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壺中の蠱女  作者: you
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二章 莫谷神-5

「小説家、君の昨今の交友関係には不安感を拭えない。私の美しい星見の園を開墾したり、彤官の禄では購えぬような手土産を持参したり、通っぽい古典で論理武装したり、裾捌きまで都会風になって!」


吐血ついでに星躔家がうろんそうに訊ねてきた。


ここは望舒宮の臥室しんしつだ。


李翰はその、星のようにすぐれた顔立ちをじっと見返した。


「な、何なのだ」


「星躔家はあいかわらず斗筲の人でいらっしゃるのですね」


「君。どんどん性格が悪くなってないか? フン、後宮の毒が回って頼もしい限りだ。莫の件は進展してるんだろうな。もう余月の十八日だぞ。後宮の終末まであと十二日しかない。まさか私の膳から肉だけを食らいにここへ来たわけじゃあるまい」


「あ! 今日はさかなだ! ごちそうさま星躔家!」


李翰は衡交家仕込みの笑顔を向けた。星躔家は、


「ふん、別に構わないさ。せいぜいよく噛んで食べるんだな」


などと言いながら、むやみに絹の寝衣の前をきつくあわせたりしてせわしない。


この人、よくこんな女あしらいで、よくこの殺伐後宮を乗り切って来られたな。


衡交家直伝の笑貌術が卓越しているのか、星躔家がちょっとアレなのかは不明だが、ともあれ、これ幸いと李翰は褥の上をにじり寄り、色づく星躔家の耳元へささやきかける。


「ときに星躔家、一肌脱いでくださいません?」


「なっ、脱ぐなどと、降嫁前の公主が言うものじゃない!」


色づきが一層よくなった耳をつまんで李翰は唇を寄せた。


「おねがい、星躔家」




◇◇◇




「遭難したいのか!!!」


星躔家は褥から転がり落ちんばかりに、李翰の提案を即時却下してきた。


「耕穡家といえば最大の中立派だ! 後宮最高難度の山だと言っていい。中立とは孤高だ、耕穡家は誰の味方もするものか!」


「だからこそ倒莫側に引き込めたら強いかなって。小才も日がな散散水と害虫駆除に明け暮れ接近を試みてますけど、どうも関係性に進展が見られなくて」


「身の程知らずめ。耕穡家は、尚書職の議上でも極端な意見は出さないが、財政の握り手ゆえ存在感は大きい。耕穡家の中立は実力に裏打ちされているんだ。まあ、実際動くのは私でなく君ゆえ、誰に接触を試みるか、その辺の自由裁量は与えてやらんでもないさ」


この威厳のなさ、この人はもしかして最早お話ししたいだけなのではないだろうか彼は。最近、立て込んでいて、探望おみまいに来られなかったものな。


日夜、後宮の殺伐の気に揉まれている李翰の中で、すでに星躔家は雇用者というより、かわいげのない要介護の身内だ。


「悪いことは言わないから、初めての登山は水廌家で手を打っておけ!」


水廌家のたやすさは有力公主中でも有名らしい。


すでに水廌家は攻略済みであるとは明かせない。水廌家攻略時の惨たらしい手法を知られると、妙に良識的なところがある気がする星躔家から、行動に制限がかけられかねない。


そうすると後宮が滅んでみんな死ぬ。


李翰と衡交家は、有力公主を操って倒莫を成そうとしている。


失敗できない李翰のなかで、星躔家と衡交家の優先順位はとうに逆転している。最優先共闘者との関係を、もはや星躔家に知られるわけにはいかない。


「小才が讌で見てきた様子では、有力公主のうち、水廌家はあからさまに莫至人と対立してます。小才たちの敵に回ることはない。戎家も莫至人とは考え方が違うようです。脩身家は親莫のようですが、出自が異国人なので勢力としては大きくない。あとは耕穡家なんですよ。最大の中立派を倒莫に傾かせることができれば」


「ふむ……一気に形勢が覆るかもな」


「耕穡家の心を捉える方法はないでしょうか。例えばこれから来る風雨を予測して、耕穡家の大事な菜園をあざやかに守るとか……」


「小説家、君はバカなのか。私は指環が壊れたからもう未来視ができない。それに、耕穡家を攻略するなら農業絡みは下策だ。毎日あの耕作ぶりを見ているならわかるだろう、耕穡家の農法は神域だ。門外漢の助言など逆効果だ」


