彼女が狂った理由
数日後、相変わらずフィルは例の屋敷に足を運んでいた。
それだけではなく、アナスターシアの為に尽くそうと、拙いものの彼女の世話もしていた。
ここ数日で、フィルは気がついたことがある。
それは、彼女が狂った原因があるということ。
当たり前と言えば当たり前なのだが、アナスターシアはお嬢様で、父親に甘やかされ蝶よ花よと育てられた令嬢である。そのため、理由がある方がおかしいのだ。
時折彼女が発する譫言に秘密が隠されていると睨んだフィルは、自分の仕事を放り出して一日の大半を屋敷の中で過ごしていた。
「今日は何の話をしてくれるの?」
「そんなに期待されちゃ困りますよ、僕の話はそう面白くないでしょう」
「いいえ、面白いわ。私にとってはね」
「はあ、そうですか……」
フィルは渋々、自分が暮らしていた孤児院であった出来事を話した。
フィルがそうやって話をする度、アナスターシアの表情はどんどん和らいでいく。フィルはそれを見るのが好きだった。
フィルがいてもいなくても、アナスターシアは突然叫び出すことがある。
この前は、話している途中に震え出し、叫び出してしまったのだ。
その時、彼女はこう言った。
『どうして抜け出せないの』と。
フィルにはさっぱりその意味がわからなかった。しかし、その意味を探るために出世を諦めて彼女と一緒にいるのだ。
昨日の彼女の譫言は『ユージェニー・ファーナビー』だった。
フィルは平民で、しかも孤児だったため貴族についてあまり詳しくない。その上大したツテもないため、その名前の持ち主がどういう人物であるかなど知ることが出来なかった。
「フィル……フルーツが食べたいの、さっぱりしているのが食べたいわ……」
フィルはアナスターシアの要望に応えるため、設備の整ってきた厨房へ急いで向かった。席を外している間に重要なことを仰っていたら堪らないからだ。
「それに、お嬢様はお可哀想だ……誰もお見舞いにきてくれない。僕が支えてあげないと」
フィルは使命感に燃えていた。
フィルは急いで準備したつもりだったが、アナスターシアの為にいろいろと考えていたら少し時間がかかってしまった。
不安定な彼女は、またおかしくなってしまった。
「お兄様、やめて、もうやめて、ごめんなさい……」
アナスターシアの兄と言えば、テレンス・バルフォアである。フィルは姿すら見たことないが、巷では完璧な貴公子だと噂されていた。
まさか、そんなお方がアナスターシアに手を出すようなことをするとは思っていなかったし、いくら兄妹仲があまり良くないと言っても実の妹を手にかけるとは思えなかった。
フィルは今すぐ何があったのか問い詰めたい気持ちをグッと抑え込んで、アナスターシアを宥めた。
今日のアナスターシアはいつもより不安定だ。
いつか、アナスターシアに何があったのか聞き出せる日が来ますようにと、そしてアナスターシアが心から笑える日が来ますようにと、フィルは密かに祈った。
その機会が訪れたのは、思っていたよりも早かった。
その日もいつものように彼女の世話をしていた所だった。
「フィル、嘘だと思っていいから、私の話を……聞いて」
ベッドに横たわり、窓の外のお粗末な景色を眺めながら彼女はそう言った。
「実はね、私ずっと人生を繰り返しているの。学園に通う16歳から18歳まで……でも、18歳のある時に、私は殺されてしまうの。冤罪で。最初は、神様が機会をくれたのだと思っていたわ……でも、必ず殺されてしまうの。それを、もう数えていないけれど……何回も繰り返したのよ、私……フィル、嘘だと思う?」
フィルは頭を振って、彼女の、ベッドからはみ出した白魚のような手を握った。
そして、その手に口付けをした。
「いいえ、僕はお嬢様を信じます。いままでお辛かったでしょう…………今まで繰り返した中で、僕はいましたか?」
「…………いいえ」
「では、今回は何か変わるかもしれませんよ」
アナスターシアは一瞬きょとんとした顔をした。
彼女はゆったりとした動きでフィルの癖のついた黒髪を撫で、満面の笑みを浮かべた。
「そうかもしれないわね」
彼女の緑色の髪が日に透けて、金色の目が妖しく輝きを持って、真白な肌が陽の光に溶けてしまいそうで――それでいて、彼女は幸せそうで。
フィルは自覚した。彼女を愛していると。
身分不相応な、愚かな恋心であった。しかしアナスターシアもそう思っていた。
二人は見つめあった。そしてどちらともなく、顔を近付けた。