表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/13

第九話

 アイザックが案内してくれたのは、街の中心地ある、こぢんまりとしたカフェだった。

 レンガ造りの壁は、一面に青々としたツタが伸び、ピンク色の小さな花で覆われている。

 店先にも沢山の花が植えられていて、まるで森の中の、小さな教会のようだと思った。

 そんな可愛らしい外観に、私でさえも、どことなく童心をくすぐられた。


 かなりの人気店のようで、若くて綺麗なご令嬢方が日傘をさし、店の外にまで並んでいる。

 その誰もが、突然現れたアイザックに目を奪われた。

 背が高く、陶器のような肌を持つ貴公子は、たとえフードを被っていようとも、街に溶け込むには眩しすぎるようだ。

「待っていろ」

 そう言って店に入って行くアイザックを、令嬢たちの熱い視線が追いかける。

 誰も、私なんかの事は気にしていない。

 召使だと思われているのだろう。

 何となく、胸の奥にヒュッと冷たい風が通った気がしていると、アイザックが戻ってきた。

「ルネ」

 アイザックが私の隣にならび、そっと腰に手を添えた。

 その瞬間、アイザックに釘付けだった令嬢たちの熱い視線が、冷たい氷の槍に変わり、一斉に私に突き刺さった。

 痛い。

 建前上、夫婦を演じさせて頂いているだけです。

 申し訳ありません。


 

 人懐っこい笑顔の店員は、私達を二階の部屋に案内した。

 賑わっていた一階とは違って、テーブルの間隔が広く余裕がある。

 客層を見るに、貴族専用のフロアだと分かった。

 一番奥にあるテラス席に着くと、アイザックは、丁寧に私の椅子を引いてくれた。

 とても自然で、スマートな仕草だ。

 アイザックは席につき、フードを下ろした。

 茶色い髪が、風になびく。

 

 アイザックは、店員に短く注文を告げた。

 私は、娯楽に関する知識がほとんどない。

 スイーツの名前など、無縁の世界にいたからだ。

 アイザックは、私に何が食べたいか、あえて聞かないでいてくれる。

 そんな細やかな気遣いに、私は幾度となく救われている。


 大きな権力を与えられているヴァルサタ調査団を率いるのは、想像を絶するプレッシャーだろう。

 恐らく、アイザックの不眠の原因の一つになっているはず。

 それでも、使用人達にまで気を使うお方だ。

 当然、部下のケアも怠らず、信頼され、頼られ…。

 そして、自分の首を絞めていく。


 この方を支えたい。

 この気持ちは、感謝から来るものなのか、同情から来るものなのか…。

 尊敬、憧れ…。

 どれも正解なのに、しっくりこない。



「お待たせいたしました」

 店員が、三段重ねになっているお皿を持ってきた。

 一番下の段にはサンドウィッチが。

 二段目には焼き菓子が。

 三段目には何とも繊細なケーキが乗せられている。

 そんな夢のようなタワーに釘付けになっていると、店員が手際よくティーカップに紅茶を注いだ。

「ごゆっくりお過ごしください」

 

「食べないのか?」

「あ」

 アイザックの声で、我に返る。

「あまりの美しさに、見惚れていました」

「二段目の、スコーンが評判の店なんだそうだ。あたたかいうちに食べなさい」

 スコーンと呼ばれた、パンのような焼き菓子の隣には、オレンジのジャムと、白くもたっとしたクリームが添えられている。

 私は、スコーンを一つ手に取り、半分に割ってみた。

 芳醇なバターと麦の香りが、食欲を刺激した。

 小さなスプーンで、ジャムとクリームをスコーンに乗せ、口へ運んだ。

「っ!!!」

「気に入ったか」

「美味しすぎます」

「また妙な表現をする」

 アイザックは、前髪をかきあげながら、目を細めた。

 

 狭い馬車の中、初めて向かいあって座ったあの日。

 何の感情も読み取れない、冷徹で無慈悲な侯爵は、もういない。

 今、私の目の前に座っているのは、大きな責任に、皆が押しつぶされないよう、一人で戦う、心優しい青年だ。





 カフェを出ると、アイザックはもう一か所寄りたい店があると言い、私を案内してくれた。

 アイザックが寄りたい店とは、どんなところだろう。

 そんな気持ちでついて行ったが、そこは眼鏡店だった。

 

「いらっしゃいませ」

 仕立ての良いベストを着た紳士が、上品に挨拶をする。

 白髪交じりの髪は綺麗に整えられ、顔に馴染んだ、細いフレームの眼鏡をかけている。

「以前話した、私の連れた」

 アイザックが、当然のように話を進める。

「あ、あの。アイザック…」

「どうした」

「もしかして、私の眼鏡を新調しようとされてますか?」

「そうだが?」

「私は大丈夫です。書店に連れて行って頂けただけでも、胸がいっぱいです」

 ただでさえ、返せるものがないのに。

 これ以上、恩恵にあやかるわけにはいかない。

「その眼鏡は、度数が合わないのだろう?」

「え?」

 どうしてそれを、知っているの?

