いわくつき少女と魔導書(3)
廃墟から北へ20キロ――愛用の蒸気式サンドバギーにシュイとサナを乗せ、俺が拠点としている〈首都ウェルベール〉へと戻ってきた。
地上が人の住める世界ではなくなって早数百年。人々は居住を地下へと移した。首都ウェルベールは、世界各地に点在する巨大地下都市の1つだ。
直径100メートル、深さ300メートルの、地底へ向かって伸びる地下階層型都市。1エリア40階構造で、現在は50のエリアが一つに集まって〈ウェルベール〉という街を形成している。
吹き抜けになった円柱状のドーナツみたいな街に、20万人ほどの人々が暮らしている。
ぽっかりと開いた中心部には、下層階へ繋がる昇降機がかけられていて、その間を縫うように、各階にある工房や工場から排出される蒸気が、ユラユラと立ち昇っている。
俺が拠点としている家は首都ウェルベールのエリア30、29階層にある。仕事帰りには必ず立ち寄る行きつけの大衆食堂〈黒猫亭〉にシュイを連れて入ったのだが――
「おい。そんなに急いで食ったら、喉詰まらせるぞ……」
「ん? うん、大丈夫、大丈夫」
「そ、そうか?」
返ってきた答えに俺の声は僅かに震え、苦笑いを浮かべながら果実酒をごくりと飲んだ。
2日もまともに食事をしていなかったとはいえ、シュイは恐ろしいほどによく食べる。最初に注文した大盛のパスタは数秒で彼女の腹におさまり、追加で運ばれてきた三人前のピラフは追加の果実酒を店員に頼んでいる間になくなった。テーブルの上はあっという間に空の器や皿で山になった。
砂漠にいた時はガスマスクで顔が見えなかったが、予想通り、その下に隠されていた彼女の顔立ちは息をのむくらいに綺麗だった。肌は透明感のある白、髪は絹糸のような白金色。瞳は琥珀色だと思っていたが、よく見ると淡い紫と金色が混ざり合うアメトリンみたいだった。そして、華奢で可愛らしい姿からは到底想像がつかないほどの大食らいだ。こうして圧倒されている間にも、シュイは次から次へと注文を繰り返した。
「あっ、そこのお兄さん! このスープとお肉、あと二人前追加でお願いします」
「本当によく食うな……普段からそうなのか?」
「シュイは可愛らしいですが、フィーさんが想像している以上の大食らいですよ。もちろん、通常運転です」
隣にふわふわと浮かんでいるサナに訊ねると、どこか自慢気な様子で言った。あくまで二日間の空腹が原因ではなく、普段からこの量を平らげるということだ。その華奢な体のどこに収まっているのか不思議でならない。
まじまじと観察している視線に気づいたシュイが、俺を見て不思議そうにパチパチと瞬きをする。それからすぐに恥ずかしそうにはにかんで食べている手を止めた。
「ご、ごめんなさいっ。こんなに食べちゃって、その……つい、美味しくって。こんな大食らいの女、嫌だよね」
「いや、まぁ、いいんじゃないか。そこは気にしてないよ」
その返しにシュイは驚いているようだった。
確かに、誰が見ても驚くくらいの大食らいだ。ただ、そのあまりにも豪快な食べっぷりは逆に清々しい。それ以上に、幸せそうに食べる顔は見ているだけで笑顔になってしまう。ここまで美味しそうに食べる姿を見せられたら、奢った側も悪い気はしない。むしろ気になるのは懐事情だ。
「廃墟で見つけた地図球、買い取ってもらってから来るべきだったか……」
山積みになった皿の陰に身を隠しながら、そっと財布の中を覗き込んだ。シュイの大食らいは予想外だったため、財布の中身など気にもしていなかった。この底なしに近い食欲がまだ続くようならば、さすがに厳しいかもしれない。
ひとまず、シュイに食事をさせている間に換金して戻ってこよう。奢ると言ったのは俺のほうだから、シュイがどんなに大食らいだろうと、好きなだけ食わせてやろう。そう考えながら財布を上着のポケットに押し込んだ時だった。
「こんなところにいやがったのか!」
騒がしく雑談が飛び交っていた食堂内に怒声が響き、一瞬にしてシーンと静まり返った。やがて談笑はざわめきに変わった。
