四章 復讐と正義-7
黄梅天の厚い雲が夏の風に流れ去る。
皐月は終わり、且月がやってくる。
後宮の趨勢は、衡交家が捕縛されたことにより一気に水廌家に傾き、平穏を取り戻しつつあった。
拘束された衡交家は、李翰との共謀関係を水廌家に明かさなかった。お友達外交の衡交学者一流の皮肉だろう。同じ夢を見続けられなかった李翰は、もはや朋友たりえない――それは、分かち合っていた罪を暴露されるよりも、心を穿った。
衡交家は改革の名目で各省庁を私物化、不当逮捕で後宮を血塗り、その行くところ伏屍累々、復讐の限りを尽くしたから、後宮人の懲罰感情も相当なものだ。水廌家襲撃事件で起訴されたのを皮切りに、これまでの強引な後宮運営の数々が取りざたされ、厳罰を求める声は高まるばかりだ。
三十六回死んだ李翰は身を以て知る。一度躓いた者に対して、後宮は容赦無用だ。衡交家は早晩、惨たらしい方法で殺されるだろう。
なぜあの時、間際で我に返って、捕縛なんてつまらない真似をしたのだろう。あのとき衡交家を喰ってしまえば、一つになってしまえば、自分は人喰いの害獣として駆除されたかもしれないが、すくなくともこんな最悪な気分になることはなかった。
結局、小説家という思想は、衡交家という思想を容れられなかった。どこまでも分かり合えなかった。牙を立て、咀嚼することさえも――
何もする気が起きなかった。その日も何も手につかず、ぼんやり窗から冷宮を眺めていると、水廌家の使いが走り込んできた。
とうとう来たか。と李翰は腰を上げた。
水廌家は衡交家派の残党狩りに着手したのだろう。こうなることは衡交家を殺めず昏倒させた時点で覚悟していた。李翰の髪をまとめる笄が、衡交家から贈られたものだと知らぬ者は、後宮にはいない。朋友を売った手に残るのは破滅だけだ。
刑宮に呼び入れられた。
水廌家の固く緊張した背中が目に入る。
水廌家とは短期間で多くの苦楽を共にした。実の姉妹みたいに。実の姉妹以上に。だからこそ水廌家は、李翰を許さないだろう。
殺されたくはないが、疲れていた。螺鈿の床を見つめながら、断罪の声を待つ。
やがて聞こえた声はきわめて低かった。
「――過日、妾を襲撃した刺客の二遺体から、毒の反応が出たわ」
あれ。この人全然違う世界に生きてるぞ。
意を決して顔を上げれば、水廌家は顔が貘色だ。
貘に浸食されている上、激務が祟って頭が参っているようだ。李翰を断罪する余裕もないらしい。そのただならぬ様子に、李翰も個人的な感傷を切り上げた。
そりゃ、毒の反応は出る。刑宮襲撃犯の死因は鴆毒なのだから。
「そういうことじゃない。生前の刺客たちを目撃した者の証言よ。目はうつろで、ふらつく足どりは酩酊者のようだったと。言われてみれば、刺客たちの目つきには、尋常でないものがあった。けれど調査報告によれば、刺客両名は酒をたしなまない。ここ数年、太医院にかかった記録もなかった。酔人でもない。病人でもない。不審に思って、妾は刺客の血水を調べさせた」
水廌家は辺りをはばかるように、紫の顔をそっと近づけてきた。
「恐れていたものが出たわ」
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