旅立ちの時
はるか昔、深い深い闇がただ広がっていた。
闇と静寂が気が遠くなるほどの長い時間世界を支配していたが、ある日突然その闇を切り裂くようにして光が現れた。
その光の中から現れた者たちこそイニティウムを始めとする七人の使徒である。
全てを統合し秩序と調和をもたらした始祖神イニティウム、強い力を持つ巨人パトローナス、富をもたらした剣士ダレ、笛使いのスピリトゥス、エルフのパクス、双子のカレオとサティス。
七人は広い闇を旅し、星々を生み出し、その星々で川や海を造った。深い闇の中に光を灯し、星々の動きに秩序を造りだした。
全ての仕事が終わると七人の使徒は一つの大きな星に、それぞれ大陸を造りだし降り立った。
始祖神イニティウムがその身を降ろした大陸こそがこの中央大陸。
イニティウムは大陸に降り立つといくつかの星々に魔力を与え自らのもとに集め、その姿を自分と同じ人型へと変えなさった。
偉大なるイニティウムはその後一人のお子を残し、他の魔力を持たない星々を守るようにとだけおっしゃられると長旅の疲労によってその命に幕を下ろされた。
イニティウムの屍からは母なる木、プリムスが誕生した。
母なる木の種子は宇宙へと飛び立ち魔力を持たぬ他の星々へと降り立った。
その種子から育った『生きている木』はその星の状況を母なる木、プリムスへと信号を通じて伝え、その情報がプリムスの葉、一枚一枚に映し出される仕組みが生み出された。
残された星々はその仕組みを使って広大な宇宙に散らばる多くの魔力を持たぬ星々の状況を知ることができるようになった。
有害性のある星には死を与え、病気にかかった星には薬を与えた。
それこそが星の管理人たる我々の仕事、それこそがイニティウム様より与えられた我らの使命なのだ。
聖書第一章冒頭部分
「お孫様が誕生されました!」玉座の間に召使の一人が走りこんできた。
玉座に座っていた白髪の混じりの青色の髪と長い口髭と顎髭を持つ老人の目がその召使にむけられる。
その瞳のなんと不思議で美しこと!
大きな窓から差し込む光の角度でちらちらと色を変えるオパールのような瞳は見るものの心を惹きつけて吸い込んでしまうようだった。
老人は召使に目線をむけた後、その報告になんの感情を見せることもなくゆっくりと立ち上がった。
玉座の横に控えていた長い薄い水色の髪を一つに結った三十歳ほどの男(最も星族は千年ほど生きるので正しくは300歳ほどであろう)も何も言うことなく黙って彼の後につづく。
老人が向かったのは玉座の間のある一階から階段を二つ上がった三階の一番端の部屋。
美しい植物の模様が彫られた木の扉を開けると柔らかい光が差し込んだ。
その光の中に召使が一人と夫婦であろう男女、そして今しがた誕生したばかりの赤ん坊がいた。
男が老人の息子なのだろう。老人と同じ青色の髪とオパールの瞳を有していた。
赤子を抱いている女性は美しい金髪の持ち主であった。その瞳は緑色で、優し気でありながら確かな強さを宿していた。
「父上、それにドロール。」「お義父様。」
老人は息子とその妻のに近づくことなく召使に視線を移す。その視線の意味を察すると召使は扉の前で一礼し、部屋を出ていった。
「レクト、赤子の瞳は?」老人は召使が出ていったのを確認すると女の腕の中で眠っている赤ん坊に近づきその顔を覗き込みながら息子に訊いた。
「俺たちと同じだ。」レクトのその言葉を聞いて老人は安堵のため息をつき、そっと赤ん坊を抱き上げる。
「しかし、父上。」レクトは言いにくそうに口を開く。
「なんだ?」「…これを。」レクトは老人にビー玉ほどの大きさのオパールを見せた。老人はオパールに刻まれた文字を見て眉を顰める。
