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逃避行

「お前は腐っても貴族令嬢だと思っていたが……まさかここひと月の間ずっとこの平民の男を連れ込んでいたとはな」

「お兄様……」


 終わりの日は突然訪れた。

 使用人たちの噂話を偶然聞いたテレンスが、二人を引き裂くためにやって来た。


 彼はやって来るなり、アナスターシアの部屋で彼女と話していたフィルを殴り飛ばした。

 幸いなのは帯剣していなかったことだけだろう。テレンスは、まさに(いか)ってそのまま飛び出してきたという様子だった。


「第二王子との婚約が内定していると言っただろう!!」

「フィルとはそんな関係じゃありません……!」

「私の目を欺くことは出来ないぞ、アナスターシア・バルフォア!」

「本当です、誓って何もしていません……」


 あの時、二人は顔こそ近づけたものの何だか恥ずかしくなってすぐに顔を逸らしたのだ。テレンスが思っているようなことは何一つ起きていなかった。

 しかし、テレンスにとって家族でもない男が婚前の令嬢の部屋にいることこそが十分な証拠であった。


「二度とコイツと会うな、そして部屋は本館に移す」

「…………」

「返事はどうした!」

「………………は、い……」


 アナスターシアの返事を聞くと、テレンスは満足したようにため息を吐いた。


「凡庸なくせに、女としての価値を失ってどうする。どれほど苦心して第二王子との婚約に漕ぎ着けたかわかっているのか!この穀潰しが!」

「…………た……頼んで、ません。第二王子との婚約なんか、頼んでいません!余計なお世話――」

 

 乾いた音が部屋に響き渡った。

 アナスターシアは何が起こったか理解が追いつかなかったが、ジンジンと痛む左頬で何が起こったかやっと理解した。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………ゆ、ゆるして、ください……」

 アナスターシアは左頬を押さえることなく、床に崩れ落ちて額を床に擦り付けた。

 異常な妹の姿に違和感を覚えたテレンスだったが、そういえば気が狂ってしまったのを思い出し、気に留めることはなかった。


 フィルは痛ましい彼女の姿を見て、今すぐに駆け付けたい気分だったが、今飛び出したら次は殺されると言うことが手に取るようにわかっていた。

 フィルは、彼女のために耐えることを選んだ。


「こいつの処分は追って伝える――貴様、生きてこの屋敷を出て行けると思うなよ」

 フィルはテレンスに胸ぐらを捕まれ、引きずられながら部屋を出た。



 ――そしてフィルは今、牢の中にいた。

 牢のくせに、見張りは寝ているが。


 フィルが孤児院に入る前は、ブレントという泥棒に育てられていた。彼は教養や知識こそないものの、生きるための知恵を持っていた。

 フィルは彼から様々なことを教えてもらった。

 しかし、彼が逮捕されてしまった際にフィルは孤児院に入れられたのだ。身寄りのない自分を育ててくれた彼には感謝している。


「ありがとう、ブレントさん」

 フィルはあっという間に牢の鍵を外し、外に出たのだった。


 短絡的な行動ではあったが、フィルは賢く、怖いもの知らずだった。だから難なくアナスターシアの部屋まで行くことが出来てしまったのだった。


 部屋の前には見張りすら居なかった。アナスターシアが嫌がって付けなかったのか、テレンスがアナスターシアを侮って付けなかったのかはフィルには分からなかったが、僥倖であった。


 音を立てないよう、フィルは細心の注意を払って扉を開けた。

 重厚な扉からは聞こえなかった彼女のすすり泣きが、かすかに聞こえる。


「お嬢様、僕です、フィルですよ」

 彼女の泣き声が止み、被っていたブランケットから彼女は恐る恐る顔を出した。


「ほ、本当に……フィル、あなたなの…………お兄様ならすぐ殺してしまうかと思って、心配だったの……」

「僕はそう簡単には死にませんよ」

 アナスターシアは感極まって彼に抱き着いた。そして、強く、抱き締めた。


「よかった、ああ……よかったわ…………」

 泣きじゃくる彼女の背中を擦りながら、フィルは先のことを考えていた。


「お嬢様、僕と逃げましょう。こんな家なんて、家族なんて捨てて僕と暮らしませんか」


「……本当に?」

「はい」

「わた、私……あなたの事が、好き……」

「僕もです。だから、あなたと共に生きてゆきたいのです」


 二人はたどたどしく、ゆっくりと顔を近付け――今度は唇が触れ合った。



 そして二人は逃げるために、部屋にあるありったけの宝石と、アナスターシアが着るための簡素な洋服を1着だけ布に包んだ。


「実は、使用人たちがよく抜け出すために使っている穴があるんですよ」

 フィルはそう言って、アナスターシアを使用人たちが住む寮の近くまで連れ出した。

 

 なぜ公爵家であるのにも関わらず二人がこうも順調に警備を掻い潜ることが出来たのか、そんなことまで二人は考える余裕がなかった。


 これで地獄のような日々から抜け出せると、アナスターシアが安心したその瞬間、後ろから生ぬるい液体が飛んできた。

 しかし、まだアナスターシアは気が付いていなかった。目の前の幸福にありつき、安堵し、油断していた。

 

「フィル、あなたがいてくれて良かったわ。私、やっとあの地獄から抜け出せる――」


 そう言って後ろを振り向くと、己の兄が血に塗れた剣を持って佇んでいた。

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