動物
〈來なかつた春の事など話しをり 涙次〉
【ⅰ】
谷澤景六=テオは、新作の小説を一冊の本に纏めて上梓した。タイトルは『永遠のイノセンス』と云ふ。楳ノ谷汀が例に依つて、「報道」してゐたと云ふ事だが、生憎私はテレビを観ない。タイトルから分かる通り、これは「ぴゆうちやん」の生き方(?)を描いた連作集なのだ。* 大人になる事の、永遠にない「ぴゆうちやん」。哀れと見るか、羨ましいと見るか、と云ふと、後者を谷澤は採るらしい。「イノセンス」と云ふ言葉に、それは集約されてゐた。テオは、猫と云ふ名の、余りに容易に年寄る自分から物を見たのだらう。
* 前シリーズ第141話參照。
【ⅱ】
私は知らなかつたが、カンテラ事務所の「不思議」な動物たち、白虎と云ふ新入りがあり、益々スケールアップしてゐるやうだ。* かつて彼らを追つた冩眞展を開いた安条展典が、今では自分が四万十川の妖怪・カハウソと云ふ、「不思議」な存在になつてゐる事は皮肉であつたが、それさへも私は知らなかつた。かつての戀敵が妖怪に‐ それは私の心の柔らかい部分に触れたやうだつた。ツーリングに來た杵塚からそれを聞き、私は少し泣いた。
「永田さん、あんた今、カネ持つてるの?」見兼ねたのだらう。カンテラの秘術で、八重樫火鳥の面影を祓つて貰へば? さう杵塚は云つてゐるのだが、私には踏ん切りが付かない。
* 前シリーズ第116話參照。
【ⅲ】
* 火鳥の非業の死から早くも2箇月経つた。私は多分カンテラにそれを「雜想」だと思はれたくなかつたのだと思ふ。杵塚は最近、ホンダE.VOと云ふ電動バイクを入手してゐて、然もそれは枝垂哲平から買つたのだと云ふ。彼はそのブツで私を鼓舞したかつたのか... 枝垂が何故バイク商となつたのか、知らない事だらけで、私は自分に憑依した病魔を呪つた。だが私はそれを呪ふと云ふよりも、それに馴染んでゐたかつた、らしい。
* 前シリーズ第162話參照。
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〈珈琲に薄目を開けて朝が來る今日も一日思へば尊し 平手みき〉
【ⅳ】
私にとつて健康な狀態と云ふのは、兎に角何かを書いてゐられる、と云ふ事に盡きる。健康とは、タロウと玉乃の戀* をチェイス出來た杵塚にとつては、簡單な日常茶飯に過ぎなくても、私の「今」には難しい事なのだ(私の「今」には、他人の戀愛沙汰の為に場處を明け渡す余裕はなかつた)。兎も角私は、楳ノ谷の番組を観る事から始めなくてはならない。
* 前シリーズ第104・158話參照。
【ⅴ】
杵塚は、私をとてもツーリングに連れ出せる狀況にない、と悟つたのか、私の許を去つた。藝術家として、差を付けられた私‐ 後は私自身の問題である。私は大人なのだ。「ぴゆうちやん」とは違ふ。GPS popz110に跨つたのは、カンテラから何かを抽き出せる、と踏んだ私の健康の最低限の足掻きだつたらう。それすらも無かつたら、私はたうに自死してゐた。
カンテラは「相談室」の客となつた私を見て云つた。「祓ふべきは、あんたに取り憑いた現實だと思ふよ」‐「現實?」私はさぞかし間拔けた事を云つたのだらう。カンテラは呆れた。
「【魔】、だよ。火鳥さんぢやないんだ、あんたをこの現在に閉じ込めてゐるのは。ほら、後ろを見てご覧‐」
【ⅵ】
私はくらつと來た。その儘氣絶したやうだつた。私は* ジョーヌの夢を見た。テレパシーで動物たちが會話するその様を‐ そしてそこから仲間外れにされて、哀れにも哭いてゐる、一匹の得體の知れぬ、或る動物を。
「見えるだろ? これがあんたゞ」催眠術の如くカンテラは云ひ、拔刀した。「しええええええいつ!!」その動物は斬られた。
* 前シリーズ第7話參照。
【ⅶ】
だうやら私は死地を脱したやうだ。私は未だ火鳥の夢を見るが、さう悲観したものでもないのは分かつた。恐らく火鳥は、祝福してくれたのだらう、「わたしの事なんか、忘れてくれていゝのよ」每回、消える間際にさう云ふのだ。
不思議と慟哭は伴はなかつた。動物‐ 人間だつて、動物ぢやないか。その想ひが、私の心を輕くしたのは確かだ。私は、その替はり、腹の底に沁み渡るやうな、エリック・バードンの吠え聲にも似た唄が聴きたくなつた。
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〈梅雨茸が生えたと見れば涸びをり 涙次〉
永田、財布の底を叩いて、お蔭で黎明の色を味はへた、と云ふお話でした。尚、こゝから新シリーズ開始致します。ぢやまた。