星躔家は李翰の提案に侮蔑の表情を浮かべた。


この反応は織り込み済みだ。


これは星躔家に渡す選択肢のうち、捨て案のほう。雇い主である星躔家に、主導権と選択権があったと思わせておくための。


それなら、と李翰はわざとらしくならないように話題を繋いだ。「内六部の官職のほうは?」


耕穡家の任は、戸部――財政だ。


実りは国の財。ゆえに財務長官には耕穡学者が据えられる――なんていう建前がなくとも、あの卓越した開墾能力と自然回帰的たくましさを見れば、適材適所は疑う余地がない。


「ふむ、後宮の財政難は開闢以来の課題だろうな」


「入宮して驚きましたけど、毎日どこかで讌が開かれてますもんね。後宮のやりくりは思いやられます。そんなところへ、多額の寄付が来たら、戸部尚書の耕穡家は強く恩を感じますよね。そして恩人には協力したくなるもの」


「悪くない考えだが、誰が資金を出すのだ」


「話は変わりますけど、星躔家は倒莫派か佐莫派か、どちらですか?」


「――資金援助しろだと? 時間渡航費の債務者のくせに、まだ銭を出せとは、なんて厚顔なんだ君は!」


星躔家は喀血しながら李翰を罵倒したが、李翰は勝算があった。


「資金拠出なんて星躔家には余裕だと思いますけど。衡交……ごほごほ、とある信頼できる筋からの話によると、星躔家は後宮公主中、一、二を争う金満だとか。ベッドの下に、死ぬほど銭を隠してるって――」


「雇用主を強請(ゆす)る気か? 諭旨せっきょうするからちょっとそこへ座……おっと、大変だもうこんな刻限か。じき重要な客が来る。とっとと私の前から消えろ」


と、牀の下に死ぬほど隠している銭を拠出してくれた。


星躔家は最後に案じ顔で付け加えた。


「雇用者として再度勧告する。後宮は蠱毒の壷だ。交際相手はよく考えろ。忘れるなよ、君の後宮での一挙一動に、伏して動けぬ私が、ありったけの金銭と命まで掛けていることを」


「信頼してくれてありがとう、だけどもう引き返せない気がする。星躔家こそ、客っていうのはまた女だろうけど色々ほどほどにね」


星躔家が狷介そうに顔を背けたのを見て、李翰は望舒宮を出た。



<衡交家の書き付け>


星躔家の辰君は齢二十五。入宮は三年前。


僕は獄にいるから会ったことがないけれど、風聞によれば、辰君に好意を持つ宮中人は少なくない。なんでも、あの面相でゆかしく星を語られた日にはほとんど反則、だとか。蒲柳の質で、あまり宮から出てこないのも射幸心を掻き立てるらしい。


辰君については、僕が囿苑に監禁されて以後に入宮した公主だから、率直に言って不明点が多い。逐次報告請う。


めでたくかしこ。



たしかに謎だ。と李翰は思う。


李翰が微笑んだくらいで頬を染めながらも、一方で寝所に毎度違う女人を引き入れる星躔家の思惑については、未だ解せない。


ともあれ、星躔家の気が変わらないその日のうちに、李翰は星躔家の名義で、耕穡家自家製の壮健補助食品を大量購入した。


誰も不審視しなかった。星躔家ほどに壮健に渇える人物は後宮にいないと皆人が知っていたからだ。

念を入れて、星躔家の名で商品受領の礼状(これまでの虚弱体質の苦労とそれゆえに耕穡家の商品に対する期待の高さをしたためたもの)を送ると、半日後、望舒宮へ、大量の新製品と試供品を乗せた車を自ら引いてきた耕穡家が、


「体調面での悩みがあったら何でも相談に乗るだあ」


と、熱い握手を交わしていった。


耕穡家は後宮財政難解消の一助となる大口顧客である星躔家の発言を、今までより尊重してくれることだろう。




◇◇◇




有力公主たちからの請帖(招待状)の重さで、備え付けの棚が崩れた。


その日の夜半、李翰は一つ満足げにうなずいて、囿苑へ忍んでいった。


「期は満ちました。そろそろ各公主に事情を打ち明け、団結し倒莫へ向かう時かと」


返事は鳥で来た。


――気が合うね。僕も頃合いだと思ってた、仕掛けよう!!!


