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第一話

「カロン侯爵閣下。この度は、我がジェラール伯爵邸へようこそおいで下さいました」

 きらびやかなパーティー会場で、胸元が大きく開いたドレス姿の貴婦人が、猫なで声で距離を詰めてくる。

「お招きいただきありがとうございます、伯爵夫人。素敵な会場ですね」

 ぐっとため息をこらえ、謝意を述べた。

 皇室での激務を終えた後、わざわざ正装に着替えてまでパーティーに参加したのには理由がある。

 それは、伯爵家の愛娘、マリア・ジェラールからの求婚を断るためだ。

 胸焼けがするほど甘ったるい喋り方が、娘とよく似ている。

「うちのマリアが、カロン侯爵閣下のことを、それはそれはお慕いしていますのよ。今日という日をどれだけ心待ちに…」

 キャーッ!!

 突然、会場の外から、若い女性の悲鳴が響いた。

 俺は反射的に、声の方向へ走り出していた。

 マントのはためく音が後を追う。

「公爵閣下!お待ち下さい」

「何の騒ぎだ」

 何人かの招待客が、俺に続いているのが分かった。


 薄暗い廊下の先、一部屋だけドアが開き、光が漏れている。

 迷うことなくそのドアの前に立つと、異様な光景が広がっていた。

 ここは、使用人の部屋だろう。

 質素な作りだが、丁寧に生活しているのが伝わってくる室内には、二人の女が向かい合って立っている。

 一人は仕立ての良いドレスや宝石で着飾った女性。

 マリア・ジェラールだ。

 もう一人は、首周りがよれた時代遅れなデザインのワンピースを着た、マリアと同年代の女性。

 大きな丸眼鏡をかけている。

 そして、向き合った二人の奥にはもう一人。

 いや、もはや一人と数えることはできないだろう。


 若いメイドの死体が、天井の柱からぶら下がっている。


「首吊りか…」

 私が呟くと、マリアがビクリと肩をはね上げた。

「なっ…。これは一体…」

 遅れて到着した招待客らがざわめき立つ。

 観客を待っていたかのように、マリアが声を上げた。

「ルネがメイドを殺したのよ!こんな時間に、パーティーにも出ないで、一人でこの部屋に居たのが何よりの証拠よ!」

 勢いよく突き出した人差し指が、微かに震えている。

「マリア!どういうことなの?」

 息を切らしたジェラール伯爵夫人が、マリアの後ろから歩み寄り、肩に両手を乗せる。

 並んでみると、二人はよく似ている。

 赤茶色の髪に、青い瞳。

 ふっくらとした頬。

 一方、犯人だと名指しされた丸眼鏡の女性は細く痩せこけ、肌の色に近い、ベージュ色のロングヘアだ。

 うつむき、長い前髪に隠れているため、その表情を読み取ることはできない。

「ルネって…あの?」

「伯爵家の私生児か」

 野次馬たちがざわめき立つ。

 ルネ・ジェラール。そうか彼女が…。


「お母様!これは殺人だわ!早く調査団を要請して…」

「調査団の指揮官ならここに」

 俺が一歩前に出ると、興奮状態のマリアが駆け寄ってきた。

「ああ、カロン侯爵閣下。来てくださったのですね。卑しい血を引く姉が、取り返しのつかないことを…」

 ぐぐっと豊満な胸を押し付け、上目遣いで見上げてくるマリアからは、鼻の粘膜にこびりつくような、強い香水の香りがする。


「ついに人殺し呼ばわりですか」

 ルネが小さく呟いた。

「何ですって!?」

「あはははっ」

 ルネが、突然腹を抱えるようにして笑い出した。

 その場に居る誰もが、言葉を失った。

 中でも、マリアと伯爵夫人の驚きようは異常だった。

「はぁ……」

 笑い声が、煙のように消える。

 ルネはおもむろに前髪をかき上げた。

 丸眼鏡の奥で、紫色の瞳がヌルリと光る。


「人殺しとおっしゃいましたが、私は彼女を殺してなどいません」

 ルネは背筋を正し、はっきりとした口調でそう言ってのけた。

 そんなルネを、マリアが問い詰める。

「い、言い訳は止めなさい。パーティーに出なかったのはお前だけよ!それに、一人でこの部屋にいたじゃない!人も呼ばずに…」

「そもそも!」

 マリアの金切り声を制止するように、ルネが言葉を重ねる。

「この絞死体には、定型的縊首の所見がみられます」

「は?」

 マリアの声に、イラつきの音がのる。

「索状物、つまりロープが、側頸部から耳介後方を、結び目に向かって真っすぐ左右対称に上がっています。そして身体が完全に宙に浮いていて、全体重が索状物に掛かっている。この状態を、定型的縊首と呼びます」

「だ、だから何よ」

 マリアの声からは怒りが消え、怯えたように震えている。

「誰かに首を絞められて絶命したのなら、力の入り方が左右対称になることはありません。もがき苦しみ、顔面は赤くうっ血するはずです。ですがこのメイドの顔面は蒼白…」

「お前が吊り上げたのよ!後ろから!」

「それでしたら、抵抗した際の引っ掻き傷が首筋に残るはずです。それに、髪の毛もロープに挟まるでしょう。彼女の髪は、乱れ一つなく、綺麗に整えられています。そもそも私一人で、大人の女性を吊り上げられると、本気でお考えですか?」

