗示をかけたりしただけだ。時なんか、人の力で戻せるわけないだろう。戻せたら、王は星躔学者を手放さない、愚鈍な豹ちゃんだな」


「は? でも死んだ感は間違いなく何回かあるけど?」


「死者蘇生か? そんなものは、我が胡蝶家が得意とする導引術の応用だ。導引は相手の気を取り込むが、死者蘇生は逆に、気を相手に送り込むんだ。気とは生命力だからな」


ああ、だから、初対面では元気だった辰霊景が、時間経過とともに、体調悪化していったのか。辰霊景は三十六回死んだ李翰のために、都度、自らの生気を送り込んだのだ。え、ちょっと待って、導引って房中術とどう違うの? そう言えば辰霊景って李翰が笑いかけただけでしきりに照れていたけど、何あれどういう意味だったの?


「飲ませた毒なんて、入宮初日に君が初めて死に、蘇生させる時に、とうに解除してある」


「ああもうそれ今どうでもいい……」


毒なんかなくても、もはや後宮から出られる状況じゃない。


「あでも、辰霊景にはこの乱を収める方策があるから戻ってきたんだよね! 対〈天上蜜〉剤だっけ?」


「あれは虚言だ、豹ちゃん」


 李翰の腹が鳴った。殺意とは空腹に似ているのだと知った。


「私はただの〈天上蜜〉の対処剤なんか作ってない。私が請けた戎家の依頼はそんな穏当なことじゃない。あの女を、仁者と思うなよ」


「どういうことですか?」


「戎家は〈天上蜜〉の製造に反対していた。被害を被る民を思ってのことじゃない。実戦投入されたが最後、戦争という概念が消滅するからだ。戎家一族の生業は何だ? 用兵と交易じゃないか」


〈天上蜜〉は、戎家という戦争貴族を没落させかねない。だが、〈天上蜜〉を戎家の管理下に置くなら話は別だ。


「戎家の指示は、耕穡家から〈天上蜜〉の開発技術を盗むことだった。戎家と、耕穡家。ある時点で二者は揉めたんだろう。〈天上蜜〉の用途を巡って」


戦争屋の戎家は汎用化して商品とすることを目指し。


耕穡家は洪鈞を統一する一度きりの祥瑞として使うことを望んだ。


争いに負けた戎家は致し方なく、王を巻き込むことにし、そして私たちが麟後宮に派遣されてきた――と辰霊景は語った。


「私は入宮一年後には、後宮を脱出する腹でいた。とうに〈天上蜜〉の偵察と分析、対処剤調合は終了していたからな。不本意にも後宮に留まることになったのは、私の相方の莫が下手を打ち、魔魅に憑かれてしまったからだ」


「莫氏って、辰霊景の何なんですか?」


「妹だ。父親違いの」


「なるほど、辰霊景が小才に倒莫を命じた真意は、これ以上莫に罪を重ねさせないためだったのか」


「とっておきの秘密なんだぞ! もっと話広げろ! えー、妹さんかわいいですね誰似なんですかあ、とか!」


悪いがそんな場合ではない。


「辰霊景は胡蝶家だよね、どうにかならなかったんですか」


「……勿論、私も人妖分離術くらい心得ているさ。問題は分離術の素材だった。素材の一部は、西域の先にしかない。交易路は戎家が握っている。私は、あの女の二度めの指図を受けることになった。私は、耕穡家が用意した対処剤が効かぬ、上位の〈天上蜜〉と、その対処剤を開発させられた――」


辰霊景が死を装って後宮を出たのは、今度こそ戎家の要求を完遂したから、ということになる。


そして今夕、戎家は全ての事情を知っていながら、みすみす耕穡家たちに〈天上蜜〉を散布させた……否、


(みすみす――じゃない、わざと〈天上蜜〉を散布させたんだ!)


