回顧-グレアム
マルトン王国第二王子、グレアム・マルトンは『クレッセントの誓い』ではいわゆる親友ポジだった。
ユージェニーに攻略対象者の好感度や好みを教える役回りで、ゲームの中ではアナスターシアの婚約者だった。
グレアムは婚約者であるアナスターシアを嫌っており、彼女が断罪されることに反対するような素振りはなかった。
女誑しという浮名を流し、様々な女性と睦み合っていた彼であったが、アナスターシアの嫉妬の対象ではなかった。
グレアムが婚約について知らされたのは、彼女が学園を辞める半年前。
グレアムは、正直この婚約に乗り気ではなかった。
彼女はヒステリックで、横暴で、だというのに平凡だった。
同族嫌悪という言葉が一番合うだろうか。グレアムもまた、平凡であった。
優秀な兄のクリフと比べるまでもなく、まさに平凡であった。例えば、剣術では剣を振るえはするが筋が良いという訳でもない。また、勉学ではいつも平均点だった。いくら努力しても普通を超えることはできなかった。
特別悪いわけでも、特別良いわけでもない彼でも、唯一褒められることがあった。
それが顔である。
幼い頃から顔だけはよく褒められた彼は、肥大した承認欲求を満たすために様々な女性に声をかけた。そして愛されることでその欲求を満たしていた。
――だというのに、王は身を固めさせようとあの女との婚約を結ぼうとしている。
アナスターシア・バルフォア、彼女は自分と同じ凡人であるはずなのに態度だけは大きかった。
いくらか前の茶会で、彼女が王族に向けて挨拶をすることがあった。彼女のカーテシーはお世辞にも素晴らしいとは言えなかったが、下手でもなかった。しかし、彼女のずっと前に挨拶をしてきた伯爵令嬢の方が美しいカーテシーだった。
公爵令嬢だというのにマナーがそう完璧では無い彼女のことを、グレアムはよく覚えていた。きっと甘やかされて育ったんだろうと思ったが、グレアムの考えは当たっていた。
その茶会で、彼女は目の前を走り回る男の子に対して癇癪を起こした。その子が彼女の足を踏んだらしく、顔を真っ赤にしながらその男の子に詰め寄っていた。
幼子の失敗くらい流せばいいのにと誰もが思っていた。
グレアムもそう思っていたし、なんて性格の悪い子なんだろうとも思っていた。
男の子が泣き出し始めたところで、彼女は冷静になった。そして自分に注がれている非難の目に気が付いたのだろうか、彼女は会場を抜け出してどこかへ行ってしまった。
高飛車なあの子がどんな滑稽な顔をしているか拝んでやろうと思って、グレアムは彼女のあとを追った。
王宮の庭園は入り組んでいる上に広く、10年以上住んでいるグレアムでさえたまに迷ってしまう。数回しか訪れたことのない王宮で、彼女が迷子にならないはずがない。
グレアムはきっと泣いている彼女の顔を想像して勝手に溜飲を下げていた。
アナスターシアは随分と動きづらそうなドレスを引きずりながら暫く走り続けていたが、キョロキョロと周りを見回して生垣の傍でしゃがんだ。
そして彼女の後をバレないように追いかけていたグレアムは、そのしゃがみこんでいる彼女を見つけた。
生垣の陰に隠れ、じっと蹲っている彼女がどんな顔をしているのか、グレアムはしゃがみ込んで、見てしまったのだ。
――この世のものとは思えないほど美しい少女を。
グレアムの顔も整ってはいるが、そんな彼でも思わず見惚れてしまう美しさがそこにあった。
長い睫毛は涙で濡れ、形の良いちいさな唇は噛み締められ、瑞々しい色を湛えている。
彼女はグレアムの存在に気が付くと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
一方グレアムは彼女の何もかもに唖然としていた。ビロードのような艶のある緑色の髪が乱れていても、彼女は美しい。涙を零していても美しい。いじらしい姿も美しい。彼女の全てに魅入られてしまったグレアムは、言葉を発することが出来なかった。
アナスターシアは何も喋らずずっとこちらを見つめてくるグレアムに耐えきれなくて、逃げ出してしまった。
グレアムは高鳴る心臓を抑えていた。
時が経ち、グレアムは社交界で横暴なアナスターシアの姿ばかりを見てきた。初めて彼女を見た時の感動は一つも残っておらず、あるのは嫌悪感だけだった。
あんな高慢ちきな女と婚約だなんてありえないとグレアムは思っていた。
しかし一向に婚約が結ばれる気配はなく、グレアムは悶々としていた。
学園に入学し、久々に彼女を見かけたグレアムは、声を掛けようとした。嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたのだ。
しかし彼女はグレアムの姿を認めたはずなのに、グレアムが横にいるというのに、会釈もしないで通り過ぎて行ったのだ。
しかも、彼女は男に囲まれているユージェニーという女に嫉妬して言いがかりを付けていたのだ。
――女とずっと一緒にいる俺を気に留めすらしないのに?
グレアムは足元が沈んでいくような気分になった。
あんな女、どうでもいい。あんな愛想のない女より自分を愛してくれる女の方がいいと、自分に言い聞かせていた。
しかし数ヶ月後、彼女が突然学園を辞めた。父である王に聞いても、王ですら知らないというのだ。
グレアムは今すぐに暴れ出したい気分になった。でも、彼はずっと自分に言い聞かせた。あんな女、どうなってもいいと。
グレアムはアナスターシアに好かれていないという事実から目を逸らし続けていた。
それで後悔するともしらずに。