「これは…」ドロールと呼ばれた薄い水色の髪を持つ男もそのオパールに刻まれた文字を見て驚愕し青ざめる。「…どうするおつもりですか?」ドロールは老人を見る。
「…名は隠せばいい話だ。大事なのはこの瞳、イニティウムの子孫である証の、この瞳なのだ。」老人は目を覚まし自分にむかって無邪気に手を伸ばしてくる赤子の目を見ながらそう言った。
老人のその言葉を聞いて不安そうに緑の瞳を揺らしながら窓の外を見る女の肩をレクトがそっと抱く。「大丈夫、俺が守るよ。あの子たちのことも君のことも。」
_180年後
美しい緑の木々に囲まれた中庭の花畑で一人の少女が本を読み上げていた。
「青き髪、色を移していく瞳、それこそ始祖神イニティウム様の特徴であり、その子孫とされる者たちはみな同じ特徴を備え、星族を統べる統治者としての地位、レクターの座につき星の宮を纏めてきた…だめね、読んでて楽しくない。」
少女は本を傍らに置くと次の一冊を手に取る。
「七大陸にはそれぞれ神獣が宿っている。それは七人の使徒が命を落とすとき、残った聖なる力が集まってできた存在でありその大地のすべてを知り、また使徒の生まれ変わりとされるものと強い絆で結ばれている…なんで全部聖書がらみなのよ。きっとドロールの仕業ね。」
少女はぶつぶつと文句を言いながら次の本を手に取る。
「中央にある大陸の首都、星の宮について…星族が長寿である理由とその体の特異性…魔力と寿命の関係性…最も重い死刑法について…まあ!悪趣味。不愉快よ。星送りの民について…こかげとこだま…そろいもそろってつまらない。」
「エナ。」花畑の向こうから彼女と同い年くらいの少女が歩いてきた。
高く一つに結い上げられた美しい漆黒の髪、切れ長のつり上がった黒目、引き結ばれた薄い口、その容姿は彼女の木の強さを強調するかのようだった。
「ルイナ!」彼女の姿を見てエナと呼ばれた少女はさっきまでのふてくされた顔はどこへやら、ぱっと笑顔になって立ち上がる。
「エナ、こんな所で悠長に読書して、準備は終わったの?明日が旅立ちでしょ?」「終わったよ、今は気分向上のために読書をしようと思ったんだけど私の部屋から一番近い書庫に置いてある本が全部聖書がらみかつまらない分野の本になってて。きっとルイナのお父様、ドロールの仕業よ。」
「貴方がちっとも聖書関係の本を読まないからでしょ?次期レクターともあろう者なのに。」
ルイナの睨みを受けてエナは目を逸らす。「だって…。」
ルイナはため息をつく。「でも本当に突然だったわね。」
「うん、まさかレクターの座をこんなに早く譲られるだけじゃなくて旅立つことになるなんて。」
「ええ、ここ数万年そんなことはなかったもの。」
ルイナは積み上げられている本の一冊を手に取るとページの冒頭部分を読み上げる。「始祖神イニティウムの宇宙創造の話に習い、レクターの座を次のものが継ぐ時そのものを含めた七人の使徒の生まれ変わりと七つの大陸にそれぞれ眠る秘宝が集わなければならない。」ルイナは本を閉じる
「…昔は七人の使徒と秘宝を探して旅立っていたみたいだけどここ数万年は各大陸の王族の長子とその王家の宝を持ってきてもらうだけの形式的なものになっていたのに。」
「…仕方のないことだよ。ここ最近魔物も化け物もその動きを活性化させて民衆は滅びの予兆ではないかと恐れているし、なにより私はイニティウムの末裔であるその特徴が欠けている。聖書に沿った旅により真の使徒の生まれ変わりと各大陸に眠る秘宝を見つけ出して帰ってこない限り私は本当の意味で次期レクターとして認めてもらうのは難しい。」
伏せたエナのその目は本に記されていたように光の加減で色を移していくオパールのようだったが肩で切りそろえられていたその髪は青色ではなく白色であった。