何事かと反射的に顔を向ければ、険しい表情を浮かべた十数人の男達が、まっすぐに俺たちのいるテーブルへと向かってくる。俺が何かしたのだろうかと記憶を辿るが、一向に思い当たる節がない。
幸せそうに料理を頬張っていたシュイが、こちらにやってくる男達の姿を目にしたとんたん、大きな目をより一層大きく見開き、明らかに動揺した顔を見せた。
口にフォークを咥えたままそろりと皿の山の陰に身を隠し、恐る恐る顔を覗かせる。やってきた男達の目的はどうやらシュイにあるらしく、俺の存在など目もくれずにシュイへ詰め寄った。
「ようやく見つけたぞ、シュイ・オルティス!」
「先月分のつけにした食事代、きっちり払ってもらおうか!」
「今日こそは、回収するまで逃がさねぇからな!」
単なるざわめきでしかなかった客達の声に、野次馬の好奇心が混じって空気が一変した。
「なぁ、もしかして。あの子、暴食のオルティスだろ?」
「あぁ! あれが噂のシュイか」
近くの席にいた客がコソコソと話す声が耳に届いた。
暴食のオルティス――その名前は聞いたことがある。バディを組むと稼ぎの大半を失うほど大食らいで、何人ものトレジャーハンターが借金を背負わされて廃業するという、曰く付きの新米のトレジャーハンターの名前だ。
二つ名の特徴から巨漢の男だとばかり思っていたが、まさか噂のトレジャーハンターが正反対の少女だと誰が想像できるだろうか。
「きゃぁぁぁ、ごめんなさいっ! ちゃんと稼いだら払いますから、もう少し待ってください!」
「そう言って何ヶ月経ったと思ってんだ!」
「こっちは半年待ってんだ! これ以上待てるかっ」
「ちょっと! シュイに乱暴するのはやめてください! その手、燃やしますよ!」
「うるせぇな! 本は黙ってろっ」
「なっ! 僕は魔導書ですよっ。その辺の本と一緒にしないでください!」
身を屈めて小さくなっているシュイが、捨てられた子犬みたいに怯えている。自業自得といえばそれきりだが、少し離れた場所からしばらく傍観していると、だんだん不憫に思えてくるから不思議だ。
「あー……もめてるところ悪いんだが――」
延々と続く言い争いを止めるべく割り込んだ。当然、その場にいた店主達の視線が同時に俺へ向けられた。刺されるような居心地の悪さに苦笑いを浮かべつつ、誤魔化しながら果実酒を飲んだ。
「あんたらの店のつけ、どのくらいあるんだ?」
その問いに店主達は各々顔を見合わせた。なぜそんなことを聞くのか意図が読めない様子だったが、その中の一人が「うちは3万Sだ」と切り出したのを境に、うちはいくら、こっちはいくらだと矢継ぎ早に告げた。全てを把握できてはいないが、ざっと計算しても50万Sほどのつけが溜まっているようだった。
「思ってた以上の額だな……」
「ご、ごめんなさい」
ちらりと目をやれば、申し訳なさそうにシュイが俯いた。店主達に黙れと言われたせいか、あるいはシュイの作ったツケに言い訳もできないのか、ぎゃあぎゃあと騒いでいたサナもシュイの周りをふわふわと漂っているだけだった。
怒り心頭の店主達と、取り囲まれて小さくなっているシュイという構図を眺めながら、壊れたお守りを上着のポケットから取り出した。
出会ったばかりで何の事情も知らない他人の俺が口を出すことではないし、面倒を見る義理もない。そう割り切って切り捨てることは簡単だが、どうにも非情になり切れない自分がいる。
シュイとサナを助けた身でありながら、襲ってきた亡霊から助けられた身でもある。一つでも選択が異なれば、亡霊から助けられることも一緒に飯を食うこともなかった。あの広大な砂漠のど真ん中で出会ったのも何かの縁だと思いながら、お守りを再びポケットに押し込んだ。
「そのつけ、全部俺が払うよ」
口にした言葉にシュイとサナはもちろん、店主達は面白いくらい大袈裟に驚いていた。俺の傍にいた恰幅のいいスキンヘッドの店主が、まるで憐れむような顔をして俺の肩を叩いた。