「耕穡家たちが下位版〈天上蜜〉を使用するのと同時に、戎家一門はひそかに、辰霊景の改良した上位版の〈天上蜜〉を散布しているってことですか?」


「市の穀物が高騰してるだろう。あれは戦乱のせいだけじゃない。耕穡家と衡交家が〈天上蜜〉使用後に起こる飢饉に備えて備蓄しているためだけでもない。戎家一門が洪鈞全土の姻戚に働きかけ、同様に買い占めを行っているからだ」


「そんな……」


「耕穡家と衡交家が得意満面、国内にのみ施す処置剤には効果がなく、草木の枯死は止まらない。乱世統一の農耕神どころか、国土を荒廃させた史上稀な愚王として、耕穡家の名は刻まれるだろう」


一方、真の対処剤を持つ戎家の懐は潤い、その後は人々を飢饉から救った英雄として、玉座までもが転がり込む。


「……司馬将軍も王位を狙っていた?」


「というより、浩蕩王を見限ったんだろう」


司馬戦は王が偽物だと気付いていなかった。王命ゆえ、厳罰覚悟で脩身家のなきがらを傷つけたというのに、王は全く司馬戦の忠義に応えず政治の場に戻らなかった――この落胆が、司馬戦から忠心を失わしめたのかもしれない。


衡交家は、蝶変して現れた辰霊景が胡蝶家であると認識した時点で、ここまでが即座に繋がったのだろう。それで耕穡家を促して無抵抗で縛についた。今回の討伐における自身らの安全を、きっちり見極めて。


なぜなら戎家は、〈天上蜜〉の被害が不可逆的に拡大するまでは、耕穡家と衡交家を()()()()()()()()()()()


戎家・司馬戦は長公主身分だが、麟主の血を引かぬ公主の王位継承権は低い。そのような人物が、内外を納得させうる形で龍座を得るには、禅譲という方法を選ぶ他ない。


洪鈞半統一の功績がある〈浩蕩王〉が臣下に譲る道理はないが、その実妹――耕穡家・桑盈升に王権が移れば別だ。


戎家は耕穡家の、〈天上蜜〉による王位簒奪計画を知っていた。その計画が必ず失敗することも。


司馬戦にとって王位は、いったん桑盈升に移動させねば得られないものだった。そこで今夜の簒奪劇をわざと見逃した。


戎家は新王・桑盈升の失政を繕い、その功によって禅譲の名目を得る。ために王族直系の桑盈升はそれまで生かしておく。


麟主の権威を正統に継承するためには、麟王家そのものに罪を着せるわけにはいかない。つまり、英明な麟主が、不運にして奸臣に唆され、道を誤った、という形式を取りたい。


英明な麟主・桑盈升を操った奸臣、これが衡交家の役柄だ。つまり衡交家にもそれなりの処分の場が用意されているわけで、それは今夜じゃないのだ。二人は今頃善後策を練っているに違いない。


李翰は耕穡家と衡交家の胆力と狡知に愕然とした。


「顔色が悪いな。私が後宮最虚弱だからって狼狽が過ぎるぞネコちゃん。今夜の討伐軍への参入は、私が志願したんだ。私には、取引の報酬に受け取った薬種から作った人妖分離剤で、魔魅に憑りつかれた妹を救うという泣かせる動機があるからな」


「じゃあ辰霊景も用済みってことじゃないか! 早く逃げなよ!」


娘子軍を見ればわかる。戎家の徴兵基準は厳しい。それが明らかに戦力外の辰霊景の志願を受け入れた――戎家一門の暗部を知りすぎた技術者を、混乱に乗じて処分する気なのだ。


それなのに、辰霊景は不敵に唇をゆがめる。


「戎家と耕穡家は際限なく蘇摩を利用し、強力な薬と兵器を作り続ける。禍根を断たねばならない。私はそのために戻ってきたんだ」


「ねえ辰霊景は、蟷螂の斧っていう言葉と匹夫の勇っていう言葉、どっちが好き?」


「まあ見ていろ」


辰霊景は袖口から小瓶を取り出し、昏倒している水廌家の頭にその謎の液体を振りかけた。


「また無許可の人体実験で被害者が――!?」


滴を浴びた水廌家の輪郭がぼやけ、紫霞に変わる紫霞はもがくようにもつれ、激しくがれきを巻き上げる。やがて紫霞の回転は穏やかになり、青と白と紫の、三色の塊に分離する。


それは、三色の塊から、三者に変じていた。


白い鶴氅姿の莫と。頭を押さえて青い目をしかめている水廌家と。「ふぉふぉ、」と笑う、面識のない紫服の女人。


紫服の女人は状況から判断すると、人型に実体化した貘か。


辰霊景が庭の漏刻にちらりと目をやり、いかれた研究者面目躍如の渋い声でキメた。


「二更の一点(午後十時二十四分)。われ、人妖分離の術に成功せり」


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