「有力公主たちを連携させるんですね」


――有力公主間の団結は重要だ。けれど巨悪の前には立場を忘れて支え合う、なんてのは、僕の十年超の後宮経験によれば寝言だ。莫君は有力公主共通の敵だけど、有力公主どうしも利権を巡って対立関係にある。血書や口頭で明確な共謀関係を結ぶのは危うい。


――よって、有力公主たちには、無意識のうちに倒莫に協力してもらおう。


「無意識にって……、どうすれば?」


――李君は今夜もいつも通りに、水廌家のところへ!!! そして深更に、水廌家を外へ連れ出して欲しい。それで全てが動き出す!!!


――李君は緯糸よこいとだ。散乱した経糸たていとである各公主間をうまく横切って、その行動を一つの結果に織り上げて欲しい。

めでたくかしこ。


――追伸、八面討好(はっぽうびじん)はすべてを失う。外交で大切なのは均衡と調和。感情の偏りに敏感であれ。でないと、すぐに囿苑送りだよ!!!



◇◇◇



空に星がちりばめられるころ。


李翰は今夜も煌煌キラキラ刑宮へ食事会に呼ばれた。


麟が所有する最大の香木を建材に用いた門をくぐり、左右を贅美な真珠製灯籠にかしづかれながら宮内へ入る。


吐息で砕けそうな玉細工の花窓から、樹齢が麟建国より古そうな桃樹を眺めて待てば、十年先まで予約の取れない(戦国の十年は永遠を意味する)画師の大壁画の一室に招かれる。


変わり映えのしない倒莫談義がすすみ、月はすぐに傾いた。


夜気が濃くなってきた頃、李翰は室内の砂金の砂時計にそっと目をやった。三更も半分すぎて日付が変わっている。


そろそろ頃合いか。


李翰は勢い込んで席から立ち上がった。


「いま、何か音がしませんでしたか?」


「しなかったわよ」


「莫至人の間諜かも、確認せねば! 姐姐、お供しますよ!」


あきれたように水廌家が碧眼を細めた。


「夜の厠はそりゃ暗いわよ。でも李妹あんた十七にもなるんでしょ?」


水廌家は部下の死で泣ける女だ。夜に厠へ行けないと訴える義妹にも、なんだかんだ言って甘い。しぶしぶと言った様子で、裙を広げて立ちあがった。



◇◇◇



瑠璃瓦が、星影で魚鱗さながらにきらめいる。


「やはり誰もいなかったじゃないの、厠くらいで妾を煩わせて! ちゃんと拭いた? 帰るわよ。蒸し暑いったら」


「おかしいなあ……」


思わず李翰の口から本音が漏れていた。


衡交家からは、この刻限に水廌家を外に連れ出すようにと言われていた。水廌家に何かを目撃させたいのは明白なのだが。


付近を散策してみたものの、収穫はない……


李翰は、水廌家の一発言に三回くらい臆病者という単語を聞きながら、帰途についた。


と。行きは見逃した柳の下に、二つの人影が見えた。


「俗物ね、あまり見るものじゃないわよ」


悟りすました水廌家が団扇をあおぐ。


李翰もそろそろ学んでいた。後宮は厳格に見えて、案外自由恋愛の地だ。


後宮人たちは気ままに恋を咲かせ、同棲し、出世が絡んで泥沼化する。それを刑部尚書の水廌家がうんざり顔で一件一件裁いていくのを、李翰はずいぶん見てきた。いわんや公主をや。


柳下の影は、なんと脩身家だった。


密会している脩身家は、寝衣でさえも黒一色だ。一本スジが通っている。


「李妹も趣味が悪い。脩身家にだってお気に入りの相手の一人二人、あるでしょうよ。脩身学者は礼法一辺倒みたいに言われるけれど、脩身学者の説く聖人とは、人間愛による平和社会の実現者なんだから。しかし、こんな深更に“実践”とはね――」


脩身家のことはさておき、李翰が目が離せなかったのは脩身家の密会相手だ。上背のある、戦場に愛された体躯。それが纏うのは、選ばれた者しか着られない、橙黄色だ。あれは……