「まさかあんた、こいつと〈バディ〉になったのか? 悪いことは言わねぇから考え直せ。な? あんたがそこまでする必要ないだろ?」
本気で心配されているらしく、ほんの数分前まで殺気立っていた店内の空気が同情の色に変わっていく。その様子から察するに、シュイとバディを組んだ日には相当問題が付きまとうということらしい。
「俺のことは気にするなって。あんたらだって、いつまでもツケが残ってるの嫌だろ?」
「まぁ、そりゃそうだが……」
「そういうことで、この件は終いだ。請求はテソロ協会に言ってくれ。俺から連絡しておく」
シュイからツケを回収できなかったものの、俺が全額支払うと言い出したものだから、店主達はそれ以上文句も言えなくなって黙り込んだ。状況は良い方に転がったはずなのだが、店主達納得したようなしていないような複雑な表情を浮かべては帰っていった。
静まり返っていた店内に再び雑談の声が戻り始めたところで、サナが大きなため息をついた。
「だから! あれだけツケだけはやめておきなさいって言ったじゃありませんか」
「仕方ないでしょ……お金がなくてもお腹は空くんだもの」
申し訳なさそうに俯いた後、落としていた視線をゆっくりと俺に向けた。
何かを決意したように強い眼差しを向けられたかと思えば、向かいの席からすっくと立ちあがり、素早く俺の隣の席に座ってグッと身を乗り出した。
「ど、どうした?」
「私、フィーさんと一緒に稼ぎます!」
まるで問い詰めるみたいな勢いに押されて仰け反る俺に、シュイはさらに身を乗り出して距離を詰めた。
「当たり前のことだけど、支払ってもらったツケと同じ額……ううん、それ以上の額を稼いでフィーさんに返します!」
額を自ら膝に押し付けるように深々と頭を下げ、廃墟の発掘に同行したいと懇願された。
〝貸した金はくれてやるつもりで貸せ〟と、父方の爺さんに言われたことがある。返ってくると思うから期待もするし、裏切られた時に腹も立つ。だが、貸したのではなく〝くれてやった〟のなら、期待もしないし怒りも湧かない。要はそういうことで感情を揺さぶられて振り回されるくらいなら、貸したことすら忘れて有意義な時間を使えというのが爺さんの教えだった。
子どもの頃は理解できなかったが、歳を重ねるたからこそ理解できる。肩代わりしたツケもそのつもりで払うと言ったのだが、何度も懇願されると断り切れなくなるのが厄介だ。
トレジャーハンターを生業とする者は全て〈テソロ協会〉に登録をしている。かつての文明や技術を掘り起こし、現在の世に復活させることを目的に作られた政府直轄の組織で、トレジャーハンター達が発掘した〈遺産〉や貴重な資料等は、テソロ協会がすべて買い取ってくれる。戦利品のすべてを協会に収める代わりに、トレジャーハンターは報酬として金を受け取るという仕組みだ。
亡霊がうろつく地上での発掘には危険がつきものだ。不測の事態に備え、廃墟発掘には必ず二人一組で行動するよう〈バディ〉の登録が義務付けられている。俺の発掘に同行したいということは、一時であっても〈バディ〉として登録をしなければならないということだ。
「やっぱり、私の噂聞いてるから嫌だよね」
俺の迷いでも察知したのか、シュイが寂しそうに力なく笑って視線を逸らした。
詳しくは知らないが、シュイと組むと廃業せざるを得ないという理由からバディを組む者がおらず、シュイは一人で活動していると噂に聞く。誰もが嫌厭するシュイを、一時とはいえバディとして同行させて大丈夫なのかという不安は確かに残っていた。
「噂、か。俺はその辺のことはよく知らないんだが、バディを組まずに行動していることは聞いたことがあったな。理由は、さっきのツケと関係があるのか?」
「それ、聞いちゃいます?」
今まで黙っていたサナが、あからさまに嫌そうな声を漏らした。
あまり話たくないのか、シュイとサナは顔を見合わせて口籠っていたが、ツケを払ってもらった恩でも感じたのかぽつりぽつりと話し始めた。