 確かに、侯爵邸に来てから、段々と文字が見えにくくなっていた。

 誰にも言っていないのに。

「仕事に支障をきたすからな。そなたが気にする必要はない」

「…ありがとうございます」



「では、こちらへ」

 店員に促され、店の奥にある椅子に腰掛けた。

 目の前の机上には、沢山の眼鏡が置かれていて、それぞれ数字が振られている。

「視力を確認いたしますので、一度眼鏡をお外し願います」

「はい」

 私は眼鏡をテーブルに置いた。

 すると店員が、ほうっと息をついたのが聞こえた。

 

 指定された眼鏡を着け、手元の文字と、少し離れた壁に貼られた文字を読む作業を繰り返した。

「お疲れ様でした。どうぞお戻りください」

「はい。ありがとうございました」

 私が店内へ戻ると、アイザックが腰をかがめ、等間隔に並べられている眼鏡を、真剣に眺めている。

「アイザック?」

「戻ったか。好きなものを選ぶと良い」

 どの眼鏡も、繊細で細かな彫刻がされていて、私でも高価な品だと分かった。

「今している眼鏡のフレームで充分です」

「だめだ」

「…ですが。私のような者のために…」

 アイザックは、少しためらいながら口を開いた。

「次期侯爵夫人として、身につけるものにも気を使うべきだろう?」

 そうだ。

 私は今、カロン侯爵の婚約者だ。

 たとえ建前上てあっても、召使に間違えられるような姿では、アイザックの威厳にも関わる。

「申し訳ありません」

「いや…そんな事が言いたいのではなくて…。その…」

「いえ。私の役割をすっかり失念しておりました。お心遣いありがたく頂戴いたします」

「…」

 私は、並べられた眼鏡を全力で見て回った。

 どれも宝石が散りばめられていて、私には派手すぎる気がした。

 そんな中、シンプルな金色のフレームが目に止まった。

 アイザックの瞳の色と同じ、金色。

 陽だまりのような、優しい輝きに惹かれた。

 手に取ると、驚くほど軽かった。

「これ…かけてみてもいいですか?」

 アイザックは、店内をキョロキョロと見回し、他の客から私の顔が見えない方向に鏡を置いた。

 アイザックが、優しく私の眼鏡を外し、金色の眼鏡をかけてくれた。

 レンズが入っていないので、アイザックがとんな表情をしているのかよく分からない。

 何も言わないけど、変なのかな?

「どうですか?」

「これにしよう」

 即答だった。

 アイザックは、私の眼鏡を外すと、元の丸眼鏡を掛けてくれた。

 金色の眼鏡を手に持ったまま、足早にカウンターへ向かって行ってしまった。


 その場に残された私は、目の前に置かれた鏡を覗き込み、改めて自分の顔を確認した。

 瓶の底のような分厚いレンズに、時代遅れなまん丸フレーム。

 確かに、次期侯爵夫人がこんな姿では、アイザックが恥ずかしく思うのも無理はない。

 容姿なんて、気にしたことなかったのに。

 鏡の中の、みすぼらしい自分が、憎らしかった。



「お待たせ致しました」

 店員が、美しいトレーに乗せられた、美しい眼鏡を持ってきた。

「随分、レンズが薄いな」

 アイザックが眼鏡を覗き込んだ。

「はい。ご令嬢が掛けていた眼鏡は、かなり古いものでした。今の技術ですと、同じ度数でも半分くらいの薄さで足ります。それに…」

「?」

「おそらくご令嬢は、視力がわずかに回復されたのではないでしょうか?成長過程にある年少者には、稀に現れる現象なのですが…」

 通常、失った視力が自然に回復することはない。

 侯爵邸に来てから、きちんとした食事を取っているからか、体調がいいとは感じていたけど…。

 まさか視力が回復していたから、眼鏡が合わなくなっていたなんて。


 手袋をし、店員が大切に眼鏡を持ち上げた。

 ふと、フレームの内側が光ったのが見えた。

 ちょうど、こめかみにあたる部分に、小さな透明な石が埋め込まれている。

「それは?なぜ宝石が?それも、フレームの内側に…」

 隣に並ぶ、アイザックの肩がピクリと揺れた気がした。

「こちらは、ダイヤモンドと呼ばれる宝石です。ヴァルサタ帝国では、ダイヤが身体に触れていると、幸せになると信じられているのですよ」

 店員の目元に、シワが寄る。

 私は驚き、アイザックを見上げた。

「十八になる娘に、親が贈るものらしい」

 頬を赤らめ、咳払いをしながら視線をそらした。

「…」

「ルネ?」

「…婚約者だけではなく、私の父にもなってくださるのですか?」

「なっ!そういう訳では」

「ふふふ」


 分かっています、アイザック。

 天国にいる、母の代わりに。

 皇室にいる、父の代わりに。


 優しいあなたは、私の幸せを願ってくれてるんですよね。

 

 私は、新しい眼鏡をかけ、アイザックへ顔を向けた。

「本当に、嬉しいです」

 アイザックは、優しく目を細め、そっと私の目元を拭った。




 

 

 

 

 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 「評価」や「いいね」で感想を聞かせて頂けると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