「なによ李妹、脩身家の相手が誰だろうが――誰? 何? 嘘!」


発する一語ごとに水廌家の声が高くなる。最後には悲鳴になった。


「どういうこと⁉ あれ、陛下だけど!!」


「え、やっぱり浩蕩王なんですか?」


一度王を見たことがある李翰は、これがなかなかになかなかの状況だということを察し、内心そわそわしてきた。


「脩身家……よくも! あの女、暗黒裁判にかけてくれる!」


ですよね……


喉も裂けよとばかりの水廌家を、李翰が口を塞いで壁の陰に戻る。


水廌家は浩蕩王の后(正妻)候補だ。それを婚姻前に己よりも若い女に出し抜かれたとなれば、殺気で虫が落ちるくらいは起きる。


幸い、密会中の二人は互いしか見えない様子で向き合っている。


「水廌家、いったん引き上げましょう! 頭に血が上ったまま話し合っても、ね!」


「熱した銅の上を歩かせてやる……!」


「そうなっちゃいますよね! そうなっちゃいますから! 今夜は一呼吸おいて! 明夜にでも、一緒に脩身家へ事情を聞きに行きましょう!」


なんてことだ。


脩身家のあのすまし顔は、この優位性ゆえだったのだ。


どんなにか刺激的なことだろう。


天が生まれつき慈悲をそぎ落としたようなあの莫から盗む、王寵は。


ふだん節制の権化のようにふるまう脩身家の、秘めたる想いの激しさと大胆さたるや。


「あの男、あんなすまし女のところに通う暇があったら、どうして妾の宮へ来ないのよ!! 妾の遊説がいっとう有為で熱いのに!!」


血涙をぬぐってやりながら、李翰は衡交家の倒莫計画を理解した。


矜持が服を着ている水廌家のこと、よほどのことがない限り、今夜見たことは口をつぐんでいるはず。将来の夫の心変わりなど、筆頭貴族出身の水廌家にとっては、家門を貶める醜聞だからだ。


李翰は把握した。


自分という緯糸が、次にどの経糸に絡めばよいのかを。



◇◇◇



明けて、余月十九日。


李翰は早朝に、ある倒莫の経糸をさばいた。


その後、日課通り耕作をしていると。隣の畝で鍬を振るっていた耕穡家が、何かに気づいて手を振った。


「おお! 今日は具合さええのか!」


声の先を見れば、玲瓏たる白面。白すぎるほどの。


もちろん星躔家だ。宇宙色の深衣に星漢紋の上衣の組み合わせは泥がついたら絶対に落とせない。農地の散歩に最高に不釣り合いな姿に、耕穡家の取り巻きたちが失笑する。


「悪くない」


少しもお元気そうでない様子で口元の血を拭い、星躔家は気むずかしげな声で耕穡家に用件を告げた。


「耕穡家、折り入って買い求めたい品があるんだが」


「お、毎度あり」


と耕穡家はこの場違い星躔家に寛祐だ。大口顧客なので。


「咳止めかあ? 熱冷ましかあ? おらっちの圃のもんなら何でも持って行ってくれえ」


「欲しいのは、当帰、生薑、熊胆」


「貧血に冷えかあ、日がな吐血してればそうなるだろうなあ、ちと待ってろ、すぐに上等なやつを包んでやる」


「それから、月宮草も頼む」


その草木の名を耳にしたとき、耕穡家は少時、固まり、そのぶん、背後で聞き耳を立てていた耕穡家の取り巻きが騒がしくなった。


「星躔家……月宮草だな? いいんだな? おらっちの聞き違いではねえんだな?」


耕穡家はいつも手に吸いつかせている鍬すらひとまず置いて、妙なこわばりの表情とともに念押しする。


「何だ? 月宮草とやらは品切れなのか?」


にわかに衆人の注目を浴び、ひどく居心地の悪そうな星躔家をさらに凝視する耕穡家の顔には、


「在庫はある、あるが……、本当にええのかあ?」


ある種の確信からくる疑念と困惑に満ちている。


さらに大きくなる取り巻きの喧騒を不快げに振り払い、星躔家はさらに押した。


「勿体ぶって何なんだ? 在庫があるなら分けてくれ」


「おらっちは中立が信条なんだがなあ……主顧おとくいさんの注文とあってはなあ……」


豪快な耕穡家にしては随分ためらうようにうなずき、天を仰いでぼやいた。


「やれやれ、でけえ風暴あらしが来そうだあ」


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