 何という法医学的な知識と優れた洞察力。

 俺は思わず身を乗り出し、拳を握りしめていた。

「これは間違いなく自殺です。ですが、この部屋に第三者の手が加わっていることも確かです」

「どういうこと!?」

 青い顔をしたマリアの後ろから、伯爵夫人が思わず声を上げる。

「ないんです、遺体の足元に踏み台が。所見は間違いなく自殺なのに」

 ルネが、部屋の隅にある小さな机に近づいて行く。

「高さからして、この椅子を踏み台にしたのでしょう」


 ルネはくるりと振り返り、言葉を続ける。

「この机を見てください。不自然だと思いませんか」

「な、何がよ」

 マリアではなく、伯爵夫人が応える。

「ズレて重ねられた便箋、床や机に散らばったペン。これは誰かが、慌てて一番上にあった便箋を持ち去った痕跡です」

「はっ。ただ机の上が散らかっているだけで、なぜそんなことが言えるの」

 伯爵夫人は、首筋に大量の汗をかいている。

「この部屋を見れば、彼女の性格がよく分かります。彼女はとても几帳面な女性です。こんなふうに、ペンはきちんと並べてあったことでしょう」

 ルネは、机の上のペンを整える。

「状況からして、ここに置かれていたのは、遺書」

 ビクリと、マリアの肩が跳ね上がった。

 その姿を、紫色の瞳が捉える。

「つまり、私よりも先にここにいた人物は、メイドの遺体を発見し、遺書を見つけた」

 誰もが、固唾をのんでルネの言葉の続きを待った。

「ペンを拾う暇もなかった様子からして、その人物は、部屋に近付く私の足音を聞き、慌てて遺書を隠し、椅子を机に戻した。そして、ドアの陰に身を潜め、私がこの部屋に入ったタイミングを見計らって悲鳴を上げ…」

 皆の視線が、マリアに集中する。

「私を人殺しに仕立て上げようとした。そうですよね、マリア」

 マリアは俯いたまま、ガタガタと震えている。

 そんな愛娘を庇うように、伯爵夫人が前に出る。

「ルネ!お前は流れる血だけでなく、心まで腐っているわ!まるでマリアが犯罪でも犯したような言い草ね。自殺だと言ったのは、お前じゃない!マリアが何のためにお前を人殺しに仕立て上げたっていうの!?」

 ルネは背筋を伸ばし、伯爵夫人をまっすぐに見つめる。

「どうか遺書を読んでみてください。マリアは、きっとコルセットの間に遺書を隠しています。見られたくない物があると、いつもそうしていましたから」

 マリアが反射的に胸元を押さえた。

「卑しい生まれのお前が、貴族の身体を調べろと!?立場をわきまえなさい!」

 ルネは、小さくため息をつき、机に残された白紙の便箋を手に取った。

「でしたら、この紙に砕いた炭をかけましょう。ハケで余分な粉をはらえば、重ねて書かれた遺書の内容が浮かび上がってくるはずですから」

「生意気な!」

 伯爵夫人の両肩が、怒りで震えている。


 ルネは、遠くから不安そうに見つめるメイドや使用人の方に向かって声を掛ける。

「この際はっきりと言うべきよ!マリアが、使用人たちに対してどんな仕打ちをしているのか!あなた達、悔しくないの!?」

「……」

 使用人たちの誰もがうつむき、目を逸らした。

 ルネ・ジェラールの伯爵邸における発言力は、かなり低いことが分かる。

 ルネも使用人達の様子を見て、思い出したように、瞳を曇らせた。

 その瞬間、伯爵夫人の甲高い笑い声が響く。

「あははは。この子ったら、自分の立場がまだ分かっていなかったようね。お前について行く者なんて一人もいないのよ。身の程知らずが、この邸宅から出ていきなさい!二度とジェラールの名を…」


 キンッ


 俺は剣を抜き、メイドを吊るしていたロープを切った。

「きゃあ!」

 伯爵夫人の悲鳴を無視し、俺はメイドの遺体を受け止め、ベッドに運んだ。

 顔にハンカチをかけながら口を開く。

「伯爵夫人。ルネ嬢がおっしゃる通り、この者は自殺です。たとえ自殺の理由に、マリア嬢が関わっていたとしても、罪にはなりません」

「でしたら…」

「ただ、彼女の遺族に、誠心誠意の謝罪と補償をするのが、貴族として、また雇い主としての責務なのでは?」

 俺は振り返り、伯爵夫人を睨みつけた。

「っ…そのように致します」

 伯爵夫人が悔しそうに頭を下げる。

 俺はルネに近付き、白紙の便箋を受け取った。

「その約束として、この便箋は私が預かりましょう」

 便箋を胸ポケットに仕舞う俺の姿を、ルネが目を白黒させながら眺める。


「伯爵夫人。先ほどルネ嬢に出ていくようおっしゃっていましたね」

 俺は膝をつき、すっかり呆けた表情のルネの左手を取ると、甲に軽くキスを落とした。

 ルネの目が丸くなる。


「でしたら、ルネ嬢を私にください」




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