星族、それは大陸の中でも希少な魔力を保持する種族。
そしてその魔力の強さは髪の色に表される。魔力が弱い方から赤、黄、白、青へとグラデーションのようになっている。エナのその髪は上の下の魔力を持つものの髪色であった。
そう、レクター達が持つ誰も横に並び立つことのない圧倒的な魔力をエナは持っていなかった。
「…確かに他のレクター達が味わうことのない苦労を貴方は味わうことになるけれど、もし本当に旅が上手くいったら誰も文句をつけれない真のレクターだわ。」ルイナは本の埃を払いながらそう言った。
「ありがとう…でもやっぱりルイナが一緒に来てくれないのは不安だな。」
エナは照れくさそうに笑うと話を逸らす。
「…。」ルイナは彼女の言葉に目を伏せるととポケットから金のブローチを取り出す。
「可愛い!」エナはルイナが取り出したそのブローチを見て目を輝かせる。
「もしかして、私に?」「えっ…ええ。」ルイナの瞳が揺れる。
「月桂樹の花をあしらったものよ…エナ、月桂樹の花言葉は何か知っている?」
「私、花言葉とか詳しくないんだよね。」
「月桂樹には…勝利、栄光って言う意味があるのよ。」
エナは自分の部屋のベッドでひとりさっきのことを思い出していた。
「勝利、栄光…。」部屋の明かりにかざしながらブローチを見る。
「…お守りってことだよね。」エナは一人、照れ笑いをして明日から着ていくつもりの紺色のローブにつける。
「うん、可愛い。」満足げに頷き、エナはベッドに横になる。
それからしばらく明日からの不安で頭を悩ませていたがやがてゆっくりと眠りについた。
玉座の間は西壁と東壁がそれぞれ大きな窓になっており、さらに玉座の後ろもステンドグラスになっているので日当たり良好である。三方向からの光が玉座の部分で交わるようになっておりレクターの座に座る者に神々しさを与えるようにできている。
エナは常々眩しそうだなと呑気な感想を抱いていた。
さて、彼女がなぜこんなに呑気なことを考えているかというと宰相ドロールによる旅立ち前の洗礼、聖書の読み聞かせが苦痛だからだ。
単調な声で読み上げられる聖書の詩は一言で言うと眠くなる、何とか違うことを考えて起きている努力をしていたが終わりに差し迫ってくる頃には意識が半分飛んでいた。
だから聖書の朗読が終わり現レクターであり彼女の祖父であるフィニスが「さて」と口を開いた時エナはひどく驚いで目を真ん丸にして祖父を見た。
そんな彼女の様子にフィニスはため息をつく。
「いいか、そなたはここ数万年事例のない旅に出ることになる。そして真の使徒の生まれ変わりを探し、その大陸に眠る秘宝を見つけることは容易ではない。まず、各地の神獣のもとを訪ねると良い。彼らはその大陸のことは隅々まで把握しておるとの話だ。秘宝やその地の使徒の生まれ変わりについて何か知っているやもしれぬ。お前も知っているとおり昨今魔物や化け物がその活動を活発にしておる。それだけでもつらく長い旅になるであろうことは想像に難くないがお前にはレクターの証であるその瞳を魔法で別の色へと変えてもらう。お前が何の力も使わずに旅を終えねば意味がないのだからな。」
「承知いたしました、おじい様。」
エナは深々と頭を下げると早速自分の瞳を魔法で青色に変えた。
「…旅立つにあたってお前の同行人を二人選んでいる。」
フィニスは横にいるドロールに視線をよこす。
「カリタス殿とスピーヌス殿を玉座の間に!」
ドロールの一声と共に玉座の間の大きな扉が開かれ、二人の人物が入ってきた。
一人はエナより少し年下であろうそばかすの目立つ少女。赤い髪はエナより少し短めのボブで垂れ目がちの緑の瞳。美人とはいいがたいが唇に浮かんだ笑みは優し気でそばにいる人をほっとさせるような雰囲気を持っている。
年季の入ったくすんだ茶色のローブを身に着けており、右耳には濃い深緑に金色でサソリの模様が描かれた不思議な石のイヤリングをしていた。バッグは大きく、重たそうで華奢なその体に似合わなかった。
彼女の横には大きな灰色狼が座っている。その狼は普通の三倍ほどの大きさでオッドアイの目を光らせてその少女に危害を加えるものがいないか見張っているようだった。
しかしその少女よりも目を惹くのがもう一人の人物だ。
真っ黒なローブを髪が隠れるほど深くかぶり、その顔は茶色い革の仮面で隠されている。
男なら少し背が低く、女なら高い方という身長、ローブで隠された体型、全く性別が識別できない。
「紹介します。薬師として名高く、多種多様な植物に精通してることでも学者の中で一目置かれているカリタス殿。」
赤毛の少女が頭を下げる。「よろしくお願いします。」ふわりと笑うとえくぼができてそれがまた愛らしかった。
「そしてこちらが弱冠200歳にして星雲騎士団の副団長補佐官を務めるスピーヌス殿だ。」もう一人の人物は一歩前に出ると完璧な所作で騎士のお辞儀をした。
星雲騎士団とはこの星の宮の治安を守る警察のような立場の者たちのことで魔法と剣術そのどちらにも長けている者たちが集められている。弱冠200歳にして副団長補佐官にまで上り詰めるのは異例中の異例。
余程強いのであろうことは想像に難くない。
「私はエーヴム、でも呼びにくいですからどうぞエナと呼んで。これからよろしくお願いします。」エナは少し緊張した面持ちで頭を下げた。
エナの自己紹介が終わるとドロールは玉座の横の定位置から降りてきて一枚の革で作られた地図を丸めてエナに渡す。「世界地図です。ご存知でしょうが、この星の宮のある大陸の他に大陸は六つあり、他の六大陸に行くにはここから先にある港町ポートにむかい、そこから船で海を越える必要があります。一番最初にむかう大陸はダレ大陸が良いでしょう。ダレ島は古くからオプレンタス国が治めており、その北の大陸パトローナスのヴィス国とは長年交戦状態であるものの他の国々とは非常に友好的な状態です。さらにオプレンタス国は七人の使徒であるダレの血を引き継いぐ王族の国なので簡単に血族者の中で使徒の生まれ変わりを見つけだすことが出来るやもしれません。…貴方が見つけなければならないのは聖獣に認められし真の使徒の生まれ変わり、困難な旅でありましょうがどうぞお気をつけて。」
ドロールはエナを見つめる。その瞳が一瞬何かを懐かしむように揺れた。
「ありがとう。…どうかおじい様をお願い。」
「…ええ。」
「お願いされるほど朦朧としているつもりはないが。」不服そうにフィニスがエナを睨む。
「あら?そうですか。じゃあ、私が帰ってくるまで生きててくださいね。」エナはにやにやしながらフィニスを見る。
「まったく礼儀のなってない孫娘だ。早く行きなさい。」
「はい、それでは行って参ります。」エナは鋭い眼光で睨みつけてくるフィニスに一礼するとカリタスとその狼、そしてスピーヌスを引き連れて玉座の間を出ていった。
その後ろ姿をフィニスは静かに見つめていた。
全てを諦めたかのような静かな光がその瞳に宿っていたがその手は正反対に血管が浮き出るほど強く握りしめられていた。
エナは星の宮の門を一歩出るとそびえ立つ宮殿の一室を見上げた。
そこはルイナの自室だった。そして実際、その窓からはルイナがエナたちを見下ろしていた。
エナは彼女の姿をはっきりとその目でとらえることはできなかったがそれでもその窓にむかって軽く手を振ってから旅立った。
ルイナはエナたちが水平線の先に消えてもずっとその窓から見下ろしていた。
石畳が続く草原のその先をただずっと見つめていた。